宝物

 「大切なことはいつも旅が教えてくれた」というようなコピーを通勤途中の路上で見た。確かに旅は大切なことを教えてくれる、それは疑いようのない事実だけれど、地下通路の天井にそれは延々と整然と並んでいて、押しかけるようなそれは全く「大切なこと」というありがたさとは無縁に見えた。結局のところそれは旅行会社のコピーだし、今会社に出社しようとしている俺の歩みには「大切なこと」はないと言うことですか、と少し子供じみた反発が、一歩ごとに増してくる。

 俺の宝物と言えば皿だった。皿が宝物と言っても、有名な産地の高級な焼き物という訳でもなく、一生モノと言われる高品質なものという訳でもない。どこにでも売っているポリプロピレン製の皿で、自分で腕枕して寝そべっている漫画のトラが描かれている。今みたいに、手ごろな価格でデザイン性の高い北欧家具が買える、なんて考えられない事実の話だ。中学生にもなってこんな皿使い続けさせるなよ、なんて思いながら、そのトラの絵を右回りに回せばトラが起き上がるように見えるので、そんな遊びをずっと続けていたような気がする。言うまでもないことだけど、なんの特別なところもない、使い勝手に細やかな配慮もされていない、ただ、皿としては最低必要な条件を満たしているだけ、というような皿を、気に入っているからこそ長く長く使い続けた、そのことこそが大切なことなのだ。

 どこかに行かなければ大切なことは手に入りません、という発想も好きになれなければ、どこかに行きさえすれば大切なことが手に入ります、という性根ももちろん好きになれない。なんでもない日常にこそ、大切なことは散りばめられているなんて暢気なことは言えない。ただ、誰かが唆すのに安直に乗ってしまうのが嫌いなだけだ。もし、大切なことがとても足を踏み入れにくい密林の中にあると言われれば、どうにかしてそこに行こうとするだろう。自分にとっての宝物を、誰かから決められたりはしない。