「なぜ?」の嵐

ジェルタブの正しい使い方はこちら 

日本のTVCMは、ロジカルであるよりもイメージ重視、という印象は誰にでもあると思います。僕もそう思ってますし、外国のTVCMと違って、そのイメージ重視な作りの中に、独自の「広告文化」を育ててきたと評価もされていると思うのですが、「ん?待てよ」と思ったのが、「予洗い」という言葉の使い始めだったと思われる、ジョイ ジェルタブのCMです。

ジョイ ジェルタブのCM、ウェブで簡単に見つかるだろうと思ってたらどうしても見つからなかったので、そして、「某タレントの実演CMで有名な」というキャプションが見つかって、「あ~確かに実演やってたな」と思ったので、ちょっと今回言いたいことの例に挙げるのは相応しくなかったな、と思ってるのですが、TVCM、昔に比べて、より一層、ロジカルじゃなくなったな、と思ったのです。

昔のTVCMは、「それがどうしてそうなる?」という論理の十分な説明はないにしても、「有効成分ナントカが疲れに効く!」みたいな、いちおう、「その効果の元はこれなんです」という因果の名詞は言ってたような気がするんです。でも、(ジョイ ジェルタブのCMは実はこうじゃなかったっぽいんですが、あくまで例えばの話、)「ジョイ ジェルタブは予洗い要りません!」みたいな、「それなんで?」というとこを一切言わないで、「できます!」としか言わなくなったような気がします。

これは、世間の感覚にやはり敏感に反応しているのではないかと思うのです。今の一般消費者は、何ができるかしか気にしない。「なぜ」できるかは知ろうとしない、できなかったら「責任とれ!」と言えばそれでいい、と思っている節があるから。「できるってゆったやろ!」てなもんです。これは、返品OKが一般的になったことも後押ししていると思います。

確かに、スピード社会だし、モノの仕組みは複雑だし、スマホがなぜアプリ動かせるかなんてどう考えたって判りっこないし、そういうものが増えて、「なぜ」を問うこと自体が相当困難になっているとは思います。だけど、「なぜ」を省略したほうが効率的なように見えて、もし、できなかったとき、そのコストを回収するための様々なコスト(時間とか、請求の手間とか、交渉のストレスとか)は、結局高くついていることが多いと思います。なにより、「なぜ」を問わないことで、自分達が住む社会の思考能力が劣化していきます。当たり前のことが当たり前として作用する、安全で快適な社会は、ひとりひとりが律儀に「なぜ」を考える努力があって初めて成り立つと思うのです。