『まぼろしハワイ』���よしもとばなな

まぼろしハワイ
よしもと ばなな
幻冬舎  2007-09-26

by G-Tools

 読んでいる最中、そして読み終わった後も感じたことが���つあって、ひとつは、「このストーリーはハワイでなければ起こり得ないようでいて実はどこでも起こり得ること、とかすかに感じさせるようなところがあるけど、もっとはっきりそう伝えてほしい」ということ、もうひとつは、「これは生の喜びを描いているようで実は”いかに死ぬか”を書いているのではないか」ということだった。

 オハナもコーちゃんもコホラも、���例によって���特殊な家族事情を抱えているが、それらを解き解くのが
ハワイの自然・生命の力のように描かれている。でも確かにハワイの気候や自然は特殊かも知れないけれど、そうじゃなきゃ何かがよくならないとしたら、それほど不幸なこともない。『まぼろしハワイ』は、ハワイならではのようで、ハワイならではない何かが詰まっている。でも、あまり目立ってない気がする。そこを目立たせるのかどうかは悩みどころだったのだと思う。

 もう一つの思ったことというのは、これはあとがきを読んで更に思いを強くした。『まぼろしハワイ』の「生の喜び」というのは、「今を生きる」というような、日々の日常生活をきちんとするといったことではなくて、「先を見据えている」芯の強さが滲んでいるし、あとがきには何度も別れについてかかれている。別れというのは恋人と別れるだけじゃない。「いつか終わる」ことを想像していないと何にも感謝できないというのは恥ずかしいことだけど、今に「やらないよりはマシ」という気持ちになってるのだろう。

p23 でもきっと逃げ出しても楽しくなったわけじゃないんだ、そう思った。
p55 そういうことじゃなくって、なんか私の世代はあんまりそういうふうにぐっと人の近くに行くことができないのよ。
p55 甘えっ子同士だと寄りかかり合って自滅しちゃうもんね。
p95 あさみさんはしみじみと言ったが、そこにはもう恋心はなく、ふたりはもう終わっているのだな、と私ははじめてほんとうに思った。
p133 施設に入りたがったとしても、妻子や仕事を捨てて毎日行くし世話をするだろう。それは僕がしなくてはならないことにもう決まっているのだ。
p136 ちょっと楽をしようと思って、飲んでいるが車に乗ってしまって、もしなにかが起きたらどうしようというふうに思わず、特に責任を取る気もなく、運を天にま
かせて、自分だけは死なないし人も轢かないと思っているような人は、事故が起きると突然神妙になる。ありえないことが起きた、信じられない、まずそのこと
で、その程度のことでいっぱいになってしまう。その程度の想像力しかない奴に親のいる人生を奪われた僕のような人間はどうしたらいいのだろう、と思う
p216 彼の運転はうまく、そして人を乗せているので慎重だった。
p227 それは、ぎらぎらして待っていてもなかなか叶いそうにない夢ですね。
p227 でもあたかも願望が実現しているようでいて、実はそれって自分という名前の檻に閉じ込められているのとあまり変わらないように思うんだけど。