『そうか、もう君はいないのか』���城山三郎

そうか、もう君はいないのか
城山三郎
新潮社  2008-01-24

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 読了していて感想が書けてなかった本その���。年末休暇を利用して一気に書いてみよう。

 城山三郎は一冊も読んだことがない。それでいて、城山三郎はなんとなく知っていた。それでこの本を手に取ってみた。タイトルに代表されるような惜別の言葉は、ありふれている言葉なのに寒くならない。なぜだろう���もちろん、寒く感じる人もいるのだろう。城山三郎と同世代の人は寒く感じないのだろう���だから売れたのだろう���。でも、たいていの人には、ちゃんと伝わる言葉な気がする。なぜだろう���心底から吐き出せている言葉というのは、言葉遣いが同じでも、ちゃんと伝わる言葉になって出てくるんだろう。そこまで自分も思い詰めたいと焦ると同時に、言葉に希望を持つことのできる一冊だった。

p35 アンブローズ・ビアスによると、「人間、頭がおかしくなると、やることが二つある。ひとつは、自殺。ひとつは結婚」
p48 死火山ではなく、いつ爆発するかもしれない休火山。
p53 相変わらず組織のほうを大事にする日本と日本人を、商社マンの実態を借りて描きたかった。
p63 小説は小説であって、社会小説とか経済小説とかレッテルが必要なのは面白くない、という思いは私にあったが、「作家も多いのだから、イメージを定着させるのが大事」という編集者の言葉も当然のことなのかも知れなかった。
p66 ともかく私にしか書けない小説を書くためには、一刻も早く、この暖かな呪縛のようなものから抜け出さなくてはならぬ。
p72 多くのマスコミが「大江・開高の時代」で塗り潰される形となって、私に限らず新人作家への目配りが薄れるというか、冷たくなった。
p76 イタリアの経済学者パレートが好んだ、「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」という箴言を、何度も口ずさみながら。
p95 「あら、そうだったの。残念ね。」
p111 この作品は、容子の死のおかげで、テーマが変わったというか、書き上げることができた。
p118 それもその筈、後になってわかったのだが、この頃すでに癌細胞が血液の中に入りこんでいての悪戯���頭脳の機能を阻害したための事故であった。
p125 他人については描写したことがあっても、私自身には、何の心用意もできて居らず、ただ緊張するばかりであった。
p131 たしかに容子ならそう言うだろうし、そう望むだろう。そして、いまばかりは私の我を通すより、容子の望むように行動してやりたい。