『わたしのマトカ』���片桐はいり

わたしのマトカ
片桐 はいり
幻冬舎  2006-03

by G-Tools


 『かもめ食堂』撮影のため滞在したフィンランドでの���カ月���αを綴った、片桐はいりのエッセイ。

 これが初分筆とは思えないおもしろさ。最初のほうで、片桐はいりが、父親が割とエリートでいいところの出身だということが簡潔ながら読みとれ、やはり幼少時代の経験と教育は大きいものだと改めて感じるが、それはさておき、やはり人生を豊かにするのは行動力だなあとほとほと痛感する。僕は、危ないとわかってる橋を敢えて渡って怪我するのは阿呆と思って生きてきたので、それなりに順調にはこれたけれどもその代りに厚みのない、誠に薄っぺらい経験しかない薄っぺらい人間になってしまった。今からでも遅くはないのかなあ、と、このエッセイは思わせてくれた。
 なんでフィンランド人はこんなに木訥なのか���フィンランドに���度訪問した僕も確かにそう思う。その理由を頭でいろいろ考えるほうに興味がわくか、木訥なフィンランド人と触れ合うことに楽しさを感じるか。僕はそのどちらも手を出すような、よくどしい生き方をしてみようと思う。

 エッセイの内容とは全然関係ないけれど、「外国の劇場に行くと、そこに集まる観客の年齢層や、人種の多様さに驚くことがままある」とあるが、B'zのライブに行くと同じようなことを思うことがある。規模が全然違うとは思うけれど、ある一定の歴史を積み重ねることでしか、そういう多様性を実現することはできないような気がする。無理に多様性を求める必要はないけれど、無理にセグメンテーションするやり方も、そろそろどうなんだろうか���と思ったりした。

 あと、なぜか途中まで作者がもたいまさこだと思ってた。それにしても幻冬舎はほんとにやり手。

p32 「だけど最初のこの時、博物館前で降りたのは、確かにわたしひとりだった。」
p39 「「わたしたちにはフィンランドの料理しかできない」というかたち覚悟でつけられた名前が「カハビラ・スオミ」つまり「スオミ食堂」というわけだ」
p56 「国家予算の文化にさかれる割合も、フランスほどではないにしろ、かなり高い」
p76 「不思議なことにもみ洗いをしてもらった翌日、嘘みたいに体が軽くなったのだ」
p89 「ここまでかけ離れた歳格好の人たちが、一堂に会しているのを見るのもめずらしい」
p96 「トランポリンがあります���」
p130 「そんなぎりぎり切実なこだわりが、あの機能的で美しい北欧家具を生むのだろう」
p148 「ささいな理不尽にいちいち目くじらを立てて、小さな復讐をくりかえすよりも、もっと上等な武器を手に入れたような気がした。余裕、という武器。」