『世界は単純なものに違いない』���有吉玉青

世界は単純なものに違いない
有吉 玉青
平凡社  2006-11-11

by G-Tools

新聞・雑誌に掲載されたエッセイを集めた一冊。  

書かれている内容は、ほとんどが「うんうん、そうだそうだ」と納得できる内容で、もっと言うと、今まで自分が世間の矛盾とかおかしいと思うこととかに対して自分なりに筋道たてて理解しようとした結果が、そこに書かれている感じ。再確認・再認識できる。こう書くとすごく傲慢になっちゃうけど、そうではなくて、何か自分の考えを言ってみると取り合えずの同調よりもすぐ反論を食らう僕としては、頭の中に立ち上った感覚や考えを、納得させることのできる言葉に落とせる力は凄いことだと思うのだ。そして、文章を書くということは、突飛なことを思いつく能力よりも、正しく言葉に落とし込む力があれば道が開けるのだということも。

もっとも印象に残るのは、表題にもなっている『世界は単純なものに違いない』。このエッセイは、『浮き雲』という映画にまつわる話なんだけど、著者は、いいことがおきても悪いことがおきても無表情に見える主人公から、世界はいいことか悪いことしか起こらない単純なおのだから、絶望する必要はない、という結論を得る。けれど、この映画の舞台はフィンランドで、フィンランド人は喜怒哀楽をあまり表に出さないということを知っている僕は、ちょっとその結論に疑問を持った。そしたら、���追記���という記載があり、「この映画のラストシーンの二人の表情は、希望にみちあふれていると見るのが正しいのだそうだ」と書かれていた。でも、著者は「映画の見方に正しいも正しくないもない」と続ける。まったくその通りだと思う。予備知識が多いことで、より深かったり正しかったりする読取ができるかも知れないが、決してそれがすべてではない。

���������「子供の頃は、体育ができないというのは、屈辱以外の何ものでもないのだ」
���������「問題には解決のつかないものがあるということを知らず、」
���������「かくして問題は自己の内側に求められることになる。モラトリアムと言われる世代が誕生した」
���������「わけもなく、あんなに何かに一生懸命になれたのは、あの頃までだったと今になって思う」
���������「人は、なぜか別れてしまう」
���������「パイロットの妻」
���������「浮き雲」
������������「どうも最近、リバイバルやアーカイヴが多いような気がするけれど、それは必ずしも昔はよかったという懐古趣味なのではなく、たくわえられたものの表出でもあるだろう」
������������「そして、これが「不惑」ということなのでしょうか」
������������「また、自分のことと親のこと、どちらが大切なのかというのは問いの立て方が間違っている」
������������「娘としては、母には友達のおかあさんのように家にいて料理や選択をし、体操着の袋に可愛い刺繍をしてほしかったのだ」
������������「ハイダの人は、こうであるに違いない。あるいは、こうあってほしいと彼らの日常に自分にとっての非日常なものを求めていたから、私はウォッチマン・キャビンの内部があまりにもモダンであることに、少なからず落胆したのだ」