ガー・レイノルズさんの「プレゼンテーションの極意」@生駒オンリー・ワン講座を聴講しました

プレゼンを「する」能力をあげるべきなのか、「聞く」能力をあげるべきなのか。

ガー・レイノルズさんと言えば『プレゼンテーションZEN』の著者の方です。

「プレゼンテーション」という言葉に、多少なり躊躇いとか抵抗とかを覚える人がいて、その理由の最も大きなところは「中身よりも見栄えが優先されるような気がする」というものだと思います。逆に、プレゼンテーションの重要性を伝える側は、「よいものであっても、伝え方が効果的でなければ、よいものが活かされない」という危機感から来ています。この双方のすれ違いを踏まえた上で、私が今回、受講しながらずっと考えていたのが、冒頭の、「プレゼン”する”能力をあげるべきなのか、”聞く”能力をあげるべきなのか?」という問いです。

今回のセミナーでも引用されていたTEDは、オーディエンスも優れているので、プレゼンターが中身のないプレゼンを準備することはありません。演者と観客の双方向の牽制が効いているので、高いクオリティが維持可能になっています。

PowerPointの「箇条書き」「テンプレート」はあまりにもわかりやすい例で、プレゼンテーションの話では常に攻撃対象に利用されますが、あの方式はバーバラ・ミントに従ったブレイクダウン・ストラクチャーで、型を守ることで誰でも一定のクオリティを保ったプレゼンテーションを作成することができるし、自分の意見を他人に理解してもらう上で、ブレイクダウン・ストラクチャーに則った「論理的な」記述が有効であるのを、否定できる人はいないと思います。

ブレイクダウン・ストラクチャーは、「論理的な考えは、認めなければならない」という、議論の大前提、暗黙のルールがあるからこそ活きています。だから、論理的に考える訓練を受けていなくても、「テンプレート」という「型」、つまりフォーマットに従うことで、誰でも容易に、比較的短時間で、他人を納得させることのできる、論理的に組み立てられたプレゼンテーションをつくることができます。

ということは、パワーポイントの「箇条書き」「テンプレート」への攻撃は、「論理的」な展開への攻撃と言い換えてもいいと思います。確かに、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの中では、「共感」ということが繰り返し強調されました。パッションを持って、共感を呼び寄せよう、感情に訴えかけよう、と。

ここまで考えて、私にはこのプレゼンテーションの二つの流儀は、コミュニケーションにおける神学論争ではないかと思いました。つまり、論理で理解するのか、感情で理解するのか、という神学論争。我々人類は長い間、人間は感情任せであると大きな間違いを招く危険性がある、だから理性的・論理的でいなければならないと思ってきました。しかし、現在のところ、プレゼンテーションにおいては、論理よりも感情が優先するというのが潮流のようです。つまり、「論理」という、時間を大量に必要とする形での相互理解ではなく、「感情」によって、瞬間的直観的に理解するのを是としようとしています。

ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションルールの要点のひとつは、「何を残して、後を捨てるか」ということ、これはつまり、人間の認知の限界と、世がスピード社会化していて時間が足りない、という現実を予め受け入れた上で、次善の策として、要点だけをピックアップして伝える、という解釈をすることもできるのではと思います。。もちろん、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの組み立てが、非論理的だとは思いません。けれども、根底の哲学がそういうことになると思います。

そして、このルールが牧歌的だと思うのは、それはあくまでも「聞き手」のスキルも高いときにしか成り立たないと直感的にわかるから。聞き手のスキルがそれほど高くない時、感情に訴えかけるプレゼンテーションが主流になって、その中に中身がないものが紛れ込んだとき、どんな悲劇が起きるかは簡単に想像できてしまいます。

ガー・レイノルズさんの『プレゼンテーションの極意』の要諦のひとつは、「聞き手に何かを得てもらうこと、それがプレゼンテーション」ということだったと思います。であれば、聞き手に応じた「型」を選択するところから、プレゼンテーションは始まっていると思います。どれだけ、動画も盛り込みフォントサイズも大きくしたピッチを準備しても、事業計画を説明する相手にとっては「プロトコル」があっていないということになるでしょう。その時点で「相手の立場に立てていない」ということになります。そこを踏まえた上で、今の自分にできることは、プレゼンテーション「する」能力を高めることも大事ですが、このセミナーが「生駒市民」に向けて行われた意義を顧みるとすると、市のさまざまな場面でこれから起きてくるであろうプレゼンテーションを「聞く」能力を高める努力を続けないといけないと思いました。