バトンをつなぐということ。
UNITE#02の対バン4バンドのなかで、こういう機会がなければライブで聴くことがいちばんなかったのがONE OK ROCKだったと思う。好きとか嫌いとかではなくて、今の自分の生活や年齢は、何に時間を費やすのかというのが日に日に切実になるので、他の3バンドにも時間を割けないけれど。なのでB'zが対バンを組んでくれたというのは嬉しいこと。
音はONE OK ROCKのほうがキレイだった印象。B'zももちろん盛り上がれたんだけど、ときどきすべての音量が同じ厚みで押し寄せてきて稲葉さんの声が取れない、というのがあった。というのがあって、アンコールで松本さんのギター聴いたときは、やっぱり松本さんのギターって違うんだなというのを実感。
どうやったって松本さんの出演辞退のことを考えない訳にはいかなくて、今後どうなっていくのか。今冬のドームツアーで松本さん完全復活!って稲葉さん言ってたけど、今冬はいけるかもしれないけどその先どうなるかは誰にもわからない。今でさえ、自分も含めて観れるなら何公演でも、というファンがいる。B'z Partyの優先でさえ当選しないファンがいる。そうすると公演数を増やさないといけないし、少しでも多く観たいというファン心理がより公演の形を難しくする。
ドームを5か所10回やっても、1公演5万人として50万人。やっぱりファンクラブでも当選しない人が出てくる。全部B'z Party公式デジタルチケットにすればいいのにと思うけど、チケット販売会社との兼ね合いとかがきっとあると思ってて、なのでB'z Partyでも当選しないというのが発生してると思う。
それに、みんながみんなドームに行けるとは限らない。自分も今回、UNITEには結構無理して参加した。仕事もあるし、新幹線代、宿泊代、かなりの出費になる。なんで全部横浜なんだ、と思うと、自分より東京から遠い地域の人なんかはもっとそう思うと思う。ドームに簡単にいけない地域のファンはどうなるのか。
B'zの二人もそうそう多数の公演を長期間続けられないようになると思うので、公演数x収容数をあげてカバーしていくのは限界があると思う。そうすると、考えられるのは住所制な気もする。会場最寄りの住所を証明できる人しか申し込みできなくする。特にB'z Partyチケット。その会場周辺の人数をどう読むのか、という課題もあるのはあるけれど。今までも工夫に工夫を重ねてきた運営なので、B'zの二人が続けていけて、かつ、ファンも納得できるようなやり方を考えてくれると信じてます。
]]>世間に認められない状況というのはLGBTQ+に限ったことではない。これがLGBTQ+の話だったら読み手の想像力の働き方が一段単純になるところだけど、そうではない状況で組み立てられているところに惹きつけられて一気に読んだ。周囲に絶対理解されないということと、理解だけではなく法律的にも自然の摂理的にもNGであることは別のことで、主人公の立場はその両方にある。そして主人公はいわゆる「強い」女性であり弁護士であり、自分の強さに対するそれまでの周囲の「無理解」に対する不満が、自分自身が周囲に対して(身内に対しても)見える範囲で判断していたという「無理解」に気づくことが起こり、第3篇の「ハッピーエンド」につながる。「ハッピーエンド」という章タイトルを見たとき、不穏な印象を受けるけれど、その不穏さがどこまであたっていてどこまで間違っているかも、自分が何をどこまで見ているのかの物差しになるような気がした。
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お客様先に、駅から徒歩で向かうにはちょっと早過ぎたのでブックファーストへ。店内撮影OK!と書かれた案内を、私は初めて見た気がします。これまでも何度か立ち寄ったことがあるんですが今回初めてこの案内に気づきました。
ちょうとNHKでやってるドラマを観てるので、買うのは読み返す用に『神の子どもたちはみな踊る』かな〜と思ってたら近くの『かわいそうだね?』が目に入る。娘はいろいろ日々忙しそうで、自分の好きな本しか読む時間がなさそうだけど、こういう小説を読んでほしいものだなあと思って購入。
#ブックファースト
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予防歯科通いのついでに立ち寄って、娘に新しい国語辞書を買おうと吟味して買ったあと、店を出る段になって入り口のプッシュで目に入った一冊。もう出て半年近く経つ本なんだーと、自分のアンテナの鈍りに軽い失望。ネットのブックレビューだけだと、意識して頑張って偏りをなくしたとて流入量が絶対的に少ないので書店に立ち寄るの大事。
]]>どうやったって寂しさは募る。
去年の稲葉さんソロのときも、「もうこれで見れないかもしれない」と思ってしまう感が、自分のネガティブさや諸々のインタビュー記事やであったうえに、今回のINABA/SALASでは、それこそインタビューではっきりと「お互い年なので、この先はタイミング的にもう難しいだろうなと」と答えていたので、どれだけ「Only Hello」と言われたって寂しさは募る。INABA/SALASがこれで打ち止めというだけだとしても、「打ち止め」の存在が、いずれはB'zも⋯と想像せざるを得ないわけで、先のことを嘆くよりも今を大事に生きろと言われても先のことと同じことが眼前に繰り広げられると悄然としてしまうのは無理からぬこと。
誰も見ていないブログとは言えまだツアー中ではあるのでセトリについては触れないようにして、「聴きたいな」と思ってた曲がすべて聴けて満足。この曲で励まされたい、と思ったり、この辛口の曲で痺れたい、と思ったのが全部聴けた。INABA/SALASは踊れる感が強い音がやっぱりB'z・稲葉さんソロとは違うなあと実感。
稲葉さん、「また会いましょう」としか言わなかったので、あれはOnly Helloの裏っ返しだよね。INABA/SALASはこれでバイバイだよ、と(ツアーはまだ続くけど)。なのに最後の最後いつものように「じゃあね、バイバイ!」と言っちゃって、「じゃなかった、ハロー!」と言っててややこしくなってた。あれは毎度あんなふうなんでしょうか?今日だけ??
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仕事で千里中央に行った際、イオンSENRITOに入ってる書店で見かけ、気になったけどそのときは買わなかった(読んでいる本が多数あったから)。で、今日、博多出張で空き時間に丸善に寄ってみたら「話題の本」の棚で再び見かけて今回は購入。
それにしても、この丸善は購買欲をそそる。難波のジュンク堂のように、静寂と書籍群の圧倒という、メガ書店の迫力ではなく、敷地は確かに広大でまだ奥に行けるまだ奥に行けるという探索の喜びはあるのだけど、それよりも雑多感からくる高揚が楽しいのだと思う。中央側が割と背丈の低いつくりで視界がごちゃごちゃとなるのもいい。
そうして見つけた『女の子のための西洋哲学入門』。完全に買う気になったけど出張中で鞄に入り切らないと思ったので泣く泣く断念。週末に地元で買うか。売ってないかな...
]]>走り納め。
2024年は秋からほとんど走らなかった。特に何という明確な理由もないけれど。11月末まで陽気が続いたのでまたとない秋だったはずだけれど。そんな中、一度試そうと思っていたこのルートが本当に気に入って、3回目にして走り納めに。ほとんど登りがなく、50kmを飽きずに走れるルート。終盤でラーメンを食べられるこのルート。
天理に入ったところで、インナーに落としたフロントがアウターに戻らず。いったん止まってワイヤーやシフターの状態を見た結果、シフターに籾殻が入ってて噛んでるようと思い、それを取り出してシフトチェンジできることを確認。ワイヤーはそろそろメンテしないとと思ってたところでもあるので、オーバーホールを考えないと。
天気予報で「西風6m」を見ていたので覚悟はしていたけれど、天理からの後半は延々吹かれて辛かった。ハンドルを取られたり、ほんとに全く進まなかったり。ただ、意外とやめたいと思うような気分にはならなかった。これも、慣れている道のメリット。
]]>新しいヘルメットをお試し。
もう10年近くKASK Mojitoを愛用してて、「ヘルメットは2,3年で買い替えないといけない」とか読んだことあるけど、流石になかなか値の張るものなので2,3年で買い替えとはいかずここまで来て、しかし内部のインナーパッドが剥がれに剥がれてしまっていて、インナーパッドを買って補修するか買い替えるか数ヶ月悩んで、買い替えるならどれに買い替えるかいろいろ見漁ってみて、K-PLUS NOVAがよさげと購入。そのお試しライドに、以前仕事で都道府県CIOフォーラムというのに参加してCIOじゃないのにベンダ側で視察ツアーに参加した際の行き先だったなら歴史芸術文化村が、場所もよかったけどそこまでの道が走るのによさそうだなと覚えてて行ってみることに。
生駒から時計回りに奈良→天理→王寺と四角形を描くこのルート、なんで今まで気づかなかったんだろうというくらいちょうどいいコースだった。50km前後を走るのにはもってこい。遅めに出れば、こんなふうに帰りの途中にちかみちらーめんによって一杯食べて帰れる(笑)。午前中にさっと流したいのでもいい。もっと短いか、もっと長いかしか今まで考えてこなかったけど、そこまでハードでもなくそこまで軽くもない、ちょうどいいくらいのライドをもっとしばしばやりたいような、もっと日常にしたいみたいな気持ちが芽生えているのかもしれない。
]]>IN/SECTS vol.13で紹介されている書店巡り@東京!
機会があったら行ってみようと、IN/SECTS vol.13で紹介されている書店はGoogle Mapにピン打ってマップにしてあって、この日まとまった空き時間があったので上野あたりを巡ってみることにし、訪れたのがReadin' Writin'。
紹介されている紙面で写真を見て、それが「東京」とか紹介されていると、どれだけ賑やかなところにあるのかなって勝手に思い込んでいたけど、もちろん奈良に比べたら人出の数は比べ物にならないんだけど、「この通りのそこを曲がったその通りにほんとにあるの?」ってくらい、言ったら普通の路地みたいなところにあったのが驚きでした。恐る恐る入店する感じ。逆に緊張する感じ。
ちょうど入ったときに、先のお客さんが会計終わったところで、ご主人の「ありがとうございました」って柔らかい声が聞こえたので、「あ、ここ、いやすい」と思ってゆっくり陳列を見て回りました。エッセンシャルワーカーや北朝鮮関連の書籍に惹きつけられたのですが、『IN/SECTS 本をつくって本を売る』が目に入ったので「この旅で買わなきゃいつ買うねん」と手に取った近くに『現代思想+ 15歳からのブックガイド』があり、娘がパラパラ目を通して、何か見てはいけないようなものを見た感覚になって、少し背伸びしてみようと思ってくれたらいいなとこれも購入。
レジで「PayPayだけ使えないんです」と言われ、 PayPayを拒絶している私は不便なかったのですが、その理由に始まるお話を聞いて、自分が思ってることに近い感じがして、書店という器のフィーリングがあってたら、そこの人ともフィーリング近いのかも、なんて思ったり。
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文庫本が出たというネットニュースを見て、まず本作自体聞き覚えなくて、NHKでドラマ化されてるくらいなのに知らなかったのが情けないのと、代理母というテーマに強い興味を引かれ、ひとまず最寄りのこの書店へ。改めて探してみると、この規模の書店だと書籍数が少なく感じてしまう、ということ。でもふと、本屋が元気だったと言われる90年代の、自分が中学・高校のときの、当時の田舎の書店の記憶を思い起こすと、この啓林堂書店生駒店のサイズと対して変わらない。なのに、あの当時、書店に足を踏み入れることがあんなにわくわくしたのは、自分の好奇心の強さの違いからではないのか。同じ棚のサイズなら、並ぶ書籍の種類・数は同じに決まってる。読んだことのある本の率もそうは違わないはず。だとすると、「つまらない」と決めてかかる率が年々上がってるだけじゃないのか。そんなことを考えながら本著を探したら、文庫本出たてということもあり、3冊入荷されているのを見つけた。
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zeppもそうだけど大阪城ホールだってもう見れるチャンスあるかどうかわからないから目一杯楽しみました!
今回、ひさびさにツアーの感想を書いているSNSとかブログとかを漁ってみて(なぜ漁らなくなったかと言えば、Googleで検索しても個人のサイトがまったく上がってこなくなったから。2000年代はほんと良かった)、たまたま、「ファンクラブ抽選で何度も何度も全滅食らうのに、当たる人は毎回当たっててこの不公平感がイヤでビーパを離れてた」と書いている方のブログを読んで、自分もそうなので気持ちがすごいわかるとともに、冒頭に書いた「大阪城ホールだって見れるチャンスもうないかもしれない」という思いに至ったのでした。
いろいろ漁りつつもセトリは周到に避けてて、日替わりパートも、曜日が同じだからSky Expoと同じ曲だろうと思ってたら3曲とも違ってマジびっくり。日替わり3曲は3曲とも大阪城ホール版が良かったのでこれはどうしても書きたい!こんなブログだれも見てないと思うので、といいつつ一応余白とって最後に書くことにしよう。
稲葉さんが今年還暦というのが度々触れられてて、自分も五十を超えているので何を言うかという感じですが、自分たちが二十代三十代のとき、団塊の世代たちは時代の激動を「しなやかに」生きている、という表現をよく見かけて、その称揚のされ方がどうにも胡散臭くて嫌いだったし今も嫌い。稲葉さんの歌詞にはあまり「しなやか」という言葉は出てこない気がする。そもそも稲葉さんは一度使った言葉を二度三度使わないけれど。あの「しなやか」という言葉の用法は、「上手に」という含意があり、しかもそれをポジティブに味付けされていて、それまでの自分が行ったことのマイナス面に無反省な感じが受け入れられなかった。今も受け入れられない。そういう、「旅の恥はかき捨て」的な生き方がおそらく富を最大化する生き方なのだろうけど、それは受け入れられないし、稲葉さんの歌詞もスタンスとしてのそういう「しなやか」とはかなり無縁に感じている。『ブラックホール』なんかはまさにそうだと思う。『NOW』もそう。けして過去をチャラにしない。思い悩むことを捨てたりしない。それでもって「答えなど探すなという」。痺れます。同時代にこんな偉大な先輩がいることを本当に感謝です。
さて日替わりについて!
このくらいで。
1発目『波』!聴こえた時点で、「もっと奥へ」で「キャーーー!」てなるだろうなって思ったら、意外とそうでもないように感じたのは、『touch』を聞いたのがZeppで小さかったからよくわかったってことなのか、大阪のオーディエンスは色気より熱さを求めてるから曲全体で盛り上がってたのか。『波』の世界観夢幻感がめっっちゃでてました。
2発目『正面衝突』!これほんと聴きたかったというかノリたかったんでイントロ聴こえて燃えました。摩擦係数の、妙!意外と妙!やるひと少なかったけどお構いなしw隣の女性が、始終手拍子も少なめ手挙げも少なめで、どういうモチベで来たんだろう?と不思議なんですがこの曲だけは間奏のゆーらゆーら振り付け含めて完璧にやってたので『正面衝突』が好きなのかも。
3発目『あの命この命』!これ、zeppの前、ツアー発表されたときから「聴きたいな」とぼんやり思ってたので聴けて感激。涙出そうになります。こういうどん詰まりのことを考え抜くスタンスが稲葉さんに心酔してしまうところなのです。
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2回目のライブ。Sky Expoは初めての会場。奇しくもen-zeppと同じ空港近く。飛行機乗るわけではないけれど空港近くにいくって非日常感があってちょっと浮足立つ感じなのが楽しい。
B'zを考えたら、この規模の会場って、最高峰の席でも万々歳の広さ(狭さ)なんだけど、Zeppを体験した後では・・・。予定があって入場直前に会場についたけど、案外グッズも残っていたみたいで(これまた都合があって買わなかったけど)、なんとなく、まわりの雰囲気がテンション低いのでは・・・と思ってたら、やっぱり後方だったからか、ぐわーーーっていう熱はない感じ。けど、Zepp思い出してみたらまわりそんなに髪振り乱して盛り上がってた人がいっぱいだった訳ではなく、密集感というか狭さ感というか、そういう差かな、と気を取り直してテンションを上げる。
アリーナはアリーナらしいセトリで、en-zeppより30分くらい長かった、と思う。後半、ところどころ稲葉さん調子よくないのかな?と思うところがあったけど、とにかく『只者』の各曲が響き過ぎで。『DINOSAUR』くらいからの、同世代感、今を一緒に生きてる感がばんばん響いてきて。こんな先輩がいてくれていることが幸せで幸せで。同じように皆誰もが考えるわけではなくて、というかどちらかというとそう考えない人たちに囲まれるほうが断然多い人生で、どういうふうに生きていくかって毎日考えさせてくれる。
次回も楽しみ。
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一生に1回しかないen-Zepp Day2、ってMCが、はっとするし、しんみりするし、奮い立たされる。
それはそうなんだけど、その手の言葉の先に思い起こしがちな暗さがないところが稲葉さんだなと思う。それはとても大切でとても当たり前のことなんだよと丁寧に杭を打たれるような。ぼそっと言ったこの一言を胸に大事に持って帰った人、いっぱいいたと思う。
しょっぱなから叫べる曲が多くて、Zeppでライブ観てる感にばっちりぴったり。Zeppで稲葉さん観るのはもちろん初めてで、他のバンドとかをZeppで観るときとおんなじ盛り上がり方。開演5分前くらいに後ろで「さあ始まったらもみくちゃになるよ〜」と言ってた人がいたけど、たぶんB'zファンそんなことしないよ〜と思ってたら案の定誰も前に押し進んだりしない、もちろんモッシュなんか起きない。それでも「ああZeppでライブ観てるんだなあ」って感慨に浸れる最高のセトリ。
6公演するって時点でファンなら誰しも気づいた通りだったけどそれだけじゃないところもあって、とにかくまた前に進む身の引き締めを頂いたって感じ。どんなに割を食っても、流されそうになっても、こんなもんでいいやって思いそうになっても、自分が信じるものを大事にやり続けていきましょうというエネルギーを貰えた。
空港の近くでライブをやるというのは、ホテルもあるしなるほどなーと今回初めて思った。松本さんの豊中ライブも行って思うけど、この規模で観られるならソロをやり続けてくれたらいいやって思うけど、B'z観たらやっぱりB'zいいなって思うねんな。
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大学来の親友が伝えるためだけにDMを打って教えてくれた鴨葱書店。私の本好き書店好きを知っているので(年一,二で飲む機会に、行きたい本屋に付き合ってくれたこともある)教えてくれた。娘の中学入試のための見学会で京都に行く機会ができたので、あわせて行ってみた。
11:00の開店間もなく入店したので、日曜の朝だしお客さんは他におらず入っても来なかった。店主もいるのかいないのかわからないくらいの気配の消しよう。他の日はそうではないのかもしれないし、京都独特な「一見客対応」のように感じるのもこちらの偏見なのかもしれないけど、しかし、この書店の接客としてはぴったりだったと思う。
入口入るなり眼前に並ぶ思想書哲学書。比較的思想書哲学書好きなほうなのでいろいろ目に入れてるつもりだけど見たことのない書物がわっと目に来る。サイン本なんかも並ぶ。新刊で読みたいと思っていた書籍も揃う中、ほんとにここで出会った一冊を買うのがやっぱりいいだろうと決めたのが『CONTEXT DESIGN』。2019年に刊行されていたと全然知らなかった。自身の生来のテーマに重なる内容でほんとにいい一冊に出会えた。親友に感謝。
鴨葱書店 京都府京都市南区東九条東岩本町11-4
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家族で出かけた帰りの京橋駅で京阪モールに立ち寄り、千房でおひるしてぶらぶらしてたら紀伊國屋書店に突き当たる。我が家は本屋でほしい本があったら買うのは私の財布からになっているので、家族みんな張り切って棚を巡り始める。
今朝、おはよう日本で『方舟を燃やす』に関する著者インタビューを観たところで、実書に出会ったら買いたくなるに違いないけど、先日『DJヒロヒト』を買ったところで連日この金額の書籍を購入するのは厳しいなと思っていたところ、行き着いたエリアには文芸の棚がなく、よかったよかったと目についた見たことのない文芸誌『スピン』を買って帰ろうとし、家族が持ってきたアイテム(本ではなかった)を抱えてレジに向かったら、レジの向こう側に文芸棚群が…。家族も文芸棚を求めていたようで、もうちょっと探すと言ってそちらに行ってしまい、勢い自分も棚をウロウロしてしまい、結局『方舟を燃やす』を見つけてしまった。
でも気になってたんだからこれでよいのだ。
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先週体を暑さに慣らしてところ、今日はそこまで気温も上がらない走りやすい絶好の天気、初詣の際に返すのを漏らしていた御守を春日大社に返したあと、以前から行きたいと思っていたところに向かう道中でパンク。実際には空気が残っていて、シーラントも入れていないピュアなチューブレスで使ってて、乏しい知識ではスローパンクだとしてもそんなに空気が残らないのでは?と思い、どこからか空気が漏れているかと調べてみてもそれっぽいところがない。じゃあ空気を入れてみようと携行ポンプを持ち出したものの、チューブレスに変えてから初めて携行ポンプを使ってみたらバルブに全然噛み合わない。仕方がない、いざと言うときのために携行してたファーストリスポーン、ガス込みの補修材を使ってみたら、思ってたよりちゃんと使うことができ、充填もでき、走れる状態に復帰した。
そのとき、後ろからおばあさんが「空気入れあるよ、貸してあげるよ」と声をかけてくださった。近くの(たぶん止めていた場所の脇が高台になっていてそこから)お家のおばあさんが、私が停車して空気を入れているのを見てやってきてくださったのだ。私はこういうとき、うまく会話ができないタチだったが、なぜか今回はおばあさんの好意を無駄にしてしまったと悔やむことのない、気持ちよい会話を続けて感謝の念を伝えることができた。親切に声をかけてくださったことに、心から感謝したからできたことのような気がする。
独走会という名前をつけているけれど、もちろんひとりで気ままに気楽に、でもこういうトラブルが起きた際も独力で解決するのをしょいこんで行動するのが好きなのだけれど、誰かの好意親切を「ありがとう」とありがたく受け入れられることもまた、独走会という名前をつけた裏に込めた気持ちだったことを思い出した。
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あまりに走ってなくて、この連休に走らないとほんとにめんどくさい病が治らないのではないかと、とにかくどこへでもいいから走るのは絶対走ると固く心に誓ったら、なんといきなり25℃を超える夏日になるとかなんとかで、これは暑さに体を慣らす日にしたほうがいいと、むしろ軽く流すくらいにしようと考えたらやる気が下がるのもうまく回避。
こういうとき、ちょっと会いに行ける目的地というかイベントというかがあるのはほんとにありがたいことで、何も考えずに走る先の転害門に着いた後、やっさんに会いに奈良フードシェッドへ。いつもただコーヒーを飲んで、4,5分駄弁って帰るってだけなんだけど、ちょっと言ってもなにか話を振って盛り上げてくれるサービス精神旺盛な人が友達にいるってありがたい。自分がいかに、そういう「話し上手」な人に助けられて人間関係を維持してこれたのかというのを痛感する。何も知らないことで卑屈になるのと攻撃的になるのは知ることで解消できるので勉強するし、どんな状態でも落ち着いたスタンスで話すというのは大切なことだから改めて気をつけよう。
しばらく乗ってなかったんで少しの坂もキツかったし、暑さも本当にこたえた。これで慣らしたので、1週間以内にできるだけ乗らないと慣らした意味がないので絶対乗る。
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娘が塾の国語のテキストに出てきた小説を結構な頻度で気にいるのだけど、『空中ブランコ』の名が出てきて、今までと少しフェーズが変わったなと感じ、この機会を逃さず読んでみてもらおうと近所の啓林堂書店生駒店へ。首尾よく文庫本が棚にあったのでゲットし、ついでに芥川賞か直木賞かを…と思いつつ棚をブラウジングしていたら文芸誌の棚が。『言葉の繭』で、島田氏が文芸誌のことを対談で語っていたのも記憶に新しかったので、全文掲載されている訳ではないけれど直木賞2作が掲載されている『オール読物』を。
文芸誌はもう数十年遠ざかっていたが、なんとなく今気分な気がする。文芸誌の戦略上、続き物が多いというのはあるけれど、なんとなく多種多彩な著者の、ボリューム満点の活字がてんこ盛りになっているメディアって今の気分な気がする。
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年を取ると年々「お、おもろそうやんか」という勢いだけで動いちゃうということがなくなってくる。近所に新しいラーメン屋ができたと聞いて「ちょっと試そう」とかいうのですら、「そんなわざわざいかんでもなんかついでがあったらでええやん」的な気分にすぐ陥る。なので、年を取って初めて、クラブやサークルといった、「やらないといけない感」のある集いがモチベーションになる、という感覚を実感することになった。たいていの人は、生まれたときからそれに納得していて何かに所属することに抵抗することがないのだろうと今になって初めて気づくことになった。恐ろしいことだ。
そういう訳で、ふうせんかずらでお友達になった棚音さんがどこかに出店するというのは、僕にとっては行動を起こすスイッチになっている。何も考えず「会いに行って一冊買いたいな〜」という気分が湧いてくるし、そこに買いたい一冊があると確信しているからなのだ。今回は、Instagramで『夏葉社日記』を取り置きしてくれるという案内が出てたのでイチもニもなく取り置きお願いして、満開の桜並木の佐保川を新大宮からレンタサイクルで駆け下りて受け取りにあがりました。そしたら、なんとこのタイミングで夏葉社を取材したという桜美林文学会発行の限定500部無償配布の『言葉の繭』をお譲り頂いた!! これはもう家宝です。大事に大事に読みたいと思います。
大事にしたいものを大事にするために、時間を大事にしないといけないし、時間を大事に過ごすためには健康の維持も大切だし、体だけでなく心も健康に過ごすためには無為な時間も大事。一切手を抜いている暇なんてない。
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ネットの書評で見かけて今すぐにでも欲しくなり、その日の夜に近所の啓林堂書店に探しに行こうと思ったけれど、こんな感じのちょっと尖ったのは置いてなさそうな予感がして、翌日出社の予定ができたのでジュンク堂難波店で購入。かつて、近所に本屋が3件あったときには、もしかしたら三軒回ったらそれぞれ趣向が違うところがあるので一軒くらいは…という期待も持てたけど、そういう期待は効率性の名のもとにかき消された現実を再実感。ジュンク堂でも探すのが難しそうだったので、時間が限られていたので蔵書検索を久しぶりに使った。棚も、ぼんやり想定していた棚とはちょっと違う棚で驚いたけど、より驚いたのは「蔵書:2」で棚には1冊しかなかったこと。こういうタイプの書籍はジュンク堂と言えどもそれくらいしか在庫してないと初めて気づいた。
1991年から2004年まで東京のホームレス女性が書き続けたノートの抜粋を、有志が書き起こし編集した一冊。女性は既に亡くなっており、女性の知人たちが火葬の際にその膨大なノートも一緒に火葬しようと思ったがノートの内容を見て思いとどまりワークショップを続けられた。女性の「書き続ける」という執念に惹きつけられて購入したけれど、書くことと生きること(稼ぐことではない)がニアリーイコールになっている人の書いている文章からこちらに襲ってくるのは執念どころではなかった。
半年関わらせて頂いた、いこま未来labの最終報告会。自分がPM担当したクラブチームも他の2チームも自分たちが得たものを見事に言語化できたプレゼンで感動だったが今すぐに書くのはそれではなく、登校できない学生についてだ。
このプロジェクトに関わっている間に、登校拒否やそれに近しい状況にある高校生の話を少なくない数耳にした。もちろんニュースなどで登校拒否や引きこもりが少なくない数であることは頭にはあったが、自分の見聞きできる範囲、自分が話ができる、会える範囲で少なくない数聞いたことで現実感がいきなり現出した。
私は登校拒否を責めるものではない。私が学生だった昭和ー平成初期の頃とは違い、今は実際に取ることのできる選択肢が増えているし、学校にいかないという選択肢が実際にあってもいい状況になっていることは理解している。しかし、登校拒否とまではいかなくとも、「人と接するのが怖い」という若者がこれだけ実際いるということに震撼した。
我々の時代は学校にいかなくなるということはニアリーイコールドロップアウトするくらいの価値観が支配していたが、だから「人と接するのが怖い」という若者も無理して我慢して登校していたのだろうか。そうだとしたらその時の無理が表出している事象というのにも思い当たる。その無理をしなくてもいいよという寛容が生まれたとき、登校拒否が増えるのだとしたら悲しいがおそらく事情はそうではない。そうではないところで現代の若者には激しい皺寄せがいっているのだ。
その片棒を自分のような世代が担いでいるのだという自覚が気分を重くするがそれに対する贖罪というだけでなく、各々が誰かを利用するのではなく責任を全うするような関係性を求めて動き続けたい。
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直近はみやこのあと地図部で遊んでもらっているやまもとあつしさんとの出会いのイベントの来賓だった秋田道夫さんの書籍、買おうかどうしようかとぼんやり過ごしてたら、元旦の徳山駅でまさかのどでかいポップアップに遭遇し、これは機会だとサイン本を購入。
1枚1箴言、という構成で一気に読めます。氏のブログが出典のようで、ちょっとアリバイ的に「誰にでも言えそうなことですね、と言われますが、それを毎日欠かさずブログで続けてきました」というようなことを書いてたページもありました。自分もあと20年足らずで70歳になる訳で、今のところ何歳になっても仕事を辞めるという意味でのリタイアは考えてないけれど、どこかの地点を目標にするというやり方は苦しくなってくると本能的に感じていたので、毎日を生きるという感覚も直感的な実感がありました。この本の言葉の書かれ方を真に必要とする人は自分ではないかなと思ったりもしました。
]]>2023年は、いろいろ整理した年だったと、振り返ってみて思う。
愛着を持っていたものを、その愛着って実は惰性なのではないか、ということを全く意図しないまま試したような一年だった。
結果、維持できなくなったものごともあるように思う。今はまだ、維持できなくなっているのかどうかわからない、ような気がする。
この10年、自分にとっての世界を広げる方向に"だけ”フォーカスしていた。ありとあらゆる可能性があれば、そこに手を出していた。可能性があったとき、それが自分のメリットになるのかどうかを考えて取捨選択するのはバチでもあたるかのように、可能な限り手を出していた。その手を出すときに、謙虚以上の遠慮が作用していることに、加えて喪失への恐れが作用していることに目をつぶっていたのだと思う。どういうわけかそれに頓着しなくなってしまったのが2023年だったように思う。
自分は何者でもないけれど、だからといって遠慮はしません。そういう気持ちになったのだと思う。
言いたいことは丁寧にはっきりという。摩擦を怖れない。次の10年に向けて。
]]>高校生による、高校生のための「朝」クラブ、AS4U18の第二回をぴっくり通りの旧南都銀行で開催しました。
10月のテスト実施で得た反省点のひとつに、「クラブというのは友達を誘いにくい」というのがあり、その対策として「パーティにする」という形でイベント内容を変更して臨んだ今日の本番。メンバーがそれぞれお友達を呼んできて、イントロクイズやケーキデコ、プレゼント交換でにぎやかにクリスマスパーティを楽しんでいました。
PMとして、イベントの告知が少し遅れたこともあり、少しでもイベント紹介につながる導線を作ろうと、市役所の白川さんとふたりで前座イベントを企画しました。いこま乳児院も参加している「サンタクロース大作戦」を紹介するイベントとしてDJイベントを企画し、ふたりでDJやりました。セトリを考えるのはめちゃめちゃ楽しかった。
イベント自体の思想とか、何を目的としているのか、という振り返りも大切だし、イベントの成否だけではなく、これを実行する仮定で何に悩み何を解決してきたのかを明文化することも大切。自主性というのは非常に難しいことだというのと、どこでどのようにコミュニケーションされているかを見極めることも非常に難しいというのが今回の自分の最大の反省点でした。
このプロジェクト最後の仕事は来月1/14の報告会。充実したアウトプットになるよう最後までやり遂げようと思います。
今年はSNSでシェアすることが自分の内面にどんな影響を及ぼしているのかを今までになく考えてしまった年だった。
ロードバイクででかけても、今までのようにSNSにアップすることは減った。それほど目新しいところに行っていないというのもあるけれど、それにしてもアップしていない。ルーティンのように同じところに行ってても毎回アップする人もいるから、それがおかしなことだとは思わない。けれど自分はアップすることが減った。SNSに「こういうことしています」と伝えるのもコミュニケーションのうちともちろん言えるのだけれど、なぜかそこにあまりモチベーションがあがらない。
一方で、SNSにアップする「材料」を求めて行動を起こしているというところもあるなとずっと思っていて、それを控えようとしていたというのはあるのかもしれない。逆に、それがないと行動をしないというところまできているような気もしていた。一体、何がしたくてその行動をしているのかこうなってくると本末転倒である。
しかしながら今年の意識で一段と入り組んでしまったのは、「自分をどう位置づけていくのか」みたいな話ももはやネットには存在してしまうという状況。これは生業と切り離せないところだが、ネットのなかでキャラが立っていないと今後仕事を続けていけなくなる可能性が否定できない。逆に言うと、一握りかもしれないけれど、ネットのなかでキャラが立っている人に富が集中していく状況になりつつあるように感じるし、いっときのスパイクで一生の生計が立つ(とそのときは思える)ような状況になることも少なくなくなってきている。
単純に、自分の経験を共有として差し出す行為と、自分が楽しかったよということを伝える行為が、自分の中で混迷を極めた一年だったように思う。もっと内面を掘り下げる必要があるのだろう。ひとりでいる時間が少ないのかもしれない。
]]>本に出会うフィールドを、気づいたら広げてたなあと気づいた。
ふうせんかずらに参加してから、古本屋へのハードルが劇的に下がった。古本屋にもいろんな形態があるというのも知ったし、自分が古本屋に出すという行為もできるようになったし、その繋がりで教えてもらった本屋さんに足を運んでみる機会も増えた。広がりが増えると行けるお店も限られてくるけど、棚音さんの出展は必ず追いかけるようにしてる。必ず読みたい本があるから。
「秋、みのりのマルシェ」はふうせんかずらつながりのKirjaさんも出るってインスタかなにかで見てたので、棚音さん覗いてから探そうと思ったら、速攻棚音さんにKirjaさんのブースあっちって案内された。相変わらず商売っ気のない棚音さん。そしてKirjaさんはわからないかなーと思ってたのに顔を覚えてくれててびっくり。ご家族で来られてて温かい空気感のブースでした。
]]>高校生による、高校生のための「朝」クラブ、AS4U18の第一回を10/29にぴっくり通りの旧南都銀行で開催しました!
いこま未来labのクラブチーム活動。「AS4U18」は「エーエスフォーアンダージュウハチ」と読み、もとは朝にやるってことで「ASA」、その最後の文字を似てるから「4」に変えて「AS4」、さらに4をフォーに読んでfor、そして高校生限定なのでU18をつけた、という経緯。写真だけだとちゃんと暗室でクラブっぽい感じでやった=「不健全」なことをやったと思われるかもしれないですが全然そんなことはなく、大音量で音楽が流れる空間をフラフラし、コーラを飲み、自分でDJやってみたりし、最後にビンゴして終わる、という、ちょっとしたパーティ的な感じです。
とは言え、本物のDJができるDJさんに3人も来てもらったので、場の音楽は本物。音楽環境と流れる楽曲がしっかりしているとかっこいい空間になるというのがよくわかりました。
#1: toakabeatsのプレイリスト
#2: ワダダデンのプレイリスト
#3: aiのプレイリスト
チームの高校生メンバーは責任感ある人達ばかりなのでPMとしては困ることはほとんどなくて、会場探しの際のヒアリングや、近辺のお店の方への挨拶などしっかりこなしてました。PM的に唯一大変だったのは集客、というか集客がよくなくても今回はトライアル実施なので構わなかったんですが、「ドリンクのないクラブはちょっと」ということでドリンクを準備したいのだけど集客数が読めないので発注できない、という、これが唯一大変だったことです(笑)。
一通り、企画から実現までの流れ、TODO等々を実体験できたので、今回のトライアルでの経験・感想・反省を踏まえて、次回12/17に第2回目を実施予定です。高校生メンバーは日々学校で忙しい中ですが、自分たちでスケジュール立てて運営していく予定。裏方としてしっかりサポートして、更に楽しい第2回AS4U18にしたいと思います!
]]>ツアーが終わっただけではない寂しさが忍び寄ってくる。
35周年当日の公演、初めて家族全員でLIVE-GYM参加できることが決まって以来ほんとうにずーっと楽しみにしていたので、当日はほんとに夢みたいな気分だった。ただ、雨が降ることは確実な予報で、当初は開演前の時間から降る予報だったので早めに会場に行くかどうかなかなか判断できず、結局長居には1時間前の16:30頃。意外とフードが混んでなかったので娘の好きな小籠包で小腹を満たす。
席はアリーナの、いちばん右端だけどかなり前のブロックで、娘の身長ではよく見えないだろうけど臨場感あっていい席。稲葉さん松本さんがステージの一番端に来てくれたとき真正面になるので否応なしに盛り上がる。
佐賀のときと同様に、松本さんが「できるだけ長く続けて行ければと思っています」と言ってくれてひとまずほっとしたのもつかの間、持つかなと思っていた天気がほんとに突然悪化、信じられない豪雨雷雨に。そのときはX(Twitter)とか見てなかったのでわからなかったんだけど線状降水帯が発生したとかで、避難を始めた頃には雨はあがる気配だったんだけど避難開始。19:30頃から避難で、20:30頃に避難から戻ってステージ再開。結局フルセットは聞けなかったけど、以降中止になるより全然良かった。避難の方法とか誘導とか事前に準備されていたと思われ、その計画性がさすがだなあと思った。
とは言え、やっぱりスタジアムツアーのフルセット聴けなかったのは残念なので、何気なくClub-Gymの直前販売見たら買えたので、急遽最終日に参戦。21日で今年のB'zが終わった、と思ってたところに突然舞い込んだ延長戦で、今まで経験したことのない日の流れになりなんとも言えない高揚感があった。デジタルチケット発券してみたらスタンドだったのでそれは残念ではあったけど、後ろの方のアリーナよりスタンドのほうが見やすくていい。
…と思っていたのだけど、21日に中断により聴けなかったので楽しみにしてた『YES YES YES』が、稲葉さんがアリーナの外周を回る演出があったんだと目撃して、あ〜あの日中断がなければ、稲葉さんが真横に来るのを家族に見せることができたんだ、と思うとすごくすごく残念な気持ちになった。見に来なけりゃ知らずにすんで、どこにもぶつけようのない後悔を抱かずに済んだのに、と思うほどだった。
稲葉さんはいつも通り丁寧で心暖まる言葉を投げかけてくれたし、松本さんは今日も「この先もできるだけ長く続けて行ければと思っています」と言ってくれた。けれど、HINOTORIのときのように、「See You Next Year」はなかった。流石にB'zも来年は休むのではないかなと思ったりする。続けると言ってくれてるし「また絶対会おうね」と言ってくれているけれど、物議を醸したJuiceでの荒天で中断されたライブの際のMC「今日のこの皆さんで絶対また会いたい」といったニュアンスの言葉(当時、これに対して「言わないほうがよかったと思うなあ」と書いているブログを読んでいて、あの頃は個々人の意見をブログで書くのが当たり前という、それは「良い時代」だと言っていいと思う)のように、実現可能性がだんだん減っていくのは間違いなくて、今度家族三人でいつLIVE-GYMにいけるんだろう、と思うと寂しくなる。いつか行けない日が来ることにも想いを馳せてしまう。
それでも、その寂しさを乗り越えていく力をB'zは分けてくれているように思う。どんなときにも丁寧に。自分たちの思い通りにならないことのほうが圧倒的に多いはずなのに、それをドライブしていく様を35年に渡って手本を示してくれている。年を取ることは寂しいことに違いはないけれど、年を取った以上はそこを乗り越えて少しでも自分も誰かのヒーローになるよう更に努力を積んでいかないといけない、そう思える力を分け与えてくれる今回のツアーでした。
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