独走会 - 2018/11/11 多気 104.0km (166号経由)

”昔のことだけ輝いてる そんなクラい毎日は過ごしたくない”
(『さよならなんかは言わせない』/B'z)

めずらしく天気の心配は全然しなくてよい予報で、それなりに忙しい一週間だったけど毎日少しずつ整備して準備もして、行先をああだこうだ考え続けるとそれだけで当日身動き取れないメンタルになるので早々に「今まで走ったことのない166号で松阪まで走ろう」と決めてルートラボでコースマップ作って愛用のGarmin Edge800に読み込ませた。途中、三重との県境近くに「近畿のマッターホルン」と言われるらしい高見山という山があって、その眺望が素晴らしいそうなので、ちょうど最高到達点になるしそこをメインイベントと目してイメージトレーニング。


ちょっとズルして八木まで輪行。


女寄峠越えて道の駅宇陀をやり過ごして榛原街道熟して伊勢街道に入って、まだ高見トンネル前の最後の登りに掛かる手前でちょっと膝の裏が痛み、なんだかおかしな動悸がして、疲れて結構メンタルが変な感じになって、毎度毎度思うんだけどもうこんな疲れるライドいいや時間もったいないし、最初30分かけて輪行して持ってきて帰り2時間輪行で使うくらいならその2時間30分も代り映えしない道だけど走るっていうルートのほうが他のことする時間も取れるしいいじゃないか、とか後ろ向きなモードに入る。

369号で御杖経由で東を目指したときもきつかったけど、あの時はまだもっと回せてた。まあロードバイクが楽しかったときもあったし、もうトレーニングも思うようにできないし、近場でお茶を濁すようなライドで今後はいいんじゃない…と思っていると高見トンネル前の最後の登りが出てきて、その高さがはっきりわかる道の構造にちょっと感動しながら登る。


結局、どれが高見山かわからないままトンネルに突入して三重に出て、そこからしばらくはひたすら下り基調。ただ道中コンビニは一切なくて、民家兼お食事処みたいなのがあるくらいで休憩が取り辛く、ちょっとばて気味で飯高の道の駅にたどり着いて休憩。この時で12:00なので4時間30分。70kmちょっとのポイントなのでめっちゃ遅くてそれでもテンションが下がる。


さらに追い打ちをかけたのはあと20kmくらいのポイント、道の駅茶倉に向かう分岐点で、通行止に食らったこと。示された迂回路は自動車用なので、簡素な図で描かれているけれど結構な大回りで10kmは余分に走らないといけない。これでもう止めを刺された感じで、なんとか迂回せずに地図上にある川べりの道を行けないかと突っ込んでみるもののダートだしぬかるんでるし見える先には倒木があってそこに何か動物が倒れているのか鷹か鷲かみたいな大きな鳥が群がっているし、これは行っちゃいけないと思って引き返し、しぶしぶ迂回ルートを見極め、松阪駅ではなく多気駅に出ることに。


確か369号の時も伊勢に出ようと思って出られず多気に迂回したんだよな…と思いながら、でも道が違うので当たり前なんだけどそのときと全く違う風景全く違う道の印象で、余計なルートを踏んでしまった無駄骨感と相まって心細くて仕方なく、これでたどり着いた先が実は思っている駅じゃなかったらどうしようとか悪いイメージばかりがぐるぐる回る。

それでも最後の1~2kmくらいは369号のときと同じ道になって、無事多気駅に到着。まさかツーリングで多気駅にもう一度来るとは全く思っていなった。前回「自転車なんてやめてしまったほうがいいんじゃないか」と少し離れそうになったところに多気駅に導かれた。多気駅は、三重に住んでいた学生時代にも来たことはない、けれど紀勢線と参宮線の合流する、名前はよく知っている駅。津と同じで、やっぱり三重に来ると感慨深いというか、時間の使い方と心の持ち方と人との接し方を、疲れ痺れた頭と体に圧し潰すように考えさせられる。


”もしも縁があるなら また逢える日まで
気を付けて Yes, I'm here"
(『Queen Of Madrid』/B'z)

以下恒例の箇条書き:

  • 今回も「もう走らなくてほんとにいいや」と思ったのは事実。そして、こんなふうに一日がかりになるようなライドをどうにかして計画しようという気持ちは薄まったような気がする。
  • 左の入力が遅い、というのを最近のローラーで意識するようになったので、今回気を付けてペダリングしていたのだけど、前半の体力のあったときは平地で入力を意識することで巡行は確かにあがった。しかし膝裏の腱?が痛くなった。何かペダリングに不足していることがあるのだと思う。
  • 使い古しのスマホをステムに取り付けてみた。メインはGoogle Mapを見るためだけど、これはすごく役に立った。Garminの地図よりやっぱり数倍見やすい。難点は入れているSIMが格安なので、画面がついてこないことがあるのと進行方向を向かないということ。これは一時的に高速化できるようなオプションがついてたらそちらを活用するほうがいいかもしれない。
  • トップチューブバッグがへたりすぎ。買い替え考えたほうがいいかも。
  • knogのriderはプログラミングをちゃんとやること。
  • 水分補給を意識するのを忘れ、後半足が攣りまくった。
  • それでも今回の収穫は、2回通行止めにあって道に迷ってタイムロスしたり、練習できてないので10%の登りがほんとにゆっくりでしか登れないとかありつつも、結局104kmを6時間ちょっとで走ったということ。練習してないから伸びないけど、逆にそんなにダメにもならないから、これくらいなら半日で行けるんだ、というのがわかったのが収穫だったと思う。
  • ちょっとサドルが低いか?

独走会 - 2018/07/01 津 95.6km

覚えてもらえているというのは、どういうことか。

 思えば本当に人とのつながりを粗末にしてきた人生で、人生のステージが変わる度にそれまでの人間関係をばっさり絶ってきた。中学生から高校生になったときもそうだし、高校生から大学生になったときもそうだし、大学生から社会人になったときも、社会人で転職したときも。より現在に近いステージの人間関係はまだそれでもいくつか保ってもらっている人たちがいるけれど、学生時分は本当に酷かった。保育園の頃からの友達で、高校進学で別々の高校に進んでしばらく疎遠になっていたマエちゃんから社会人になったかならないかくらいの年に不意に年賀状をもらい、そこに「返事はいいよ!永遠に友達!」と書かれていたのを読み、返事を出そうかと思ったものの「返事はいいよ」と書いてあるのだし出したら却って迷惑なのだろう、などと考えられない薄情さでそのままにしてしまったり、中学生時代、MSXでゲームづくりに夢中だった僕は、同じようにゲームづくりが好きなドンちゃんとゲーム制作グループのマネごとをやっていて、PCを持てなかったどちらかというと厳しい家計の家庭で育っていたドンちゃんにゲームシナリオを描いてもらい、それを僕がプログラミングするということをやっていたのだけど、中3も夏休みをすぎると流石に時間が追いつかなくなり、それでもドンちゃんは毎月律儀にシナリオを書いて渡してくれ、一向に出来上がらない状況にも「いいねんいいねん楽しいから」と何も言わず、そうこうしているうちに受験も終わり、ドンちゃんとも違う学校に進むことになり、その少しの罪悪感も新しい高校での仲間に馴染んでいくうちに薄れていって忘れてしまった。

 流石に社会人になって何度か転職してしばらくして、この人間関係の粗末さ加減は取り返しがつかないと気づいたものの、そのときはもう本当に取り返しがつかなかった。周りはみんな、人間関係というものをビジネスでも十全に利用していた。それは至極当然のことだった。ビジネスは人と人がやるのだから。中途半端にテック界隈を過ごしてしまった己の勘違いを恥じた。それでもせめて並のテックスキルがあれば渡っていけただろうけど、もはや僕にはコーディングのスキルすらなかった。

 どれだけSNSが浸透しても、会わなければ関係は希薄になる。ところが、僕のことを覚えてくれている人がいる。例えば、TRANSITで出会った向井さん、ヤッさん、キンコさん。去年は不意に昔の会社の恩師が連絡をくれたりもしたし、当時のビジネスパートナーで一緒に仕事をさせてもらっていた方からも連絡を頂いたりした。

 覚えてもらえているということは、どういうことだろう?

 もう二度と会わなそうな人なら、もうどうでもいいじゃないか。僕の薄情さは、紛い物の潔さと根っからの無精で成り立っていた。だから、一期一会とか、まったくよくわからなかった。だけど、そんな薄情さを全面に出している僕を覚えてくれている人たちがいる。

 自分を思い出してみようと、100km走れる、故郷を辿るルートを選んでみた。


 笠置。いつか早朝に事故に遭ったことを思い出す。


 上野。母校の周りに並ぶ家庭教師の幟。あそこにも間違いなく僕の人生の分岐点があった。


 長野峠。大学生の頃から未知に挑まない性分だったから、完全に地元と言える場所なのに知ったのはほんとにロードバイクで走ってから。


 津。今、間違いなく僕は再び人生の分岐点にいる。いい加減にやり過ごしてしまった時間は取り戻せない。それでも僕のことを覚えてくれている人たちがいる。もうマエちゃんやドンちゃんは僕のことを忘れているだろうし、僕の後悔なんて朝露よりも小さい、気にも止めないようなことだろう、だから僕から声を掛けることはもうできないだろう、だから、だからこそ、僕は今まで僕と関わってくれた人々に感謝の気持ちひとつを忘れずに生きていこう。

 ”いくら舌打ちしても 戻らない日々よ”
 (『ミエナイチカラ』/B'z)

 そう思いながら到着の写真を2,3枚撮っていたら、おじいさんが話しかけてきた。「遠くからおいでですか?」一期一会の意味を少しだけわかった僕は、おじいさんの奥さんであろうおばあさんが「おじいさん、早く」と横断歩道の向こうから急かすまでの五分ほどを、淀みなく会話することができた。

 知っている道でも走る度に新しい道になる。独り走るのはどの道を走るのであっても、新しい道を探すことに同じ。

 以下、箇条書き:

  • 今回は本当に調子がよかった。60km過ぎからのいつものペースダウンも乗り越えることができた。後半も、太ももの痛みで回すのが嫌になることなく、走り終わってもまだ体力に余力があった。
  • この好調に思い当たるのは毎日のストレッチか。ハムストリングスが硬いのはよくないと分かっていたので、ここしばらく就寝前の運動はストレッチとブリッジにしていた。
  • ストレッチとブリッジにできたのは、毎日のローラーを4分インターバルから普通の10分間走に変え、体重コントロールはこっちでいいかなと思ったから。もちろん、ペダリングの改善にも繋がっていたと思う。
  • 今回の課題は向かい風。伊賀上野抜けて長野峠までの20km、平均3%くらいの登りがだらだらと続くところをずっと向かい風で辛かった。それでも気持ちが萎えることなく登りきれた。
  • 休憩のタイミングで毎回しっかり補給するようにしてみた。塩おにぎり1個とエナジーチャージ系のゼリー1つ。28kmの笠置と50kmの伊賀上野で。伊賀上野ではメイタンも。これがよかったのだと思う。
  • SUEWを今回始めて完璧に装着できた気がする。
  • チェーンが、特定のギアのときにカシャカシャいってる気がする。抵抗はないし速度も問題なく出てるので支障はないんだろうけど一度チェックする。

独走会 - 2017/11/12 松阪 75.1km

独りで死ねないのなら、死なないほうがきっといい。


とにかくこの日は朝から調子が悪かった。そもそも、時間は家族からたっぷりもらっていて帰りの時間もあまり気にしなくてよかったのに行き先が数日前から例によってうだうだ悩み続けていたし、松阪に行こうと思い定めて起きることはできたものの、本当に走りきれるのか、自信がないので輪行して八木スタートにしようとか、それでも100kmあるしとか、全然テンションが上がらない。

橿原神宮前行急行に乗っているとき、急に「八木から165号でゴミゴミしたところを抜けるまでにまた時間を食うし、いっそもうちょっと東まで輪行してしまえばいいのでは」と、長谷寺も越えて、休日ダイヤで乗換なしで行き着けた榛原まで輪行。組み上げて8:30スタート。


だけどとにかくテンションがあがらない。ほんとにちょっとした下りが怖いし、ほんとに今のこの足で青山峠を越えられるのか、止めといたほうがいいんじゃないのか、色々面白くない感情が渦巻いて、オレやっぱりロードバイク向いてないんじゃないかなあとずっと落ち込みながら165号を東進。


ところが名張を越えたあたりから不意にテンションが変わるというか無心になるというか、あまり何も考えないまま走っていた記憶に。途中、165が通行止めの箇所に出くわしても、行けないならここで引き返そうか、という気も起こらず、迂回路と示された道に迂回し、程なく合流した後「これで峠回避できてたらいいな~」と甘く思ったのがすぐに打ち砕かれても黙々と回し、まだかまだか頂上はと思うけれど嫌になる訳でもなく、峠を抜けた後の下りも飛ばしたけど全然怖くない。


165号は勝手知ったる道なので、どこでリタイアすれば近鉄に乗れるかとか頭に入ってるんだけど、そんな気は全く起こらなかった。50km越えたあたりからやっぱりちょっと足が切れて空転するようになったけど、予め考えた通りのインターバルで休憩したら回復し、好天の初秋の午前中の峠跨ぎという、気温とコンディションの目まぐるしく変わる中、今までで一番気持ちよく走り切れたんじゃないかと思う。


人とのつながりはとても大事だし、人は独りでは絶対に生きていけないし、気持ちを打ち明けたくなることも時には絶対にある。だけど、やるつもりのないことを口にするとそれは必ず自分に返ってくる。もし、その気持ちを「使い捨て」で打ち明けたいのなら、それは自分の中の自分に対して打ち明けたほうがいいと思う。自分の外の誰かに打ち明けてしまったら、その「使い捨て」と同じように自分も「使い捨て」ることになってしまう。自分のその大事な気持ちに相応しい打ち明け先はきっとある。その打ち明け先を見極められるのは神ではなく仏でもなく自分しかいない。その打ち明け先がどんなに重苦しい打ち明け先だったとしても、その重苦しさからは逃げないほうがきっといい。この日のライドの前後半のコントラストは、そんなことを思い起こさせた。


いつもの箇条書き:

  • 50km足切れの原因は食べ足りないんじゃないかということで、今回は休憩ごとに必ず何か食べたし、ちょっとお腹すいたと思ったら走りながらすぐ何か食べるようにした。これは結構正しかったと思う。
  • もう一つ、足切れは有酸素運動になるからで、有酸素運動になる原因は心拍数の上昇だという基本的なことを改めて読んで、4分間インターバルトレーニングを週何度かできるときはやるようにしていた、その成果が出たのかも。
  • 凄くバイクが多かった!なんかイベントでもあったのだろうか。
  • テールライトが充電切れ。充電すること。
  • QUOC Nightは絶好調。
  • La Passioneのビブはやっぱりパッドがちょっと弱いかなーと思ったけどそれは疲れで姿勢が崩れたときの問題だった。
  • 松阪牛最高。