『行動主義-レム・コールハースドキュメント』/瀧口範子

行動主義―レム・コールハースドキュメント
行動主義―レム・コールハースドキュメント 瀧口 範子

TOTO出版  2004-03-15
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レム・コールハースは、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+ホウ・ハンルゥ というサイトで偶然知った。ハンス・ウルリッヒ・オブリストもホウ・ハンルゥも知らなくて、このサイトを知ったところから本当に偶然。このサイトを見るきっかけになったのは日経朝刊最終面に、森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市展」と関連づけて、メタボリズムが取り上げられていて、「メタボリズムとはなんだろう」と検索してみたところから始まった。そこでレム・コールハースを知り、レム・コールハースが『プロジェクト・ジャパン』という本を出すということを知り、そうしてこの本に辿り着いた。

レム・コールハースは、こういった風に書籍に取り上げられる他の著名人と同じで、天才であり超人だ。だから、このタイプの書籍を読むときにはいつも「鵜呑みにしてはいけない。自分の頭で考えて取りこむように」と意識している。それでも、レム・コールハースのスタイルには惹きつけられ、鼓舞されるようなところがある。

最も印象に残っているのは、「コールハースの仕事ぶりについて、彼をいくらかでも知っている人に尋ねると、「レムは編集者だ」という言葉がよく返ってくる」というくだり。「編集とは何か?」というのは、今年ずっと付きまとっている命題なんだけど、ここでは、コールハースの建築家としての活動の、世界と世界の"変化"を受け止め掘り下げその社会的な問題に深く関与していくというスタンスとイメージが重なりあう。コールハースはプラダ・プロジェクトに携わることで商業主義に堕落したという批判を受けるが、現代世界にショッピングが大きなウェイトを占めていることから目を逸らしても意味がない、という。

同様に、世界は常に変化を続け、好むと好まざるに関わらず、というよりも、ほとんどの人は変化を好み、その結果、今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ。そういった「欲望」からの変化への圧力と、世界が複雑になったが故に変化しなければならないという「必然性」からの変化への圧力によって、世界だけではなく個人も常に変化の圧力にさらされる。このような世界では、「未来永劫維持できる」建築や品物を創ることは到底不可能なのだ。住居ですら、一生モノではない世界なのだ。その住居の内部に存在させる品々を一生モノにしたところで、何の意味があるというのか?一生モノを謳える製品は確かにそれだけの耐久性とクオリティを保有しているかもしれない。しかし、もはや「一生モノ」を一生保有し続けることなど、「欲望」と「必然性」のどちらの観点からも能わない世の中で、「一生モノを保有すること・選択すること」に優越性を覚えさせるような価値観を流布することは、どちらかと言えば犯罪的だろう。不必要となる時間分の、余剰の金額を払わせてそれを自らの利潤としているのだ。

変化は受け入れるべきなのだ。変化が存在する以上、一生モノを選ぶモノと選ばないモノの、選ぶときと選ばないときの、その「選択の自由」を尊ぶような価値観でなければ現代には存在する意味がない。これが、僕がコールハースによって自信を与えられた僕の考えだ。そうして僕の興味はここから民藝活動にジャンプする。それはこの一節からだ。

”あえて何が僕の本当の審美感かというと、アルテ・ポーベラ(貧しい芸術)が最も深く僕をかたどっている。そのために用意されたのではないオブジェ、日常的でないものの美しさ、ランダムさ。現在の文明には、多くのランダムさと分裂が起こっている。その分裂を見出して美しさに転換すると、妥当なオブジェが生まれる。”

『そこへ行くな』/井上荒野

4087713989 そこへ行くな
井上 荒野
集英社  2011-06-24

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僕は小学五年生の冬、祖母を亡くした。

小説では、多感な幼少時代、肉親を亡くすような出来事に遭遇した子は、周りの子の呑気さ加減に違和感を覚え距離を覚えるようによく描かれるが、僕はどうだったのだろうか?そんな感情を覚えた記憶はない。ただただ悲しかった。祖母は一年近く入院しての闘病生活の末に亡くなった。気持ちの優しく、人情にも厚く義理堅くもある父母は僕と妹を連れて、毎週必ず車で片道1時間強の病院に見舞いに行った。半年以上が過ぎた頃、土日に満足に友達と遊びに行けないことを不満に思った僕は、父母に「もういい加減にしてくれ」というようなことを言った。今覚えば、そんなことを言えば間違いなく僕を殴り飛ばしたに違いない父に殴り飛ばされた記憶はない。相当に困り果てた空気が流れたのを覚えている。

祖母は入院していた病気ではなく、直接的には風邪で発熱し体調を崩してそうして亡くなった。その数週間前、まだ発熱もなかった頃、祖母がベッドに腰掛ける傍で風邪気味の僕がふざけてベッドに寝っころがっていたりして、風邪をうつしたのは自分だと思った。本当にそうなのかどうかはわからないまま、そう思わなければいけないような気がして、でも母も父も当然それを否定するし、そんな状況でそう思わなければならないと思ってそう思うこと自体が厭らしいことではないのかという非難にも苛まれた。苛まれたというほど自分を追い込めてはいないという思いも苦しかった。「もういい加減にしてくれ」という気持ちを抱いてしまったことの罪悪感も、同じだった。

本著『病院』の龍は、母親が「よくない病気」で「消えていく様子」をつぶさに感じている。しかし龍は、自分が置かれたその境遇から、周りの子が「ひどく幼く見える」と感じる、などとは描かれない。事実、龍はひどく幼い。いじめに遭い、階段から転げ落ちて骨折し、母と同じ病院に入院している泉と微かに心を通わせても、泉と病院で親しくしていたことを同級生に知られて同じようにいじめられることを恐れ、泉がもしそんなことを言っても全部否定してかかろうと考える。

ところがそんなことを考えていたとき、父と話しながら手に取った母の料理本に気付いてしまう。常にさばさばとした振る舞いのように見えた母の本心を。

ボールペンは、レシピを記した文章の中の文字の幾つかを丸く囲んでいた。マルとマルとは線で繋ぎ合わされ、辿っていくとひとつの言葉があらわれる。し、に、た、く、な、い。

僕はいつも、自分から見た祖母しか考えたことがなかった。自分が考える、祖母がどう考えていたのかだけを追い求めて、あの病床で祖母は何を考えていたのかということを、30年近く思い至らそうと考えたことがなかった。堪えきれなくなりそうだったがここで泣く訳にはいかなかった。感情というのは、なんだって発露すればよいというものではないのだ。発露して消化してそれで済ませてしまうようなところが感情にはある。感情には、そういうふうに使ってはいけない種類の感情が、確かにあるのだ。

『そこへ行くな』のタイトルの意味、短編ごとの意義、全編通してのメッセージ、そういうことを読み解くことは、僕にとっては今回はしなくてもよいことのように思える。これだけでよいのだ。

『災害がほんとうに襲った時-阪神淡路大震災50日間の記録』/中井久夫

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録 中井 久夫

みすず書房  2011-04-21
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歴史の中に見る親鸞』同様、これまた奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。オススメというか、某日、乾さんとサシでお話させて頂く機会を得た際に、話題に挙がった一冊。乾さんがこの一冊を僕に教えてくれた理由のその一節は、

ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない

ここだと思うのだけど、どうでしょう?

「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」、これはいろんな状況で、いろんな意味で当てはまる言葉だと思う。例えば通常の仕事の場面で。この言葉が引用された、阪神淡路大震災発生直後のような、大緊急事態の際、何事かを決定して次々実行に移さなければいけない場面、そういう場面では、通常は少しでも相手方とのコミュニケーションが、できればフェイスツーフェイスのコミュニケーションが望ましいけれど、「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」。これを演繹していって、例えば、一般の会社でいちいちいちいち会議を開かなければならないのは、間違いのない意思疎通確認を重要視しているともいえるし、お互いが信用ならないからということもできる。もちろん、お互いは黙っていては信用ならないという真摯な態度で意思疎通確認を重要視しているとも言えるけど。
更にこの言葉をもっと広く取って、旧知の仲なんかに当てはめることもできる。いちいち、同窓会とかなんとか会とかを持って維持しなければいけないのは、それだけ信頼できてないからで、ほんとうに信頼できる人間は「会う必要がない」。もう相当なピンチのときにだけ、声をかけるか、思い出すかくらいでいい。そんな関係は、確かにある。

p22の「デブリーフィング」。ブリーフィングの反対なのだけど、日本でももちろん「反省会」というような形式で存在する。設定するスパンの問題でもあるが、「回復」をプロセスの中に組み込む思想があるかないかが大きい違いだと思う。

p92「なかったことは事実である。そのことをわざわざ記するのは、何年か後になって、今「ユダヤ人絶滅計画はなかった」「南京大虐殺はなかった」と言い出す者がいるように、「神戸の平静は神話だった-掠奪、放火、暴行、暴利があった」と書き出す者がいるかもしれないからである」

p94「ふだんの神戸人はどうであったか。」「あまりヤイヤイ言うな」というのが、基本的なモットー

p95「世界的に有名な暴力組織がまっさきに救援行動を起こしたということは、とくにイギリスのジャーナリズムを面白がらせたそうだが、神戸は彼らの居住地域であり、住人として子どもを学校に通わせ、ゴルフやテニスのクラブに加入しているからには、そういうことがあっても、まあ不思議ではない」

p97「共同体感情」

p128「ところが、以上の悪夢は二月十三日夜、セパゾン(クロキサゾラム)二ミリを使うことによって即日消滅した」

『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』/マルジャン・サトラピ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る
ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る マルジャン・サトラピ 園田 恵子

バジリコ  2005-06-13
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僕はたいていの自分の悩みというのはしょうもない、取るに足らないものだと考えていて、自分の悩みだけでなく、周りの人の悩みも、たいていは取るに足らないものだと考える。なぜ取るに足らないかというと更に他人との比較論で取るに足らないものと考える訳で、その比較対象というのはこの『ペルセポリス』のマルジ、のような存在だ。もちろん、「わたし」から「あなた」の悩みを見て上だの下だの言ってはいけないと肝に銘じているものの、ワールドワイドクラスで考えると、途端にその物差しの目盛が変わるのだ。

マルジはイランの少女で、両親の計らいでオーストリア・ウィーンに留学している。この『ペルセポリスⅡ』では、留学先ウィーンでの4年間の人生と、テヘランに戻り学生結婚し破局するまでの過程が描かれている。そこにはイラン・イラク戦争、イラクのクェート侵攻、イランの凋落と体制主義などが淡々と、しかしくっきりと描かれる。自由を求めてウィーンに渡ったのに、どうしようもない流れに飲み込まれてテヘランに戻りたいと切実に思うその経緯は、自分の悩みをしょうもないことだと言うに十分だと思う。

読書体験というのは、実体験では補いきれないものを補ってくれる。それは確かに実体験ではないし、テレビモニタで見るような実際の映像つきでも音声つきでもない。でも確かに文学は実体験を補ってくれることができる。それは映像や音楽とは根本的に質の違うもの。本著は、その根本理由を説明できなくても、そう信じさせてくれる良い「漫画」だと思う。

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10

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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれないし取り扱うこともできない、と考えてきた僕にとって、この一文は、-特に「技術(ワザ)を取得し、」の下り-新しいエリアへのきっかけになる力強い一文だった。

ビブリオバトル#01@奈良県立図書情報館 #bibliobattle

3/13の#00を経て、いよいよ第一回を迎えたビブリオバトル#01@奈良県立図書情報館に、スタッフとして参加してきました!!

ビブリオバトルが公立図書館で開催されるのは図書情報館が初とのことで、これも”「自分の仕事」を考える3日間"のおかげですねー。図書情報館の乾さんと、ビブリオバトル推進者のひとり、中津さんがお知り合いになったからですね。

#00を実施して、発表したいという人も出て来てくれて、着実に図書情報館でのビブリオバトルが定着していけるのかな?という雰囲気。今日は発表者含めて参加者は20名弱だったと思いますが、もう少しボリュームが出てきて、かつ、もう少し参加層がバラエティに富んでくれば(知り合いで纏まって来られる方々で埋まるとか、誰かの知り合いが多数、というのではなく、もっといろんな人が参加してる状態)になってくると、パブリックな場で実施するビブリオバトルとしてはいっそう盛り上がってくるかなーと思いました。ただ、そうなるとMCにとってはハードルが上がりそう(笑)。

スタッフとして何をやったかというと、ツイッター係です(笑)。#bibliobattleで検索してもらうと、13:00~16:00にかけて僕の悪戦苦闘のツイートが見てもらえると思いますが、ツイッタでの実況って、意外と体力が要ります!終わった時、マジでちょっと肩で息をしてたような…。発表は5分なので、最初に本のタイトルを紹介されたとき、きちんと聞き取れるかどうかがまず決定的に重要。そこから、紹介内容を聞きつつサマリしながらツイートするのは慣れと技術と頭が必要です(笑)。

ちなみに発表するとしたら、と思って準備していったのはリディア・デイヴィスの『話の終わり』です。

ビブリオバトルの状況は別途どこかに掲載されると思うので、僕は僕の目線で思ったことを:

  • 乾さんの『編集進化論』、発表された内容はとても面白かったですしよく理解できました。もちろんこの本も読んでみるつもりです。ただ、僕は「編集」という作業の神話性に少し懐疑的なほうなので、そこに突っ込んでみたかった、突っ込んでほしかったなあという気持ちもあります。でもそこまで行くと、オーディエンス、ひいては票を選ぶので、難しいですね。
  • 今回の発表者の方々は、発表内容をかなり作りこんでいてクオリティの高い発表ばかりだった気がします。そうなったらそうなったで、ライブ感に若干欠けるのかなあという無いものねだりも。故に、当日言われて当日あれだけの発表をなさった乾さんは凄いなと。
  • 何を持ってチャンプ本を選ぶのか?というのを相当考えさせられた回でした。「読みたくなる」のクオリティと向き合うべきなのか、イベントとしての閾値のバランスを考えて、そこは考えるべきではないのか。
  • 終了後の立ち話で少し出た、「amazonは日本国内ではないので税金は日本に落ちない。一般の人はそこまでわかってないので」という話がひっかかる。僕たち消費者は利便性で方法を選択する。日本に税金を落とすために、本を買うのではない。と思いつつ、被災地への支援活動と考えをリンクさせ、利便性に関わらず行動を規範するべきなのか、と思ったりもしてみたけれど、やはりそれとこれとは話が別だ。消費者に対して価値が提供できているかどうかが基本的には勝負の分かれ目であるべきで、日本人だから国産を、というのは、政策レベルでどうこうするのは是是非非ありつつ現実だろうけど、個々人に対して「日本に税金を」と強制・半強制的なアプローチをするのが妥当と見られるのはどうかと思う。
  • 刺激がなくてもやることはやるための精神性はどうすれば確立できるのか?「競争」がなければやることをやらない、という競争神話からの脱却の哲学がいよいよ本気で必要では?

『もしもし下北沢』/よしもとばなな

4620107573 もしもし下北沢
よしもと ばなな
毎日新聞社  2010-09-25

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ほんと「さすが」としか言いようがありません。ここしばらく女性作家の恋愛ものを大量に浴びるように読みたいというテンションが続いてて、先週あたりにジュンク堂ヒルトンプラザ店行って目についたものを買い込んだんですが、その時、「最後に『もしもし下北沢』を読む。たぶん、これ一冊読んだらそれで済んじゃうけど、それもなんなので、いろんなのを読んで、それからこれを読む。」と、そういう方針だった。で、実際そうだった。あまりにメジャーであまりに当たり前に良い作品だけ読むことになっちゃって凝り固まるのはいけないんだろうなあと思っていたんだけど、これだけでいいんだからしょうがないじゃないか、読み終えてそう思った。やっぱりよしもとばななの小説はしっくり来る。なのになんで本作を今まで読んでなかったのか?というと、地名の印象で引っ張るっていうのがあんまり好きじゃないから(笑)。「そんな、下北沢なんかに住めりゃそりゃいいじゃん!そんなんで差異をつくんのって、ずるい!」と思う訳です(笑)。でも、いたずらに下北沢という地名のイメージで押してくるような内容では全然なかった。そこも「さすが」でした。

何が違うって、頭に残る映像が違う。映像というかイメージというか。たいていの作品は、「目に見える」景色がイメージとして描写されていたり、目に見えないものを何かの雰囲気や形を借りて描写したりしている訳だけど、読んでるときは作者が表そうとしてるものが喚起できても、読後にそのイメージはほとんど残ってなくて、粗筋だけが残る。でも、自分が好きだと思う作家の小説は決まって「作者が作品の中で言おうとしたこと」が、(それを僕が正しく読み取れたかどうかは別問題として)イメージとして頭の中に胸の中に心の中に残るのだ。よしもとばななは正にそう。どんな粗筋だったかももちろん残るけど、小説の中に宿っているよしもとばななの人生におけるフィロソフィーとか想いとかそういうのが「イメージ」としてくっきり残るんです。それは言葉にはできないけれど、自分の胸の中では「ああ、あれはこういうイメージの小説だったなあ」というのが、引出の中に大切にストックされる。そういうイメージとともにストックされた作品がたくさんあって、今の自分が、今の自分の考え方や哲学や日々生きるための知恵や工夫やスタンスや強さみたいなのが出来てるんだと思う。

最初に書いておくと、ラストの山崎さんとの下りは、中年男性の僕にとっては、ありきたりの展開過ぎて、つまらなかったというか、なんか予想外の展開で驚かせてほしかったというか、そういう不満はあります。「”品行方正”という意味で正しいということが何か、大人として何かはちゃんとわかっております、判っているということを事前にお伝えしておいて、それでもそれを破ってでも僕はこうしたいんです」式の口説き方に、とりわけ若い女性が弱いということは悔しいくらいわかる訳で、(もちろん山崎さんとよっちゃんの間柄はそんなちゃちいもんではないけれど)その筋に乗っかっちゃったのが少々残念なとこではあります。でもそれを差し引いても、この小説が持つ「切迫感」みたいなのは痛切で痛烈で、切迫感を息切れさせないまま、きちんとある方向に誘ってくれる。そこが「さすが」と賛辞したくなる所以。

「お父さんが知らない女性と心中してしまった」という帯の粗筋だけでは、それがどういうことなのかは半分も書けてないけど、とにかくとんでもなく重たい辛い悲しい出来事があって、残された妻・娘がどんなふうに生きていくかが、基本的に娘・よっちゃんの視点で書かれてる。よっちゃんはひどく丁寧に物事を考え、考え抜いて、行ったり戻ったりを繰り返す。そして、何度も何度も「今はそのときではない」というスタンスが出てくる。「今はそのときではない」。このスタンスは、よしもとばななの小説では結構見かける気がするし、よしもとばななの小説以外ではあんまり見かけないような気がする。「今はそのときではない」。この考え方、哲学、はものすごい重要だと思ってる。今までの自分は常に獣のような、「やれるんなら今やろう」的な生き方をしてきたように錯覚してたけど、「今はそのときではない」こう考えて自重できる哲学をとても大事にして生きてきてたんだなと思う。焦らない、焦らない。いずれ時が来る。そのときはそのときちゃんとわかる。それまでちゃんと待つんだ。自分の周りの環境がそれを待ってくれなかったらそれはそれまでのことなんだ。『もしもし下北沢』が改めて僕に提示してくれたのはそういうことだった。とんでもなく重たい辛い悲しい出来事があったとき、よっちゃんのように行きつ戻りつ、かかるだけの時間をかけて立ち戻っていくのが自然なんだよと。

その人の言葉の、どこに真実があって、どこかに嘘があるのか?誰の言ってる親切が、優しさが、本当の気持ちなのか?欲の裏返しではないのか?自分の弱さが、その裏返しに絡め取られてすり減らしてしまっていないか?間違えたりはしない。

読書について

最近、大学の友人と続けて11年目を迎えたサイトを纏めようと、過去のエントリを読み直してて、ついでにいろんなところに書いてる日記やエントリを振り返り読んでたら、なぜ自分は読書をするのか?という、こんなエントリが出てきた。

  • けして理解できないものの存在を認めるため。 
  • まだ知らない物や事や感情がたくさんあるということを知るため。 
  • 自分がいかに「知らない」かを確かめるため。 
  • 僕じゃないのに僕の感情を理解することのできる、つまり、ある人の立場になってその人の感情を書き表すことのできる、そういう能力があることに恐れ戦くため。 

もちろん今でもこういう想いをもって読書をするのは変わらない。だけど、これだけじゃない何かが知らない間に生まれてきていたなあ、と少ししみじみしたり。「未知」を求める姿勢は今でも変わらないけれど、何を「未知」と思えるかという視点や角度が、やっぱり圧倒的に増えてるなと自分でも思う。同じ「未知」でも、真裏からとか下からとか見ることもできるし、知ってることでも未知のように扱えたり。でもそれはそんなに大事なことじゃないなと思う。自分が「知っている」と傲慢にもならず卑屈にもならず、ただ淡々と「知っている」と認めることができるようになったことや、それ以外にも「読書について」大事なことが生まれているなと、それこそ淡々と認識できた。

今、少しずつ行先も歩み方も枠を形作りつつあるなか、そのために自分に足りているところ足りていないところを考えてみた:

足りてないこと:

  • 度胸
  • 正確性、微細性、厳密性
  • 失敗の数

足りてること:

  • 包容力
  • 想像力
  • 求心力
揚げ足は、どんな鉄壁の正論からでも取ることができるもの。そうそう、そもそもおつきあいしてはいけないものだった。

THE BIG ISSUE 158号 x 浦河べてるの家

仕事始めの1/4に買ったTHE BIG ISSUE、読んでなかったの思い出して読んでみた。
ドーチカのあのおっさん、そろそろオレの顔覚えてくれてもええような気ぃすんねんけどなー。
全然、覚えてるような雰囲気あらへん。今度買うときはちょっとゆってみよ。「覚えてるかー?」とか。

 「浦河べてるの家」は、先日参加した”「自分の仕事」を考える3日間”の、昨年開催分のゲストのインタビューを掲載した『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』に掲載されていた。向谷地さんのことは、今年の参加者からもよく口にするのを聞いて印象に残ってます。『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』を読んだ時も、最も鮮烈に印象に残ってたのは僕も向谷地さん。

本誌には、べてるで暮らしている「当事者」の方4名のインタビューが掲載されてる。「当事者研究」の精神が、より具体的にリアルに読めるのでお勧めです。

『妻の超然』/絲山秋子

4104669040 妻の超然
絲山 秋子
新潮社  2010-09

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文麿は他の女のところに出かけていっているようである。理津子は確認はしていないがそれを事実としていて、だからと言って事を動かそうとは思わない。曰く、「超然としている」。

理津子は文麿の行動そのものに対して直接的に文麿に何かを言ったりはしない。それを持って理津子は自分を「超然」としていた訳だけど、それは「見て見ぬ振り」とそう変わらないものだった。それに、「行動」に対しては目を向けていたけれど、文麿の「考え」には全然目を向けていなかった。彼が何を考えているのか、考えたことがあるのか。あるとき理津子はそう自問する。そして、自分がやっていたことは「超然」ではなく「怠慢」だと気づくのだ。

この話は二つの読み方をほとんどオートマチックにしてしまっていて、ひとつは文麿の立場、ひとつは理津子の立場。文麿の立場というのは、「誰かの許しに甘えて生きている自分」、理津子の立場というのは、「怠慢な自分」だ。どちらの自分もいることは認めざるを得ないと思う。もちろん、そういう自分を出さないように日々努力はしているつもりだけど、どうしても文麿だったり理津子だったりしてしまう、それもどうしようもなくてそうなってしまう毎日が続くときも、言い訳ではなくて実際にある。そんなとき、理津子が忘年会から酔っぱらって帰ってきて、眠れているのに眠れないといって傍で寝れば眠れるということを知ってて寝かせてあげて「文麿がしあわせで嬉しかった」と感じる、その心ひとつに救われるし救えるのだ。それこそが「超然」なんじゃないだろうか。そういう「超然」を身につけることができたり、救われたりすることが、僕にもあるだろうか?

途中、理津子のストーカーの話が出てくる。親友ののーちゃんに相談すると、「この手紙をそのストーカーに渡せ」と封された封筒を渡される。理津子は言われる通り、ストーカーにその手紙を手渡すと、それきりストーカーは現れなくなる。中身がどんなものだったのかは最後まで明かされなくて、僕はその内容をうまく想像することができない。のーちゃんは「人間扱いしてやっただけ」と言っていて、これはたぶん、「見て見ぬ振り」をしていた理津子の文麿に対する態度と遂になっているのだとは思う。