省略の究極

信用というのは、省略の別名だ。何故、信用経済が重要かと言えば、詳細な信憑性の確認作業を省略することでスピードを得ることが出来、本質的に「早い者勝ち」の市場経済において、競争相手に先んじることができるからだ。その「信用」できる相手が多ければ多いほど、もう少しニュアンスを含めて言うと知っていれば知っているほど、そうしてその関係図が多対多になり大きなコミュニティを作れれば作れるほど、他者に対して優位に立てる。

もう10年近く前のことか、某地方都市の某公共事業会社に、営業支援で同行したときのことをふと思い出した。私の業務は業界では「プリセールス」と言われる、一般的な企業では「技術営業」と言われる類のもので、要は自社製品を採用して頂くためのテクニカルな説明と提案を行うのだが、その日、説明した相手が情報システム部の部長クラスの方、および部員数名という構成だった。そして、私の「テクニカルな説明」は、部長には通じなかった。ひとつは私の経験不足で、部長に通じる説明というのがどういうものか会得できていなかった、ひとつはそうと自覚していつつも変に概念的にまとめたわかりやすい説明をするのが、当時のIT業界の「キャッチーだけで売れる」という軽薄さに近くてやる気になれなかったこと、もうひとつはどうしても「部員数名」を納得させなければエンジニアの名折れだ、という意識があったからである。

果たして部長と私の会話は行き詰まり、見かねた当地の当お客様担当営業が、私の代わりにホワイトボードを使って何かを説明し始めた。それは単純なITレイヤー-ネットワークがあり、ハードウェアがあり、OSがあり、ソフトウェアがあり、といったレイヤー-を描き、どうのこうのと説明して、今回はこの層を中心としながら包括的に考える必要があると我々は考えております、的な説明をして部長の歓心を買った。

はっきり言って私は鼻白んだが、その時の興ざめ具合とそれを思い出している今の興ざめ具合は微妙に違う。あの部長は、あのお客様担当営業を信用している。であるが故に、担当営業の話を部長はすんなり得心する。それは負け惜しみではなく、よく知っている間柄だからだろうという安直な批難でもない。いったい、誰が、何を、どの程度の深さまで知っているべきなのか。今、ITの世界で再び起きている「省略」の席巻は、このことを改めて考えずにはおれない。クラウドとは、信用の権化であり、省略の究極である。クラウドは法人と個人のいずれをも巻き込んで突き進まざるを得ない。そして、コンスーマーで起きていることと、企業で起きていることは関連しないと暢気なことを言う人が、非IT業界の人でもほとんどいるはずがないと思えるほど、最新テクノロジーの発生の現場は混濁してきている。ということは、不用意に最新ITに加担したコンスーマー=一般個人である我々の振る舞いが、企業というより大規模な経済活動に影響を波及させることになる。

何が信用できて何が信用できないかは、そんなに簡単にわかるものではない。そこにかける時間を惜しむことが風潮を超えて常識のように言われ出したとき、必ず何かが軋みだしてきたのだ、歴史において。