元凶は酒とプレゼン至上主義

世間はしばらくの間、「プレゼンがうまくなりましょう」の大合唱が続いている。プレゼンテーションはもちろん重要だ。「プレゼンなんて、綺麗な映像で、いいことばっか言ってるだけだろ」と言うほど、プレゼンの奥深さを理解できていない訳ではない。対象に対する深く厚い知識の準備があって、伝えるための技巧を正しく駆使されたプレゼンテーションは、物事を圧倒的な力で前に進める。

問題は、「軽々しい」プレゼンテーションだ。わかりやすさが求められすぎる余り、誇張どころか半ば「間違い」に近いぐらいに端折った表現が用いられることもあるし、見栄えに心血が注がれたプレゼンテーションもある。フォーマットに則っているが故に「いかにも」ビジネスプレゼンテーション的に見えるプレゼンテーションもある。問題は、端折られたプレゼンテーションはとっかかりがよいという事実だ。よく、「風呂敷を広げるだけ広げる」という言い方をするが、大風呂敷を広げて仕事を取ることは実は容易いことなのだ。それと同じように、それが真実か否かは関係なく、「わかりやすい」「理解しやすい」ストーリーで相手を陥れ仕事を取ることも容易いことなのだ。

コンサルタントはプレゼンがうまい。それは「プレゼンには膨大で重厚な知識と理解が必要」という前提を考えれば当たり前なんだけど、プレゼンがうまいコンサルタントがビジネスコンサルで入った結果、業績がおかしくなった会社を大小問わずたくさん知っている。僕は、結局、それはコンサルタントが悪いのではなく、「見栄え」に目を引かれたその会社が悪いのだと思っている。

同じように、仕事の基盤は人間関係には違いないけれど、ベタベタと深い付き合いになって、無理を聞いたり通したりするような仕事の仕方も、歪を生んでいく。これは「仕事に何を求めるか」ということに尽きる。どうせ仕事をするのであれば。

世間のみんながみんな、プレゼンが大事、プレゼンの技法が大事、みたいな風潮を見るにつけ、それよりも先にやることあるだろう、と思ってしまうのだ。