無知は無精、それでもつとめよやと不動

近所の神社寺院をあまりにも知らないな、と検索してみて見つかったHPがあまりに格好良かった長弓寺まで走ってきました。

独走会」という、「犀の角のようにただ独り歩め」という仏陀の言葉を引用したfacebookグループを作るほど、独りで黙々と走るのが好きで(大勢で走るのが嫌いという意味じゃありません、独りで走る愉しみも感じるのです)、暫く走ってなかったので今日は近場だと、前々から行きたかった長弓寺に行ってみました。

あまりに格好良いHPが、「長弓寺 薬師院」と書かれていて、わざわざ薬師院を記しているのにちょっと引っかかりを覚えつつ訪れたのですが、訪れて謎が解けました。長弓寺は本堂の他に薬師院、円生院、法華院、宝光院の塔頭からなる塔頭寺院でした。

富雄川からの入口。伊弉諾神社の鳥居です。生駒は神宮寺あるいは寺院の鎮守である神社がとても多いと思います。写真を撮っていると、向こうから歩いてきたおじさんに「どこから?」と尋ねられ、「近所です」と答えると、「今たくさんお参りきてはるわ、名古屋からと言ってた」と教えてもらい、「名古屋!?」と驚き。名古屋から団体で大勢お参りに来られる程、名の知れたお寺だったんだと驚き。

 

門。寺院の門とロードバイクはとても似合う。

 

蓮池。

 

本堂。国宝です。鎌倉時代の様式の典型的な建築とのことですが、軒のせり上がり具合の迫力が好みです。

 

本堂には「御朱印は各塔頭にお越しください」と書き置きがあったので、まずいちばん近くの法華院に行ってみたのですが、「納経所」と札が置かれた窓口は閉ざされていて、屋内に人がいる気配なし。声を出してみる勇気もなかったので、他の塔頭に足を運ぶことに。

 

蓮池のすぐ近くの円生院。「努力」の文字が僕を迎えます。円生院は不動明王が御本尊だそうですが、この掲示をしげしげと眺めてみると、「初不動 一月二十八日 十時~二時半 どなたでもご参加ください」の文字が。鳥居のところでおじさんが言ってたのはこれのことだったんだ。僕は近所なのに何にも知らずやってきて、たまたま出会えたけれどちょうど時間切れで着いてしまったのだ。

何も決めず、ふらっと立ち寄ることの身軽さ、面白さは好きだけれど、知ろうとしなかった無精ゆえの無知で機会を逃すというのはなんとも情けないことだと落胆。行事ごとで忙しくされている納経所に、御朱印を願い出る気持ちにもなれず。「つとめよや」の不動さんの言葉を胸に、今日は静かに引き上げたのでした。