『レキシントンの幽霊』���村上春樹

レキシントンの幽霊 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋  1999-10

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 『������������』の品切れ状態のときに、買えるようになるまでの間、未読のものを読んでおこうと購入。これは、吉井和哉のライブで向かった琵琶湖湖畔の石場から歩いた大津パルコのスターバックスで、早く到着したので待ち時間の間の小一時間くらいで読破。「レキシントンってそもそもどこだ���」���正解は、本作のはマサチューセッツ州���とか考えつつ、出先なのでノート������を触るのも結構手間なのが好都合。読むことに集中。

 『レキシントンの幽霊』『緑色の獣』『沈黙』『氷男』『トニー滝谷』『七番目の男』『めくらやなぎと、眠る女』の���編。『めくらやなぎと、眠る女』は聞き覚えがある、と思っていたら、ちゃんと���めくらやなぎのためのイントロダクション���という小解説が載っていて、10年ぶりに手を入れたものと書かれてた。『蛍』と対になったもので、かつ、『ノルウェイの森』とのあいだにはストーリー上の直接的な関連性はありません、と解説されてる。これは結構、親切。

 この短編集の7編は、村上春樹独特の「奇怪」な構成と雰囲気はあるけれど、「言わんとするところ」は、どちらかと言うと、分かりやすく書かれている部類じゃないかなと思う���もちろん、表面的にはそれに見えるけれど、ほんとうはもっと奥底に隠れているんだよ、ということがあって、僕が気づけていないとは思う���。そんな中でいちばんびっくりしたのは『沈黙』。大沢さんが過去の話として語りだすイヤや人間・青木は、僕が村上春樹の人間像のひとつとして抱いていたものにそっくりだったからだ。僕は、作家の履歴とか性格をいろいろ調べたりするほどは文学好きではないので、単なるイメージだけをずっと抱いてきたんだけど、青木をあんなふうに書くと言うことは、村上春樹はあんなタイプではないということか、それとも、自分の嫌な部分でも冷静に平たく書けるというのが小説家といったところか、思わず考え込んだ。

 しかしながら、『沈黙』と『七番目の男』が提示した、「最も怖いことは何か」というテーマに対するひとつの解は、僕は頷けるものだった。村上春樹を好きだというひとがこれだけいるのに、なぜ社会は少しずつでもこういう方向に進まないのか、それが不思議で怖くてならなかった。 

・レキシントンの幽霊
���������「目が覚めたとき、空白の中にいた。」
・沈黙
���������「でも僕はその背後にほの見える要領の良さと、本能的な計算高さのようなものが鼻について、最初から我慢できなかったんです。」
���������「僕としてはそんなこと知りたくもありませんでした。でもそれはきっとひどい話だったのだろうと思います。」
���������「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。」
・氷男
������������「南極の人たちはみんな彼に好意を持っているし、私の語る言葉は彼らにはひとことだって理解できないのだ。」
・トニー滝谷
������������「しかし彼には誰かと現実的なレベルを越えた人間関係を結ぶということがどうしてもできなかった。」
������������「もう何をしたところで、全ては終わってしまったのだ。」
・七番目の男
������������「���の口は文字どおり耳まで裂けるくらい、大きくにやりと開かれていました。」
������������「しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。」
・めくらやなぎと、眠る女
������������『インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということです』