『決壊』���平野啓一郎

決壊 上巻
新潮社  2008-06-26

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決壊 下巻
新潮社  2008-06-26

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 何を、どこで語るべきなのか���伝えるための「言葉」が伝わらないという問題。そもそも何かを伝えようとしているのかという問題。自分が言いたいことを言いたいように言っているだけで、聞いている相手のことなど考えてもいない「言葉」の氾濫。一人称、二人称、三人称だけじゃなくて、四人称とか作ればいいのに、と思う。

 良介は、ネットに匿名のサイトを作って、そこで日常の大なり小なりの不服を書き連ねていたが、妻の佳枝がそれを見てしまうことになり、それがうねりうねって、ネットを利用した殺人者によって殺されてしまう。良介は、不服を吐き出す場所を間違えたのか���やはり、言いたいことは言いたい相手に直接言うべきなのか���それは正論だし間違ってはいない。ネットを利用した殺人者は、拉致した良介に対し、オマエはネットで自分は不幸だと書いてたじゃないか、さあ僕は不幸ですと言え、言えば助けてやる、幸せだというなら今ここで殺す、とけしかけ、良介は���当然に���僕は幸せだ、家族を馬鹿にするな、と叫び殺される。
 その兄・崇は、頭脳明晰で、弟の良介から見れば、いつも「言いたいことを言えている」ようだったが、崇自身は相手の求めるように言葉を繰り出せるだけで、自分が本当に言いたいことって何なのか、という煩悶を抱えている。この小説に登場する人物は、現実の誰もがそうだけど、伝えたい相手に届く言葉を持ち得ないまま問題を起こし拗らせていく。使うべき言葉や手段を間違えているケースもあるし、自分の言葉に酔っているだけというケースもある。でも、もうひとつ、「受け手」としての姿勢の問題もあると思う。

 少し本筋とはそれるが、中学生で殺人を犯した友哉の母親が、勤め先で若者二人に恫喝されるシーンがある。「なんで人を殺して少年だからって保護されて、家族ものうのうと生きてるんだ。許せない。俺たちはどこまでもあんたを追い回すからな。」心情としては理解できないではないと思う人は多いと思うし、実際、被害者家族の立場になったら、大した罰も社会的制裁も受けたと思えないままでは許せないと思うから、第三者としても許しがたく思ってしまうけど、この行動には少し納得がいかない。納得がいかない理由を突き詰めてみると、こういうことを加害者に言っていいのはやはり当事者である被害者だけだと思う。同じ社会を構成している人間として、無関心でいてはいけないが、それを当事者に対して言うのはお為ごかしに陥る危険性が大だと思う。あくまで社会に対して発言すれば十分だと思う。