『光』���三浦しをん


三浦 しをん
集英社  2008-11-26

by G-Tools

 津波で全滅した美浜島で生き残った信之・実花・輔の三人の少年少女。その天災の最中の秘密が、二十年後再会した彼らを動かしていく。

 家庭を持つ信之が、家を捨てる覚悟で行動を起こした後の展開の消化不良がいちばん印象に残る。津波という避けようのない災難、父親の暴力という逃れようのない災難、そういったものを纏いながら生きてきた信之と輔が行き着いた後の描写としては物足りない。二週間も家を空けて、捜索願も出して、周囲にも気づかれて、そこまでの騒ぎの後、信之の妻の南海子が帰ってきた信之を受け入れた過程は、この本のテーマとは違うから簡略でよいのかもしれないけれど物足りない。夫の不在時の南海子の動揺は詳細に描かれているのに、不在が解消された後の心の動きが省略されているのは妙だと思う。

 この本の大きなテーマは「理不尽」だと思う。人生にはたくさんの理不尽な出来事があって、それをどう解釈すれば生きていけるのか、というテーマだと思う。津波で島と愛する実花を失った信之が、「究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。」と語り、行き着くところまで言ってしまう。人は誰でも、極論すればこの信之の言葉の通りだけれどこういうふうに極論してはいけない、ということだけはわかっている。なぜこういうふうに極論してはいけないのか、こういうふうに極論せずに、どういうふうな考えを持つべきなのか、そこを考えるのが重要なのだろうが、『光』ではそこには余り触れられない。行き着くところまでいった信之が、その行き着くところまでいこうと思った「理由」に、うっすらわかってはいたけれど裏切られ、根底を否定されて、家に帰る。そこで何をどう考えたかは触れられない。だから、最初に書いたように、物足りなく感じるのだと思う。

 それと、嫌になるくらいいろんなところで登場して、嫌になるくらいその度書き留めるんだけど、南海子の「夫は本当に、私がなにを求めているのかわからなかったんだ。愛し、頼りにする相手と、ただ話しあいたい。」という台詞に代表されるような女性の感情。こういう感情を女性が持つもんだというのは否定しないけれど、男性は男性で、「だからどうするのか���」という具体性を大事にする生き物だ。「共感」の重要性だけを押し付けるような人は、違う立場の考えを慮れないという意味で、人間的に成長はないと思う。

���������「だけど知らんぷりをする以外に、どんな方法があるだろう。」
���������「何度も言ってるんですけど、なかなか難しいらしくて」
���������「言葉の通じないものが現れると、不安と憤りで息が詰まった。」
������������「会社にいても出世できるわけではない。」
������������「夫は本当に、私がなにを求めているのかわからなかったんだ。愛し、頼りにする相手と、ただ話しあいたい。」
������������「九段下 グランドパレス ������������号室」
������������「複雑で奥深くなかなか正体を現さない心と体を持つ女を抱くのがこわかった。」
������������「おまえの浮気相手だとよ。」
������������「殺して生きる。だれもがやっていることだ。」
������������「究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。」
������������「かわいげのない子。大人の顔色を卑屈にうかがってばかりいる。」