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Rolling Stone ( ローリング・ストーン ) 日本版 2009年 12月号 [雑誌] インターナショナル・ラグジュアリー・メディア 2009-11-10 by G-Tools |
こんなの出てるって全く知らなくって、たまたま通りかかったブックファーストなんばウォーク店で見つけて即購入。������月号なんだけど。ドームでライブがあったから、それにあわせて表に出してあったのかな���細かい陳列による販促の好例���笑���。
一番印象に残ったのは、稲葉さんが結構、B'zがビッグバンドであることを率直に語ってるなってこと。松本さんは割と「売れてる」とかそういうことをはっきり口にするの見聞きしたことあるし、そういう人だしと思ってたんだけど、稲葉さんはあんまり「売れてる」ことに言及してなかったような。ところがこのインタビューでは、かなりはっきりとB'zはビッグバンドであると自覚してることが読み取れる。例えば、「いろんな邦楽アーティストが集まってもいいけど、じゃあ、誰がいるのかって。一緒にステージに立つアーティストの姿が想像できないというか」というところとか。「やるなら、海外からゲストを呼ぶしかないでしょ」という問いかけに、「なんかそっちのほうが、しっくりくるかもしれないですね」と答えてる。邦楽アーティストがスケールが小さいという訳じゃないけど、「国内だけでは対象が狭い」という点ではバンドのスケール感が大きいということを率直に述べてる。
実際B'zはそれくらい世界クラスのバンドに違いなくて、それに触れてる箇所も。インタビュアー���伊藤政則���が「���B'zは���ソングライティングにしてもプレイにしても、無意識のうちに世界基準というものができてくる。しかし、今のそのJポップっていわれている人たちは、別に世界基準という感覚はない。」「邦楽を聴いて邦楽をやりたいと思っているからね。」と語るのに対し、松本さんが「僕たちのスタート地点は憧れから始まっていますからね。」と答えている。
これはいつも考えるところで、僕はちょっと完全に頷けないところもあって。邦楽だけ聴いて邦楽だけ吸収して音楽をするというのは確かに知見が狭いし音楽性も狭くなるように思うけど、そもそも邦楽の守備範囲もかつての日本と段違いというのはあるかも知れない。日本の音楽マーケットも大きくなっていると思うし、B'zが登場した、「洋楽ロックを今より聴いていた」という時代以前に登場していたいわゆる「歌謡曲」でも、現代に生き残れるだけのオリジナリティを持っているものだってある。すべてはオリジナリティの問題���「世界基準」というのが規模を指しているとすれば、日本の音楽マーケットで通用している時点で今はある意味「世界基準」に届いているのかも知れないと思うし、逆に、日本ばかり見て活動するというのは、現代の若年世代の「内向き志向」と相通じるのかもと思うと、どんどん縮んでしまうようにも感じる。僕が高校生・大学生だった頃は、「なんだ何でもかんでも外国のものがいいようなこといって」という「舶来モノ至上主義」に反発があった。「なんで、外国のものだから無条件によくなるんだ���」という意識が、音楽だけでなく何もかもについて回った。それが、日本独自のものを伸ばす原動力だったようにも思うし、逆の意味での洋楽コンプレックスだったのかも知れないと思う。この辺はもはや主義主張の領域なのかも知れないな。