全部自分がやったんだよと 叫べるおシゴトしましょう

えっちらおっちら 責任は ウヤムヤケムリのセカイ

(『ケムリの世界』/B'z) 

「こんなときに~」第二弾。顰蹙を買うこと必定だし、素性がバレることも承知で、勢いで普段はあまり書かない仕事のことを書いてみようと思う。

福島第一原発の話。津波によって非常用電源が破損し緊急冷却が作動しないことが、現在の状況に陥った主な理由だという。「あんな海の近くに作っておいて、どうして津波が来ても破損しないような非常用電源の設置にしておかなかったのだ」って、すぐに思う。この東北関東大地震のような大天災は1000年に1度のことだと言ったところで、1000年に1度のことでも防げるような万全な仕組にしておかなければいけないじゃないか、それは全く正論だと思う。

僕はシステム屋なので、日常的にこういう場面に遭遇してる。トラブルの現場という意味ではない。これから構築するシステムに、どれくらいの耐障害性を持たせるか、という話だ。「これはわが社の重要なデータが保管されるシステムなので、絶対に壊れてはいけないし、止まってはいけない。」そういう要望に随時触れている。原発も同じだと思う。東電なら首都圏の電力供給を一手に引き受けている訳で、絶対に止まることは許されないし、原発は何があっても破損して大量の放射能を飛散させてはならない。

だけど、悲しいかな、「災害が起こる前」の「対策」には、コストの意識が付きまとう。

直近で思い出してみよう。「どうして世界で二番じゃダメなんですか?」飛躍と思われるかも知れないけど、災害対策を考えるとき、人の頭の中にはたいてい、常にこれと同じような意識が働いていると思う。「そこまで、お金をかけなければいけないか?そうそう、起きることでもないのに。」そうやって、事業仕訳ではいろんなものをカットしようとしてきたし、多くの人が両手を挙げて賛成してきた。もちろん、不正の温床となる無駄だらけの官製事業を放置していいとは全然思ってない。そういう文脈で話してるのではなくて、「災害対策を考えるとき、それに係るお金をすぐに”コスト”だと発想する」人間の性、というのがあると言いたいのだ。

システム屋の世界では、いかにもそれらしく、「リスクに対する適切なコストをかけることが肝要」と言われる。けれど、たいていの人は、リスク対策にお金なんてかけたくないと思っている。100TBのストレージがあって、それを保護するのにもう100TB購入するくらいなら、200TBの実容量を欲しがるものなのだ。「絶対に壊れてはならない」と言われるのに、「できる限り安価で済ませたい」なんて言われると、内心「何言ってんだこの人」と思ってるのは否めない。

でも、ここまでなら誰にでも考えられるけど、振り返ってみよう、仮に福島第一原発が今回のような災害にも耐えうる機構に改修されたとして、そのための費用が電気代に転嫁され、1w当たりに電気代が2倍になると言われたら、それでも僕たちはOKを出しただろうか?その金額の妥当性は分からない、けれど、それは追加費用の多寡の問題ではない、「追加コストがかかる」と言われたら、間違いない、「できる限り安価にしろ」と声高に叫ばないだろうか?その声が想定できるところが、つまりは、無言の「改修させない」圧力になるんじゃないだろうか?

例えば、自分のPCに、ウィルス対策ソフトウェアを購入するのさえ、躊躇うような人がいる。「そうそうウィルスなんて感染しないだろう」と、パターンファイル更新ライセンスを買わない人がいる。何度言っても、パスワードが誕生日の人がいる。自賠責すら、支払っていない人がいる。バックアップを取らずにデータを紛失して、ハードウェアのせいにする人がいる。みんな、同じことのようにシステム屋からは見える。いったい、誰が誰を責められるというのだろう?なあなあで済ませましょうというのではない。「責任」というのは、必ずしも双方向のベクトルではないのだ。

 

まわりまわって誰のせい? 
焦点はぼやけてく 
全部自分がやったんだよと 
叫べる おシゴトしましょう それがこの世で一番ステキ

(『ケムリの世界』/B'z)