与える元気

マニュアル・ライフのアニマル ナビゲートされてハッピー
カウンセラーのささやきはOK 

 

「言葉は時代とともに変遷するものだから、使われ方の変化にあまり目くじらを立てるのは」というのは基本的に賛成で、「ヤバい」がとても良いという意味で使われるようになる流れもわかるし、「凄まじい」の出発点「すさまじ」が今使ってるのと意味が異なっているけれどその流れもわかる。だけど、変わって行く過程でもちろん落としてしまっている意味とか意義とかニュアンスはもちろんあって、それが許容できるのとできないのがある。「ヤバい」は許容できなくないけど、言葉の使われ方で今まで最も許容できなかったのはこれ:

大変お求めやすい価格となっております

なんでこれを聞いた客の立場の人が、誰も腹を立てないの?「お求めやすい」って、売り手が言うのって失礼だと思わない?「お求めやすい」だよ。「こんなけ値下げしたら、手持ちの少ないあなた方でも買えるでしょ」って言ってるのと同じ言い回しなんだよ。ここは「お求め頂きやすい価格となっております」と、「頂く」を入れて然るべきだと思う。

ところが最近、この用法以上に、気に入らない用法の言い回しを頻繁に聴くようになった:

皆さんに元気を与えられるように、精一杯頑張りたいと思います

元気を「与えられる」?何様だオマエ?立場が反対なら、「与える」という言葉を使っていいと思う。「元気を与えられました」のように。でも、自分が誰かの何かに貢献することを、貢献したいという気持ちがあるからと言って、「与えられる」と直裁に言うのはどうにも神経が行き届いてない感じがする。自分が「する」ことを、自分が「する」とそのまま言ってしまうところに、無神経さを感じるし、「与える」というのはどう考えても上から目線。普通に、「皆さんに元気になって頂けるように頑張ります」でいいじゃないか。なんで「与える」「与えられる」なんて、モノのやり取りみたいな言い回しが普通になってしまったんだ?これ、主と客は、自分と誰かの関係では実はイーブンではない、ひっくり返したらそのままひっくり返る訳じゃないんだよ、という、人間関係の基本が判ってない人が増えたからのような気がする。悪しき対等主義。