『CHICAライフ』���島本理生

CHICAライフ
島本 理生
講談社  2008-06-27

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 島本理生が2003-2006年の間、『ViVi』に連載したエッセイを集約し加筆・訂正されたもの。

 この本については、失礼を承知で本音を書きたくてしょうがないので、書いてみる。島本理生は『ナラタージュ』でハマッて以来大好きな作家で、 結構読んでる。作家のエッセイにはあんまり興味のないほうというか、手を出さないようにしてたほうなんだけど、島本理生はエッセイも読んでみたいと思ったくらい、好きな作家なのです。それを前提で書くと、僕の中では島本理生って、若くして『ナラタージュ』のような、重層的な恋愛小説を書ける力量を持った凄い作家と認識してて、そういう作家というのは、天才というか、とんでもない文学的才能を持ち合わせて生まれてきて、とんでもなくアタマも良くて、高学歴で仕方がないんだろうなあというイメージがあった。僕は自分のことそんなにめちゃめちゃアタマが悪いとまでは思わないんだけど記憶力は悪いし論理的思考にも欠けるので���ってことはやっぱり悪いのか…���、なんだかんだ言ってやっぱりレベルの高い大学にいってる人の能力というのは高くて叶わないもんだ、と思ってる。そして、島本理生もそうだと信じて疑ってなかった。そんななかでも文学を志す人というのは、とても高尚に色気も纏まっていて早熟な恋愛に身を染めているか、文学オタクではないけれど、あんまり実恋愛と縁のない生活なのかどちらか、と思ってた。

 ところが、だ。『CHICAライフ』を読んで、ひっくり返った。ムチャクチャなのだ。母親が名を成している舞踏家・鍼灸師ということで、一般庶民と違う親交や情報の入り方の素地というのが子ども時代からあったと思われるけれど、それでも僕の中の「文学を志す人」の特殊なイメージとはかけ離れた一般人加減。高校時代の思い出の記述は、30代後半の僕の目線で、自分の高校生時代のことを思い出しながら読めば、君はヤンキーか���と思わずにはおれないむちゃくちゃ加減だし、なんとすれば一体どれだけのサイクルでつきあってるんだ���と疑問に思うくらいつきあってるし、すぐ同棲してるし、もう少し遡って中学生の頃は活字耳年間だったなんていってるし、おまけに大学に関して言えば、もちろんレベルの高い大学ではあるけれどもどちらかというと一般的な範疇に入る大学で、その上中退してる���更に言うと、もう結婚もしてた���

 とにかく、今まで、物事を決めつけで見てはいけない、と常々心がけながら生きてきたつもりだけど、こういう角度の「偏見」というのも存在するものなんだ、と気づかせてくれた一冊に違いない。島本理生は文学エリートではなくて、現代の無頼派だった。どんなやり方であれ、経験値はやっぱり多いに越したことはないのだ。その教訓を生かそうとしても、僕の年ではもう、あまりに無茶なことをやってはただの非常識になってしまうので、無茶なことのやり方も考えなくてはいけないけれど、なるだけやってみようと思う。

���������「突然ふられて現実を受け止められないときって本当にこんな感じだなあ���������としんみりしてしまう」
���������「オルセー美術館はルノワールやゴッホなど、日本人にはなじみの深い画家の絵が多くてオススメである」
���������「もう地球がまわってるのに、なんで私まで回転しなくちゃならないのよ」
���������「その後も仕事を優先したために、四年で卒業できる見込みがなくなったので、大学は中退した」
���������「それを考えると、まだ自分で選ぶよりは占いに選んでもらったほうが」
������������「その後、頂いた一本が、モエ・エ・シャンドンだった」
������������「仕事以外で赤の他人とコミュニケーションを取ることを極端に嫌う」
������������「相手の気持ちが知りたいけど怖いから、などと言い続ける彼女に私が業を煮やして」
������������「電池一本でも惜しい」
������������「ややこしい自意識が発動してしまう」