独走会 191026 信楽 100.5km/910m elev.gain

"これは一生の何分の一なのかなんて よくできた腕時計で計るもんじゃない"
(『RUN』/B'z)

今月は2回も家族から時間をもらえることになり、感謝しながら行先を考え、というか走れるとなった時点で漠然と考えていた行先の信楽で決定。朝ドラの舞台というタイムリーさと、ちょうど往復100kmくらいの手ごろなコースというのと、木津信楽線を一度走ってみたかったのとで。

日帰り出張があったり一日3件アポの日があったり(それも明石→尼崎→奈良というまあまあの移動距離)で割と疲れは溜まってたので起きられないかなと思っていたら案の定目覚めは最悪のテンション。それでも家族が励まして送ってくれて無事出発。

宇治田原に向かうルートは慣れているので快調に走れ、登りも遅いながらも車に抜いてもらったり抜けないときは必死でスピードあげて登ったりで、厳しくても状況に応じて脚を酷使したりできる実感。そのときトレーニングのことが頭を過り、トレーニングは限界を超える負荷をかけるからトレーニング、ではあるんだけど、日本の体育会系の感覚と(イメージでしかしらないけど)欧米の体育会系の感覚ってなんか違うなと思ってて、例えば高校野球でデータを駆使しロジックでトレーニングする高校となんというか旧態依然とした根性論で猛烈に時間かけるだけのトレーニングの高校とがあったりして、でもデータとロジックの高校が100%勝てる訳ではない、100%勝てる訳ではないと認識したとき、それならどちらを選ぶかと言ったら、理路整然と無駄なく過程を楽しめるデータ・ロジック式のほうがもちろんいいと思うはずと思うんだけど、日本式の発想は、どうせ勝てるか負けるかわからないんだったら根性論で遮二無二やるのが後悔がない、みたいな感性だと思う。これは土着感性でぬぐいがたいものがあって、猛烈に自覚的にならないと意図せず根性論を持ち出してしまうと自戒している。だから自分だけじゃなくて子の世代に、意味のない犠牲を払わされるような土着根性感性をできるだけ引きはがすように心がけている。

どうせロードバイクで走るといったってこの頻度では上達もしないし、残り時間も少ないし、他のことに使ったほうがいいんじゃないかと半ば取りつかれたように考えた時期もあったけれど、有意義か否かという視点ももちろん必要だけれど、残り時間ばかりを気にしてオロオロして結局何もしないまま過ごしてしまうのではなく、今使える時間をしっかり使う精神力を養うのが正しい道だと思う。

以下振り返り:

  • 木津信楽線は信楽→木津は最高。もっとアップダウンかと思っていたけどほぼ下り基調。信楽からの帰りはこれで決まりだけど、163号で帰らないといけなくなるのがタマに傷。もっと南に下ってから西進するか。
  • やっぱり雨に降られた。
  • ロングスリーブジャージにビブタイツ、ウインドブレーカーまで来ていったけど、半袖ジャージにビブショーツの人結構すれ違って「寒くないの?」と思った。
  • わざわざ写真には取らなかったけど、木津信楽線はところどころに台風の爪痕があった。自然のこわさを改めて見た気がした。