出張から帰ってきてテレビをつけたら長崎が取り上げられてる(Eテレ・デザイントークス+)。
出張先で思わぬ時間ができたので、駅の近くのショッピングセンターで本屋回遊。しっかり歩くと気になる本がジャンルを問わずいくつも見つかって、でもこれからお客様先訪問なのであまり嵩張る本は鞄に収まらないので選択肢から外して、最終的に仕事に関係する5Gの解説本とどちらにするか悩みに悩んで、出先で買うなら小説だろうということで選んだのが『月の満ち欠け』。最近、直木賞とか賞モノにもずいぶん疎くなった…そして佐藤正午と歌野晶午がごっちゃになっていた。これを書くためにamazonで調べるまで、「『葉桜の季節に君を想うということ』の人だよな」と思っていた。
広い本屋を巡るのはこうやって興味の引く本に出会える良さがあるんだけど、今日は、現在地点は(書籍に限らないけれど)本という本の背表紙がどれもこれも「オレを読め!」と叫ぶためだけの言葉があてがわれているような、そういう押しつけがましさが襲ってきたような感じだった。あざというというか。何かを伝えたいというよりも、選ばれやすさを最重要視している。
レジに並んだら前に3人待っていてレジ自体は3台あったのだけど、なんと10分弱待った。クリスマスプレゼントの包装を頼む人が多かったのもあるんだけど、お年寄が圧倒的に多く、そしてレジでの支払いも現金小銭をゆっくり出すというような。もちろんこれに苛立ってはいけないのだけれど、着実に空気の違うところが日本の中でできているんだなと痛感した。