『ROCKIN'ON JAPAN 2009年 04月号』

ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 04月号 [雑誌]
ロッキング・オン  2009-03-19

by G-Tools

 吉井和哉の『VOLT』全曲解説と細美武士ソロ第一声が読みたくて買ったんだけど、フィッシュマンズの『空中キャンプ』のレビューが素晴らしすぎた。あまりに素晴らしいので、ほんとに申し訳ないと思うしまずいことだとも思うんですが、全文引用したい。

●伝説ではなく事実のバンド
 佐藤伸治が亡くなって以降のフィッシュマンズの世の中での扱われ方になんとなくずっと違和感がある。どうもそこには、積極的にフィッシュマンズという伝説の灯を絶やさないようにする、フィッシュマンズ愛好家たちの連帯感のようなものが存在しているような気がしてならない。でもかつて僕が彼らの音楽から受け取っていたメッセージは、どうしてもそういうムードと馴染まないのである。
 僕の中で、フィッシュマンズは最も世の中の理屈を誰よりも毅然と、しかも非戦闘的に拒否したバンド。正確には、96年のアルバム『空中キャンプ』において、時計やカレンダーに区切られた時の流れから完全に「離脱」してそうなった。その前のアルバム『ORANGE』に満ちていた日差しをにらみ返すような刺々しさが消え、「君」の体温だけが感じられる永遠の夜を選び取ったのが『空中キャンプ』以降の彼らだった。今のフィッシュマンズの扱われ方に欠けていると思うのは、その「拒否」の姿勢。この音の中は優しくて暖かい。しかし、そこは集う場所ではなく、この世から消えるまで「君」とだけいる場所なのである。

 このレビューは心底感動した。僕は、そんなにフィッシュマンズに入れ込んだクチではない。どちらかというと遠ざけていたところがある。なぜ遠ざけていたかというと、このレビューで見事に言葉にされている、「拒否」の姿勢にある。僕は、自分の思っている感情を、その感情に一般的に似つかわしい表し方でしか表せない、そうしないと気持ち悪くなるタイプの人間だ。だから、フィッシュマンズのような「拒否」の仕方は、やりたくてもできないし、「ずるい」とさえ感じてしまう。けれど、そのやり方を「否定」しようと思ったことは一度もない。その点で、僕もフィッシュマンズのやり方と共通のものを抱いているに違いないと思う。
 そして、このレビューが、フィッシュマンズを正しく言い表しているかどうかはわからない。けれど、「集う卯場所ではなく、この世から消えるまで「君」とだけいる場所なのである」というこの「君」の概念。この「君」の概念が語られた文章を久し振りに目にして、目頭が熱くなったのだ。