SNSでシェアすることとモチベーション

今年はSNSでシェアすることが自分の内面にどんな影響を及ぼしているのかを今までになく考えてしまった年だった。

ロードバイクででかけても、今までのようにSNSにアップすることは減った。それほど目新しいところに行っていないというのもあるけれど、それにしてもアップしていない。ルーティンのように同じところに行ってても毎回アップする人もいるから、それがおかしなことだとは思わない。けれど自分はアップすることが減った。SNSに「こういうことしています」と伝えるのもコミュニケーションのうちともちろん言えるのだけれど、なぜかそこにあまりモチベーションがあがらない。

一方で、SNSにアップする「材料」を求めて行動を起こしているというところもあるなとずっと思っていて、それを控えようとしていたというのはあるのかもしれない。逆に、それがないと行動をしないというところまできているような気もしていた。一体、何がしたくてその行動をしているのかこうなってくると本末転倒である。

しかしながら今年の意識で一段と入り組んでしまったのは、「自分をどう位置づけていくのか」みたいな話ももはやネットには存在してしまうという状況。これは生業と切り離せないところだが、ネットのなかでキャラが立っていないと今後仕事を続けていけなくなる可能性が否定できない。逆に言うと、一握りかもしれないけれど、ネットのなかでキャラが立っている人に富が集中していく状況になりつつあるように感じるし、いっときのスパイクで一生の生計が立つ(とそのときは思える)ような状況になることも少なくなくなってきている。

単純に、自分の経験を共有として差し出す行為と、自分が楽しかったよということを伝える行為が、自分の中で混迷を極めた一年だったように思う。もっと内面を掘り下げる必要があるのだろう。ひとりでいる時間が少ないのかもしれない。