『100の思考実験』/ジュリアン・バジーニ

クラスになんか微妙に話が通じるような通じないような女の子、いわゆる天然、もうちょっと新しい目の言葉で言うと不思議ちゃん-その当時そんな言葉はまだなかったような気がするが-がいて、その「微妙に通じない具合」から、「もしかして、オレが使ってる言葉とオマエの使ってる言葉はすっごいよう似てるけど全然違う言葉で、オレが「おはよう」と言ったその言葉は、オマエの言葉ではたまたま「昨日何食べた?」という意味の言葉で、それに対してオマエが返す「すき焼き」というのが、オレの世界の言葉では「よう!」って言葉なんかも知れんなって思うわ」とか言ってたのは確か高校生の頃だったと思う。

このネタは今でもときどき言うことがあるんだけど、今これを思い出したのは、本著のNo.23「箱の中のカブトムシ」という、ウィトゲンシュタインの言語使用に関する考察を取り上げてる章を呼んでいるときだ。少年二人がそれぞれ箱を持っている。中に何が入っているのかは明かさないが、二人ともその箱の中に入っているのはカブトムシだという。大人はその箱の中身は同じようには思えないのに二人ともカブトムシと言って聞かない。

ウィトゲンシュタインの著書から引用されたこの思考実験は、言葉に意味があるのか?という疑問を掘り起こさせる。例えば二人の人が「痛い」という言葉を発したとしても、その二人に起きていることが全く同じであることはない。ということは、自分の内側で起きているその事象と、「痛い」という言葉には何の関係もない。どういう状況で「痛い」という音の言葉を使うのか、という共通ルールがあるだけだ。それが「痛い」という言葉ではなくて「いかがわしい」という音だった可能性だってあるのだ。内面で起きていることがらが違っても、使うべきシチュエーションの類似性から、二人の大人は同じ「痛い」と言う言葉を使う。

こんな風に哲学というのは「当たり前」と思っていることを徹底的に言葉で言い表し説明し切ろうとする。本著はこういういろんな事例が100も並んでいて、考えを詰めていくためのよいトレーニングになります。

4314010916 100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか
ジュリアン バジーニ 河井美咲
紀伊國屋書店 2012-03-01

by G-Tools