『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』/池澤夏樹

池澤夏樹氏が東日本大震災について書いたエッセイということで、期待大で手に取りました。情報量の多い濃密なルポタージュ的なエッセイを想像していましたが、実物は比較的短い、端正な9編のエッセイから成っていました。優れた文章を書く人の多くがそんな気がするのですが、池澤氏も文章を書くことだけをやってこられたのではなく、大学で物理をされていたそうで、エッセイの内容も単に情緒的に流れるのではなく、原発の今後についてどう考えるかが、落ち着いた論が展開されます。心情、宗教、科学・工学、政治まで、東日本大震災が引き起こした問題を「どう考えるか」、それらひとつひとつにきちんと自分の「意見」を形作るところまで持っていっているところに尊敬の念を覚えました。と同時に、自分も何かを語るときは、ベストではなくとも、その時点での「意見」を形作って言葉にすることを心がけようと改めて思いました。

「春を恨んだりはしない」というのは、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」の一節。そして、後段で池澤氏は「春を恨んでもいいのだろう」と書く。

自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話し掛けることができる相手として遇する。それが人間のやりかたであり、それによってこそ無情な自然と対峙できるのだ。
来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。

去年の我々はその災害のあまりの大きさに、被災していない我々は桜を愛でてもいいのか、そして被災されたけれども比較的日常を取り戻された方々が桜を愛でることに躊躇されたり躊躇しろと言われたりしているのを目の当たりにして、いよいよどう考えてよいのか分からず途方に暮れた。でももう我々は知っているはずだ。春そのときだけの問題ではなく、この一年をどう過ごして来たか、この一年をどんな思いで過ごしてきたかが、春を恨んだりはしないと言わしめるのだと。 

4120042618 春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
池澤 夏樹 鷲尾 和彦
中央公論新社 2011-09-08

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