「春を恨んだりはしない」というのは、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」の一節。そして、後段で池澤氏は「春を恨んでもいいのだろう」と書く。
自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話し掛けることができる相手として遇する。それが人間のやりかたであり、それによってこそ無情な自然と対峙できるのだ。
来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。
去年の我々はその災害のあまりの大きさに、被災していない我々は桜を愛でてもいいのか、そして被災されたけれども比較的日常を取り戻された方々が桜を愛でることに躊躇されたり躊躇しろと言われたりしているのを目の当たりにして、いよいよどう考えてよいのか分からず途方に暮れた。でももう我々は知っているはずだ。春そのときだけの問題ではなく、この一年をどう過ごして来たか、この一年をどんな思いで過ごしてきたかが、春を恨んだりはしないと言わしめるのだと。
春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと 池澤 夏樹 鷲尾 和彦 中央公論新社 2011-09-08by G-Tools |