デジタルを焼く国はいずれ人を焼くのか?-『図書館戦争』/有川浩

もちろん娯楽小説であることは大前提の上で、本著の読むべきところは、「専守防衛」を旨とする-つまり自衛隊の理念の再認識と、東京都青少年健全育成条例改正問題等、表現の自由だけに留まらず、「自由とは何か」という普遍的なテーマであることは疑いの余地はない。しかし、僕にとって途中から頭を回り続けたテーマは、「本を焼く国ではいずれ人を焼く」-では、デジタルを焼く国はいずれ人を焼くのか?というものだった。

「本を焼く国ではいずれ人を焼く」の言が18世紀のハイネの言であることを考えれば、ここで言う「本」を「紙の書籍」としていいと思う。メディアはどうあれ、本には人々の思いや考え方、大袈裟に言えば「思想」が表され誰かに伝えようとされていて、それを「焼く」ということは、誰かに伝えられては不都合な考え方がある誰かが存在するということで、そんなことが許される国は、必ず「思想」を焼くために、「思想」が表された「本」ではなく、それを表した「人」を直接焼く愚挙に出るだろう、ということだけど、ではデジタルを焼く国も、同じように人を焼くのだと言って、誰もが賛成するだろうか?

当然だろ、と僕は思うんだけど、一方で、誰もが賛成するかと考えるとちょっと待てよ、と思う自分もいる。「本を焼く国ではいずれ人を焼く」と真面目に語る人を想像すると、先に「メディアはどうあれ」と断ったものの、その人たちは「本」を物理的に紙でてきた「書籍」を想定しているように思う、それは、電子書籍を全面的には受け入れないような、「メディア」そのものに固執するような人たちが想定できてしまう。いわば紙の書籍を「神格化」しているように映る人たちだ。

そういう人たちは、「デジタルを焼く国ではいずれ人を焼く」と語るだろうか?デジタルであっても、そこに人々の「思想」が現れることは変わらず、世界ではデジタルの強烈な伝播性によって革命すら起こるくらい、「思想」を伝えることができるというのに。なぜか僕は、「本を焼く国ではいずれ人を焼く」という人のほうが、同じく「思想」を伝えるはずのデジタルを差別する図が目に浮かぶ。違法ダウンロード禁止法は、利用者側に対する処罰を規定したという点で、デジタル利用への委縮を想定していると思って不思議はないが、何の為に、誰を利益を守るためにそんな法律を作る必要があったのかと言えば、いわゆる「著作権者・管理団体」の利益を守るため、ということになっている。著作権者は自由に「思想」を表現している訳だけど、その権利を守るための方策が、引いてはデジタル利用を委縮させる方向の、ややもすると「別件逮捕」運用のような、正に「本を焼く」ような危惧をしなければならないような方向の法律が成立するに至っている。これでも、「本を焼く国ではいずれ人を焼く」という人々は、「デジタルを焼く国ではいずれ人を焼く」と、自信を持って警鐘を鳴らせるだろうか?

4043898053 図書館戦争 図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)
有川 浩 徒花 スクモ
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-04-23

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