ビッグ・データがこの先いちばん不要にするのは実は「経営者」?

なるほどなあ。まさに目から鱗。そこまで思考が及びませんでした。

ビッグ・データの活用によって、これまでのITでは発見できなかった知見を得ることができると言われていて、今ビッグ・データが最も売り込まれている先はたぶんマーケティング関連だと思います。確かに、コンビニの、売上高はあまり高くないとあるプライベート商品が、実は来店頻度の高い「得意客」がよく購入し、しかもリピート率が高い商品なので、売れてないという理由でこの商品の生産を中止すると、この商品を楽しみに来店していた「得意客」を失ってしまう、というような分析は、従来のPOS情報では難しかったと思います。

しかし、この3月15日付の日経朝刊の見出しはほんとに目から鱗で、いつもは朝刊は通勤時に読んで会社の新聞捨てに捨ててくるのに、大事に持って帰ってきたくらい僕には有益でした。

「勝算は不明だが、社長が言うからやるしかない」「しばらく様子をみて結論は次の会議で」-。そんな情緒的で、悠長な意思決定は通用しなくなるかもしれない。

SAPジャパンの村田聡一郎氏は、「企業経営は3K(勘、経験、慣習)ではなく、データを土台にしたものに変わる」という。

確かに、なぜ3Kで経営するかというと、あらゆるデータを網羅的に必要十分な速度で分析することができなかったから。それが、ビッグ・データ技術の進歩で、本当に大量データをリアルタイムに分析できるようになれば、3Kで経営する必要はなくなる。小刻みにトライ・アンド・エラーを、PDCAを回すことができる。

粗っぽいけれど、「ビッグ・データ技術が経営判断を下してくれる」という未来を想像したとき、思ったことは二つあります:

  • 今「ビッグ・データ」と言ったときに想定されるほどのデータ量を集積できる企業活動を行っている企業はいわゆる「大企業」に限られると思う。その「大企業」では経営層の維持コストが高額になっているとすれば、ビッグ・データ技術が経営判断を代替することで、「経営のコストダウン」を図ることが出来る。これは「経営のリストラクチャリング」に繋がることだと思う。そして、特に製造系の業種において、大規模企業でなければ製造できなかったけれども、企業全体の維持コストが高すぎるために製造の自由が生産者の手から離れてしまった状況を改善できるのかも知れない。
  • 逆に、個人事業主にとっては、直接ビッグ・データを集積して経営に活かせないかも知れないけれど、大企業での知見が活かせるような状況になるかも知れない。そうなると、『MAKERS』が謳うような、生産主権の奪取のための一助になるのかも知れない。

経営ほど数字を純粋に使える領域はない、そう繰り返し繰り返し言われ続けてきたので、ビッグ・データは確かに経営にこそ適用できる領域に思えてきますし、部分的にであれ、人間が下してきた経営のディシジョンを置き換えていかなければ嘘のような気がします。そこにもし、人間の判断を挟まないといけない理由があるとしたら?-数字ではない判断材料だとしたら、それは今まで僕らが言われてきた「経営」ではない、と言っていい事態のような気がします。