田舎と都会、官と民

JRの車内で忘れ物をしたのです。結論から言うと、JRは忘れ物に関しては使えないのです。

JRはもちろん民営化されて久しいのですが、いろいろと国鉄時代のオペレーションが残ってるようで、忘れ物の取り扱いもその一つのように思います。といっても私鉄で比較対象は近鉄しか経験がないんですが(そんなにしょっちゅう忘れ物してるのかというのが恥ずかしいですが)、近鉄は忘れ物に気づいたときに駅員さんに言うと、乗っていたその電車が今どのあたりを走っているのか調べて、次に止まる駅に連絡してくれます。止まった駅で駅員さんか車掌さんかが列車内を探して、忘れ物をピックアップしてくれます。自分の忘れ物をこれでピックアップしてもらったこともあるし、ピックアップしているところを見たこともあります。確か、ピックアップされたら、自分の最寄り駅まで運ぶ段取りもしてくれます。

一方、JRはというと、乗った電車を覚えていたとしても、その電車の終点まで探してくれません。終点でも別に探すというわけではなく、社内点検の際、忘れ物の報告がなかったか、という確認をするだけです。

そもそも今回の忘れ物の対応はなかなかに鈍いものでして、私が忘れ物をした電車は11:15大阪発新快速敦賀行。でも行き先は草津だったので、京都で普通米原行に乗り換える訳です。その、乗り換えの際に、座席に忘れ物をしたんですが、草津駅で、11:15大阪発新快速に忘れ物をした、と言っても、その新快速は草津に来ない電車なもんだから、駅員さんがピンと来ない訳です。要は、忘れ物の申告というのは、今草津駅に到着して出発した電車に乗っていた人が言ってくるもんだ、という経験しかないんですよ。

その後も、何両目とかどういう忘れ物とか、先回りして説明しているのにいちいち聞き取りが鈍いし、見つかっても見つからなくても電話しますって言って電話してきたのが非通知で、私の携帯は非通知は着信しないようにしてあるんですが「非通知なので出られません」というアナウンスが流れているのに、通知にして掛けなおしてくる訳でもない。客先訪問で草津に行ってたので、帰りに駅によって聞いてみたので結果はわかりましたけど(見つからなかった)、もし聞かなかったらどうするつもりだったんだろう。

最近、田舎をもてはやす傾向があるように思いますが、やっぱりサービスというのはさまざまな数を熟している人がよいサービスを提供できると思います。田舎にももちろん老舗旅館とか、極上のサービスを提供するお店はあると思いますが、一般的に言って都会でのサービスのほうが気が利いていると思います。接客の態度もこなれています。この日の帰り、京都駅で下車して一仕事した後、何を勘違いしたのか近鉄に乗るところをもう一度JRの改札を通ってしまい、駅員さんに「改札通ったんですが、近鉄に乗りたいので・・・」とそこまで言っただけで「わかりました」で入札取り消し処理してくれました。やっぱりそういうもんだろうと思います。

そしてJRの忘れ物の扱いです。今日も連絡なかったので、たぶんもう見つからないだろうなと思います。JRの忘れ物市とかありますけど、あんなもん、忘れ物見つけようという努力してないんだもん山ほど出てくるに決まってるし、忘れ物情報パソコンに登録してるとか言ってるけど、見つかったとしてどうやって照会してるんだろう?乗った車両もはっきり覚えてる人少ないだろうし。とにかく不親切で、そういう意味での「官」な仕組・体質のままです。

そんなこと思いながら、「オレ、去年の今頃何してたんだろう?」と写真観てたら、名古屋まで走ってたんだね。この時期に我ながら凄いなと思いました。


第3期いこま塾 第2回"“「あったらいいな」を形にする” 関西ワンディッシュエイド協会理事長 樽井雅美氏 に参加しました

詰まる所、「仕事をしている人は、市民活動などしなくてよい」ということか。

参加者6人でのワークショップの際、「樽井さんが自分と違うと思うところは何か」という問いに対して、「端的に主婦だということ。私は会社員でそれだけの時間がない」と言ったところ、「あなたぐらいの年齢の男性は仕事で脂がのっている時期だから、樽井さんと同じようなことはできないと思います。身近なところから始めればよいと思います」と、初老と見える女性が仰った。

その内容自体は全く私も同意見なんだけど、このやり取りに2つの違和感を持った。1つは、私の発言が、「何か大きなことを成し遂げたいと思っている」と前提されて受け取られていたこと、もう1つは、身近なことを何もしていないと前提されていたことだ。

私がこの「いこま塾」に参加しようと思った動機の中で最も大きいのは、「地域のことをほとんど知らない、地域活動に参加できていない」という反省。だいたいの中年サラリーマンは「地域のことをほとんど知らない、地域活動に参加できていない」という批判に当てはまると思う。確かに、仕事に24時間すべて注ぎ込むのは大変だけどやりやすいことだし、そのほうが仕事上の成果も上がるけれど、自分が住んでいる地域のことを何も知らない、地域に何も貢献できていないというのは生活者として不完全と確かに思うので、自治会やその行事や市のイベントにできるだけ参加するようにするようになった。この「いこま塾」への参加もそのひとつ。

今日の内容は全国的にも注目されている活動の主催者の方の話だったけれど、内容はともかく、私のような中年サラリーマンがこういったイベントに参加するだけでもかなり珍しいことだと思う。私はその「中年サラリーマンがこういったイベントに参加することが珍しい」という状況そのものを改善していかないと、市民の成熟というものはないと考えていた。

ところが、このイベントに参加している人の意識も大半は、「中年男性サラリーマンは、身近なことですら、地域活動には参加していなものだ」という前提を持っているという印象を受けた。仕事を持っている人は、仕事をしていればいいというのが大半の意識なのだ。

私はここで大きく落胆したが、更に一歩進めて樽井さんの言葉を思い返した。「育児のストレスが重なって、自分が社会と繋がっていないような感覚になって、何か少しでも社会と接したい一心で」。市民活動というのは、こういうことなのかも知れない。行政では不足する仕組みやサービスの遂行とか、いろいろなメリットは言われるものの、最大のメリットは社会との接続を生み出すということなのかも知れない。そう考えると、主婦や退職世代が市民活動の中心というのは改めて自然だと思える。そして、仕事をしている人間は、仕事によって社会と接続できているので、改めて市民活動で社会と接続しなくてもよいと言われているように思える。

そう言えば最近、会社で子持ちの男性3人が続けさまに「自分は仕事でおむつ代を稼がないと」「自分の稼ぎがなければ子どもを食べさせていけないのだから」と、仕事に没頭することを肯定するための「常套句」を言うのを聞き、なんと旧態依然としているのだろうと驚いたことを思い出す。最初に書いた通り、24時間フルに仕事に注ぎ込むのがいちばん容易いこと、けれど現代の我々は、そうではないやり方の実践を求められている。ルールがないからといって遮二無二時間を仕事に費やすことを当然視できない環境にいるのだ。もうひとつ、新聞の夫婦お互いに対する不満、といった特集で、「喧嘩の最後には「誰のおかげで食べていけるんだ」と言われる」という20代女性の声があって驚いた。その言葉は今や言ってはいけないものとして同意がとられている言葉と思っていたから。世代を超えてまだ使われているとしたら、国民性というのはそうそう変わらないということなんだろうか。

いろいろ考えたけれども、やはり地域活動に参加する市民は、老若男女まんべんなく参加している状態が自然であり理想だという考えは変わらない。だから、中年サラリーマンが地域社会に参画できるようなスケジュールや取組を真剣に考えないと、地域が歪になる時代がすぐそこまで来ていると思う。市民活動が助成金で育てられるとしたら、その助成金は誰が支払っているのか。市ではなくて、市民なのだ。税金なのだ。

ガー・レイノルズさんの「プレゼンテーションの極意」@生駒オンリー・ワン講座を聴講しました

プレゼンを「する」能力をあげるべきなのか、「聞く」能力をあげるべきなのか。

ガー・レイノルズさんと言えば『プレゼンテーションZEN』の著者の方です。

「プレゼンテーション」という言葉に、多少なり躊躇いとか抵抗とかを覚える人がいて、その理由の最も大きなところは「中身よりも見栄えが優先されるような気がする」というものだと思います。逆に、プレゼンテーションの重要性を伝える側は、「よいものであっても、伝え方が効果的でなければ、よいものが活かされない」という危機感から来ています。この双方のすれ違いを踏まえた上で、私が今回、受講しながらずっと考えていたのが、冒頭の、「プレゼン”する”能力をあげるべきなのか、”聞く”能力をあげるべきなのか?」という問いです。

今回のセミナーでも引用されていたTEDは、オーディエンスも優れているので、プレゼンターが中身のないプレゼンを準備することはありません。演者と観客の双方向の牽制が効いているので、高いクオリティが維持可能になっています。

PowerPointの「箇条書き」「テンプレート」はあまりにもわかりやすい例で、プレゼンテーションの話では常に攻撃対象に利用されますが、あの方式はバーバラ・ミントに従ったブレイクダウン・ストラクチャーで、型を守ることで誰でも一定のクオリティを保ったプレゼンテーションを作成することができるし、自分の意見を他人に理解してもらう上で、ブレイクダウン・ストラクチャーに則った「論理的な」記述が有効であるのを、否定できる人はいないと思います。

ブレイクダウン・ストラクチャーは、「論理的な考えは、認めなければならない」という、議論の大前提、暗黙のルールがあるからこそ活きています。だから、論理的に考える訓練を受けていなくても、「テンプレート」という「型」、つまりフォーマットに従うことで、誰でも容易に、比較的短時間で、他人を納得させることのできる、論理的に組み立てられたプレゼンテーションをつくることができます。

ということは、パワーポイントの「箇条書き」「テンプレート」への攻撃は、「論理的」な展開への攻撃と言い換えてもいいと思います。確かに、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの中では、「共感」ということが繰り返し強調されました。パッションを持って、共感を呼び寄せよう、感情に訴えかけよう、と。

ここまで考えて、私にはこのプレゼンテーションの二つの流儀は、コミュニケーションにおける神学論争ではないかと思いました。つまり、論理で理解するのか、感情で理解するのか、という神学論争。我々人類は長い間、人間は感情任せであると大きな間違いを招く危険性がある、だから理性的・論理的でいなければならないと思ってきました。しかし、現在のところ、プレゼンテーションにおいては、論理よりも感情が優先するというのが潮流のようです。つまり、「論理」という、時間を大量に必要とする形での相互理解ではなく、「感情」によって、瞬間的直観的に理解するのを是としようとしています。

ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションルールの要点のひとつは、「何を残して、後を捨てるか」ということ、これはつまり、人間の認知の限界と、世がスピード社会化していて時間が足りない、という現実を予め受け入れた上で、次善の策として、要点だけをピックアップして伝える、という解釈をすることもできるのではと思います。。もちろん、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの組み立てが、非論理的だとは思いません。けれども、根底の哲学がそういうことになると思います。

そして、このルールが牧歌的だと思うのは、それはあくまでも「聞き手」のスキルも高いときにしか成り立たないと直感的にわかるから。聞き手のスキルがそれほど高くない時、感情に訴えかけるプレゼンテーションが主流になって、その中に中身がないものが紛れ込んだとき、どんな悲劇が起きるかは簡単に想像できてしまいます。

ガー・レイノルズさんの『プレゼンテーションの極意』の要諦のひとつは、「聞き手に何かを得てもらうこと、それがプレゼンテーション」ということだったと思います。であれば、聞き手に応じた「型」を選択するところから、プレゼンテーションは始まっていると思います。どれだけ、動画も盛り込みフォントサイズも大きくしたピッチを準備しても、事業計画を説明する相手にとっては「プロトコル」があっていないということになるでしょう。その時点で「相手の立場に立てていない」ということになります。そこを踏まえた上で、今の自分にできることは、プレゼンテーション「する」能力を高めることも大事ですが、このセミナーが「生駒市民」に向けて行われた意義を顧みるとすると、市のさまざまな場面でこれから起きてくるであろうプレゼンテーションを「聞く」能力を高める努力を続けないといけないと思いました。

”小さい”けど、"小さい"から、使える!「生駒駅前図書室・木田文庫」

期待以上の施設かも。生駒駅前図書室 木田文庫。

生駒駅前再開発で、「ベルテラスいこま」というちょっと大げさな名前の施設が建設されたのですが、私にとっての目玉は「生駒駅前図書室」。生駒ご在住の木田さんが一億円以上の寄付をなさったことから「木田文庫」という別名が与えられた生駒駅前図書室は、思ってた以上に使えそうな場所でした。家から一分でいけるし、ヘビーユーザーになるかも。

事前の案内で「読書カフェ」というのができることは知ってたのですが、正直に言うと、この自販機が置いてある閲覧コーナーがあって、屋外部分もある、というそれだけのことなんですが…

今日がオープニングなので結構な人がいるかな、と思いながら足を運んだのですが、多少時間が遅かった(16時頃)とは言え、少なくはないものの、閲覧コーナーが座ってる人でいっぱい、というほどのこともなく、比較的快適に使えました。

「図書館」ではなくて「図書室」と謳っているように、それほど本は置いてなくて、旧たけまるホールの図書室のように、子供向けの本で占められているんだろうと思っていたのですが、確かに絵本コーナー等広かったですが一般書も雑誌も意外と豊富でした。とは言えやはり「室」クラスの規模ですし、閲覧室も読書カフェも座席数は2,30席くらいの規模ではないかなと思います。こじんまりしたものです。

「こういうの、大阪とかだとどれだけキャパを見合うものつくっても人が溢れて不便なんだろうなあ」と思った時、こじんまりした規模で、まずまずの人が集まっているというこの生駒駅前図書室の状況が非常に好もしいものに思えました。このくらいの規模の都市なら、需要がスパイクしてもその影響はある程度の範囲で済みますが、大都市になるとスパイクは人気モールサイトのトラフィックのスパイクと同じでもはや桁が違いすぎて有効な手が打てず(それに対して手を打つと、平常時との差がありすぎてコストが掛かり過ぎることになる)、不便を強いるような状況になってしまいます。

自分の住む街が程よいサイズで自分の価値観というか趣向というかそういうのに近くて住み良いというのはとても幸せなことだなと思いました。そしてこの「サイズ感」というのはこれから大事にしていかなければならないことに違いないなと感じました。

失うということ

大切な人と別れること
ひとりぼっちになること
誰かに笑われてしまうこと
欲しいものが買えないこと

何を嘆いているのか もう一度確かめて
(『光芒』/B'z)
B000WP0B2U ACTION
B’z
VERMILLION RECORDS(J)(M) 2007-12-04

by G-Tools
この会社に転職して以来8年おつきあいしてきたお客様を失った。8年間、常に弊社で拡張や更新して頂いていたシステムを競合に奪われた。もちろんそのシステムを奪われたことイコールお客様を失うことではないが、通常システムは4,5年保守なのでその間は使い続ける、つまり向こう4,5年は大きなチャンスが回ってこないということになる。

お世話になったお客様なので感情的なものもある。当然守秘義務があるのでほとんど書くことはできないけれど、大体においてシステムというのはほとんどベンダーを変えることなく10年20年と使っていくか、短いスパンでその都度最適なベンダーを選ぶかのどちらかで、5年以上おつきあいしているお客様は会社にとっても「上得意」であり、「数字を読み込んでいる」お客様になる。そういうお客様を失うダメージは相当大きいのだけれど、長くおつきあいするタイプのお客様の場合、ベンダーが安穏としないように時折プレッシャーをかけるので、当然失うかもしれないという局面は回ってくる。現場は当然長くおつきあいしているので、どうも今回は風向きがまずいぞ、というのは早い段階から肌で感じられる。

それが入札のように条件が明確で期日も明確な選定なら戦いやすいけれど、たいていの民間企業はそんなにガラス張りで検討したりしない。満たさなければいけない仕様条件というのも担当者の胸三寸だったり、見積提示期限も1社だけ1日多く猶予されたりする。そんな中、この案件を落としたことの口惜しさというのは、多分に政治的なものが関与したと思われるところなのか、何が我々のディスアドバンテージなのか分かっていながら社内が動かなかったことなのか動かしきれなかったことなのか、この案件このお客様はこの5,6年は大きな需要が見込まれるのに自社はその未来を計算に入れた提案ができないことなのか、奪っていった競合がその5,6年の大きな需要の舞台を持ってマーケティング的に広めてくることがわかっているからなのか、いつか自社がその競合からWinBackしたときの取りざたされ方が面白くないからなのか。自分のメンツにこだわっているのだろうか。

しかし、この案件このお客様については、海外本社含めてやれることは全部やりきったという自負はある。これで勝てなかったのなら仕方がないと、結果が出る前に思うことができたくらいやりきった。でも実際に敗北が決定した今、このお客様にどう対処していくのかという現実的な課題とともに、進路についての大きな課題を突き付けられた思いでいる。

何を嘆いているのか もう一度確かめて

「自分なり」の3/11

3/11が来てニュースにたくさん触れる。たくさん触れる中で頭の中にかすかに違和感を残したのは「自分なりに」という言葉だった。被災地を訪問した学生、被災者によるイベントへの参加者、ボランティア参加者、いろんな人がインタビューに答えて「自分なりに」という言葉を使っていた。「自分なりに被災者の方の気持ちを受け止められたと思うので」「自分なりに震災の甚大さを理解できたと思うので」等々。

思うことというのは本来どれも「自分なり」だと思う。自分なりの考えでないものは、誰かの考えに他ならない。何かを見聞きして感じ思うことは必ずすべて「自分なり」のはずだ。だからいちいち「自分なり」と断る必要はないはずだ。なのになぜこうも誰もが判で押したように「自分なり」と言うんだろう?言ってしまわなければならないのだろう?

日本語は、「こう思わなければならない」という規範の塊でできているからではないか。そして、「あなたのやっていること考えていることは、全く不十分なものなのだ」と常に誰かから言われるような環境にある言語なのだ。どこかに到達すべき頂点があって、常にそこを目指すことを強いられる言語。それが日本語。だから、何をどう感じるかは個々人でそれぞれなんだという「自由」がいつまで経っても受け入れられない。だから、震災の記憶に触れて、被災者の方がどういう思いでいるのかに思いを巡らせてみて感じたことも、わざわざ「自分なりに」と断っておずおずと差し出さないといけない。そんなこと「自分なり」に決っているというのに。

わざわざ「自分なりに」と前置きをさせる言語というのは、自立を妨げる言語であるような気がする。知らない間に日本語の巧妙な業に操られて、誰かの自由な思いを妨げるような発想をしていないか、3/11に改めて自省しようと思う。

ニューワー(ル)ド/NEW WOR(L)D

今年の目標、今年のテーマ、というようなことを、毎年毎年元旦に考えてきたけれど、今年は何故かうまく考えを纏めることができなかった。毎年、テーマを考えて、できたこともあればできないこともあり、どちらかというとできないことのほうが多いものの、テーマを考えながら日々過ごしてみて、このテーマに沿ってやってみて成果があったとか、これは少し軌道修正が必要だ、とかを繰り返すことに疲れてしまったのかと疑ってしまうような感覚だった。

何を目指せば充実感が得られるのか、正直に言えば全くわからなくなっていた。経済的な成功を目指すのか、内面の向上を目指すのか、身を立てるのか、四十二になるというのにその判断すら覚束ない、その価値基準を構築しようというのがこの数年の大きなテーマだったはずなのにその足がかりさえ掴めていない自分に情けなさしか覚えなかった。

募るのは卑屈な思いと寂寥感。無力感。今更何かを頑張ったところで手遅れ、だけどそれでも頑張ってみようと思ってやってみてもある日突然一つ残らず一番下の積み木から蹴飛ばされて潰されるようなそんな感覚。少しのミスも許されず、少しのミスもしないように微細に微細に決め事を重ねても重ねた決め事の隙間をあざ笑うかのように思いもしないアクシデントが襲い失敗し落ち込み、ではと決めずに気楽にと思えばそれもまたうまく行かずにやぶれかぶれになる。

もともと体力づくりを怠っているし体が強いほうではないので、ムリをすればムリをするだけ、気が立って言葉が荒くなる。メンタルを鍛えようとしても、少しのズレも許せない心の狭さが邪魔をする。

今年は新しい世界を目指そう。ただ、新しい世界を目指そう。何かの延長線上ではない、新しい世界を。新しい風景を見たい。そのためには新しい言葉が要る。今までのこの言葉ではもう限界は見えている。新しい言葉を、自分の日常の言葉に変えていかなければいけない。その先に、新しい世界がある。その新しい言葉の土台は、きっと感謝の気持ちのはずだ。だから新しい言葉と新しい世界を目指す最初の日に、感謝 の文字を記そう、感謝とともに。今年のテーマは「ニューワー(ル)ド」。

いつかのブリコルール

facebookで山本あつしさんがブリコラージュと名につく団体のページをオススメしてくださったのを見て、「そう言えばオレがブリコルールって書いたのいつだっけな」と振り返ってみたら2年も前だった。

ブリコルール

 I'm a bricoleur.

どっかの誰かがまた生半可に言い出しそうなので、たまには先手を打って言ってやる。唾を飛ばして言ってやる。根性なくても言える。

オレはブリコルール。

確かにシステムは概念だけれど記号でもある。そしてシステムエンジニアというよりもシステムブリコルール。

物言いとしてはよくないけれど、なかなか勘のいいこと思いついてるな、と珍しく昔の自分に感心した。

大風呂敷を広げる

そりゃ少ない予測を言う人よりも「こんなに儲かります」という人のほうがいいに決まってるよなあ、と、改装中のポルタを歩きながら唸ってしまった。

どこの会社もそうなのかも知れないけど私が勤める会社は期初にいわゆる販売計画を立てる。組織の長も個人もそれぞれ立てる。長年勤めてきた印象だけど、その計画に対する進捗を真剣に追っていくのは期の2/3くらいまでで、期限最後に近づくにつれてどうでもよくなってくる。そしてまた新しい計画を立てる季節が来る。最終的な結果はあまり、問われない。これなら、出来る出来ないは度外視して、「大口」叩いた人が評価されてしまう。私はこの風潮が好きになれなかった。

ところが今日改装中のポルタを歩いていて、人気のあるブランドをテナントに入れたい場合、近場に百貨店やショッピングモールがある中で、若干古い印象のある場所はどうやって誘致するのかなあとふと思ったら、「京都駅徒歩1分なので日にこれだけ、月にこれだけの人が通ると思われる」という前提を土台に、なるべく大きい数字を言わないと、ブランドも「お、そこ入ろう」という気を起こさせないよなあと思うに至り、やっぱりビジネスというのは大きな絵を描けないといけないんだなあと強く実感した。小さい夢しか描けない人は、ビジネスの現場には要らないのだろうきっと。

すべての仕事は(遅かれ早かれ)さよなら

タイトルはもちろん、言うまでもなく、フリッパーズの名曲『すべての言葉はさよなら』から。

京都駅で少し昔のことを思い出していた。その少し昔、東京出張から帰る新幹線の京都着時間が55分か10分か25分か40分かそこらだったら(つまり0分か15分か30分か45分の5分前そこらだったら)、もうすぐ京都ですのアナウンスが流れたら5号車付近まで行って階段を駆け下りて改札を駆け抜けて、近鉄の特急券売り場に猛ダッシュしたものだった。0分・15分・30分・45分に特急が出るのだ。京都駅の特急券売り場の係員の端末捌きはそれはそれは見事なものだった。新幹線を降りてくる客が、それだけ急いで掛け乗ろうとすることを熟知していた。「特急券西大寺まで禁煙、乗車券は生駒まで」と言い終わるくらいにはすでに特急券と切符が打ち出されていた。

写真のようにまだ特急券売り場はあるものの、僕が特急券売り場に駆け込むことはもうない。そういう局面がしばしばある近鉄沿線のビジネスマンは皆インターネット特急券のユーザになっていると思う。本当に隔世の感がある。僕が大阪に出てきて働き始めた頃、大阪駅はまだ自動改札じゃなかった。鶴橋の近鉄とJRの乗換口さえ、自動改札じゃなかった。あの流量を、人の目が見ていたのだ。それが今では特急の車内検札すら一席一席しなくてよくなっている。乗務員のハンドヘルドに、特急券が購入されている席が表示されるからだ。売れてないはずの席に座っている乗客にだけ、「特急券拝見します」と乗務員は声を掛ける。

どんなに優れた技能であっても、どんなに見事な職人芸であっても、時代が移り変わるとともにその仕事は姿を消す。自分が生きているうちは目の前から消えてほしくない所作は数あれど、そう言いながら実は黙殺してしまっている所作がどこかに必ずあるのだということを胸に刻んで過ごさないといけない。その不作為から僕たちは自由になることはできない。

すべての仕事は(遅かれ早かれ)さよなら。