すべての仕事は(遅かれ早かれ)さよなら

タイトルはもちろん、言うまでもなく、フリッパーズの名曲『すべての言葉はさよなら』から。

京都駅で少し昔のことを思い出していた。その少し昔、東京出張から帰る新幹線の京都着時間が55分か10分か25分か40分かそこらだったら(つまり0分か15分か30分か45分の5分前そこらだったら)、もうすぐ京都ですのアナウンスが流れたら5号車付近まで行って階段を駆け下りて改札を駆け抜けて、近鉄の特急券売り場に猛ダッシュしたものだった。0分・15分・30分・45分に特急が出るのだ。京都駅の特急券売り場の係員の端末捌きはそれはそれは見事なものだった。新幹線を降りてくる客が、それだけ急いで掛け乗ろうとすることを熟知していた。「特急券西大寺まで禁煙、乗車券は生駒まで」と言い終わるくらいにはすでに特急券と切符が打ち出されていた。

写真のようにまだ特急券売り場はあるものの、僕が特急券売り場に駆け込むことはもうない。そういう局面がしばしばある近鉄沿線のビジネスマンは皆インターネット特急券のユーザになっていると思う。本当に隔世の感がある。僕が大阪に出てきて働き始めた頃、大阪駅はまだ自動改札じゃなかった。鶴橋の近鉄とJRの乗換口さえ、自動改札じゃなかった。あの流量を、人の目が見ていたのだ。それが今では特急の車内検札すら一席一席しなくてよくなっている。乗務員のハンドヘルドに、特急券が購入されている席が表示されるからだ。売れてないはずの席に座っている乗客にだけ、「特急券拝見します」と乗務員は声を掛ける。

どんなに優れた技能であっても、どんなに見事な職人芸であっても、時代が移り変わるとともにその仕事は姿を消す。自分が生きているうちは目の前から消えてほしくない所作は数あれど、そう言いながら実は黙殺してしまっている所作がどこかに必ずあるのだということを胸に刻んで過ごさないといけない。その不作為から僕たちは自由になることはできない。

すべての仕事は(遅かれ早かれ)さよなら。