B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 STARS 9/21 & 9/24 ヤンマースタジアム長居

ツアーが終わっただけではない寂しさが忍び寄ってくる。

35周年当日の公演、初めて家族全員でLIVE-GYM参加できることが決まって以来ほんとうにずーっと楽しみにしていたので、当日はほんとに夢みたいな気分だった。ただ、雨が降ることは確実な予報で、当初は開演前の時間から降る予報だったので早めに会場に行くかどうかなかなか判断できず、結局長居には1時間前の16:30頃。意外とフードが混んでなかったので娘の好きな小籠包で小腹を満たす。

席はアリーナの、いちばん右端だけどかなり前のブロックで、娘の身長ではよく見えないだろうけど臨場感あっていい席。稲葉さん松本さんがステージの一番端に来てくれたとき真正面になるので否応なしに盛り上がる。

佐賀のときと同様に、松本さんが「できるだけ長く続けて行ければと思っています」と言ってくれてひとまずほっとしたのもつかの間、持つかなと思っていた天気がほんとに突然悪化、信じられない豪雨雷雨に。そのときはX(Twitter)とか見てなかったのでわからなかったんだけど線状降水帯が発生したとかで、避難を始めた頃には雨はあがる気配だったんだけど避難開始。19:30頃から避難で、20:30頃に避難から戻ってステージ再開。結局フルセットは聞けなかったけど、以降中止になるより全然良かった。避難の方法とか誘導とか事前に準備されていたと思われ、その計画性がさすがだなあと思った。

とは言え、やっぱりスタジアムツアーのフルセット聴けなかったのは残念なので、何気なくClub-Gymの直前販売見たら買えたので、急遽最終日に参戦。21日で今年のB'zが終わった、と思ってたところに突然舞い込んだ延長戦で、今まで経験したことのない日の流れになりなんとも言えない高揚感があった。デジタルチケット発券してみたらスタンドだったのでそれは残念ではあったけど、後ろの方のアリーナよりスタンドのほうが見やすくていい。

…と思っていたのだけど、21日に中断により聴けなかったので楽しみにしてた『YES YES YES』が、稲葉さんがアリーナの外周を回る演出があったんだと目撃して、あ〜あの日中断がなければ、稲葉さんが真横に来るのを家族に見せることができたんだ、と思うとすごくすごく残念な気持ちになった。見に来なけりゃ知らずにすんで、どこにもぶつけようのない後悔を抱かずに済んだのに、と思うほどだった。

稲葉さんはいつも通り丁寧で心暖まる言葉を投げかけてくれたし、松本さんは今日も「この先もできるだけ長く続けて行ければと思っています」と言ってくれた。けれど、HINOTORIのときのように、「See You Next Year」はなかった。流石にB'zも来年は休むのではないかなと思ったりする。続けると言ってくれてるし「また絶対会おうね」と言ってくれているけれど、物議を醸したJuiceでの荒天で中断されたライブの際のMC「今日のこの皆さんで絶対また会いたい」といったニュアンスの言葉(当時、これに対して「言わないほうがよかったと思うなあ」と書いているブログを読んでいて、あの頃は個々人の意見をブログで書くのが当たり前という、それは「良い時代」だと言っていいと思う)のように、実現可能性がだんだん減っていくのは間違いなくて、今度家族三人でいつLIVE-GYMにいけるんだろう、と思うと寂しくなる。いつか行けない日が来ることにも想いを馳せてしまう。

それでも、その寂しさを乗り越えていく力をB'zは分けてくれているように思う。どんなときにも丁寧に。自分たちの思い通りにならないことのほうが圧倒的に多いはずなのに、それをドライブしていく様を35年に渡って手本を示してくれている。年を取ることは寂しいことに違いはないけれど、年を取った以上はそこを乗り越えて少しでも自分も誰かのヒーローになるよう更に努力を積んでいかないといけない、そう思える力を分け与えてくれる今回のツアーでした。

B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 STARS 6/18 SAGAアリーナ

心の何処かで「もうほんとに二度と観られないかも」と思ってたんだなと思った。

観られないということはなくて、去年もHighway Xツアーがあり、参加できてるんだけど、ふつうに声出しできる、ほんとにふつうのLIVE-GYMがもしかしたらもう観れる日が来ないかも、と、心の何処かで本気で思ってたんだな、と気づいたのは開始直後の音を聴いて少し涙が出たから。そして、35周年という節目で、お二人の年齢もあるし、今後はどうなるか…と漠然と思っているところに、松本さんが「これからも作品を出してツアーを続けていきたいと思っています」とMCしたときははっきり泣いてしまいました。

会場の大きさというよりも、どうしても少しでも早くライブに参加したくて片っ端から申し込み、この佐賀公演が取れたときは文字通り嬉しさで飛び上がった。2泊3日でひとりでライブに行くという、非日常のシチュエーションを楽しみにする気持ちと、家族は快く送り出してくれるけど自分一人だけ申し訳ないと思う気持ち、ひとりで電車に揺れるときの気持ち、せっかく来たのに疲れとかもあっていろいろ行動してみようとせず、その自分を詰るような気持ち、諸々ひっくるめて、若い頃はそういうずるずるする自分を自分で助長して駄目だ駄目だ言う割に放置してうっとりするような感じだったのが、今はほんとに不思議な配合で全部受け止めつつ感謝し大切なひとつの思い出にできるようになった。

セトリ自体は「ザ・Pleasure」という感じだった。ほんとに誰でも楽しめると思うし、どちらかというとマイルドな選曲・並びで、楽しく騒げる内容だった。アンコール後、深々と頭を下げるいつものお二人を見てもっかい涙が出てきた。佐賀まで行ってほんとによかった。ツアーは始まったばかり、体調に気をつけて最後の大阪まで無事終えられることを心から願っています。

ショーテージ

UNIT大阪城ホールはもちろんB'z PartyでもClub-Gymでも申し込んだけど敢え無く落選で、B'z Partyからのニュースメールは追っていたので、マッチングシステムは発動しない、当日先着順がある、と知っていたけれど当日には頭になかった。もし覚えていたらトライしていたか?・・・あまりに確率が低そうなので頭になかった、のでそのif文はない気がする。

今回、B'zにしては珍しいチャレンジングなことをやったなあと思って、そこはとても誇らしい。B'zは音楽に関してはずっとチャレンジングだけど、世の中にメッセージを発信するということにおいては優等生的というか、あんまりリスクを取らないとずっと思ってきた。このタイミングで有観客ライブを企画し、しかもただでさえチケットが取れないといわれる中で城ホールで限定人数というのを敢行したのは凄いと思う。

その一方で、最初から「これはチケット取れないな~」と思って諦めている自分がいた。UNITEの配信リリースのニュースも、たぶんちょっと遅れで知ったと思う。5erasのフルセットブルーレイは買ったけど、なんというか、この流れで来られると、少し執着心が剥がれていくような予感もした。それだけ、ライブというのは大きなものだという再認識。

『Maximum Huavo』/INABA/SALAS

辛辣!一言で言えば「辛辣」。このEDM?ダンスミュージック?僕らくらいの世代ならかなり懐かしい感じのエレクトリック加減をイマ風にかっこよくなった曲にこの辛辣な歌詞を乗せる稲葉さん。アーティストももっと政治を語れよといつもB'zに思ってるんだけど実はB'zは案外政治的な歌詞も歌ってるんだけど、この『Maximum Huavo』は辛辣過ぎる!最初にタイトルの由来聞いたときは、音がダンスミュージック的だから、それと極になる感じで「男気」的なノリでつけたのかな、と思ったけど多分違った、これは「オレたちはタマ持ってるぜ!」って堂々と言ってる感じだね。

『Mujo Parade ~無情のパレード~』の”意味ない目標掲げ八百長/そいつに一票入れたのはオレ"とか"不満は垂れ流すけど/革命とかに興味ない"とか、"愛情は給料何ヶ月分?""ヒエラルキーの灯りの下で"とか。そしてその状況に「オドリマショオドリマショ」と、踊るしかない踊ることしかできないっていう無情な感じ!

もっと直接的に『Demolition Girl』は"忖度なんかないよ"とか出てくるし。『Violent Jungle』の"騒ぐ子どもにちょっと注意したら/短気な隣人は急に怒鳴り散らし"から始まる流れもなんというか救いがない。誰もがわかってるけど何もしない預言書みたいな趣がある。

でも最初全体一回聴いたときは「体が動くけどなんと救いのない雰囲気…」と思ったけどやっぱり「全部自分のせいだと思えばいい、そこから立ち向かっていけばいい」という稲葉節は健在で、繰り返し聴けば聴くほど勇気が湧いてくる。あんなに辛辣で「踊ることしかできない」って雰囲気漂わせてるのに立ち上がらせるのが『Maximum Huavo』の凄さだと思う。

インスタでも話題になった『IRODORI』も、なんだろうこの現状とのシンクロ感と思ったし、"どんな辛い試練もこの人生の彩"と説教臭い言葉がそのまま投げられるんじゃないところが受け取る側が受け入れられる言葉になって届いてくる素晴らしい曲、だけど個人的にはやっぱり『U』。これ一生聴いて生きていける。

そして稲葉さんの「親目線」の歌詞が逐一身に刺さる!今回そんな雰囲気が2曲もあってしみじみ聴き入る。発売前のもろもろの記事で、のれるダンスミュージック集的なイメージしか持ってなかったから、余計にこの「タマ持ってるぜ!」に感化されてしまう!


B'z "B'z LIVE-GYM Pleasure2019 - Whole Lotta New Love - 2019/06/14@三重県営サンアリーナ

常にそのただ中で「今」を楽しもう、とまるで撃たれるようにその言葉の意味を理解した帰り道。

元旦に至るところで#Bz2019という謎の告知が行われ、もちろん2019年にLIVE-GYMが開催されることは2018年のLIVE-GYMの千秋楽での発表で知っていたのでツアースケジュールが把握できるな、と思ったのもつかの間その中に「三重」があったことで俄然テンションが上がった元旦(稲葉さんの初日MCの痛恨の重複をオマージュ)。学生時代を過ごした三重でのLIVE-GYMに参加したい、しかもかなり早い日程だし、おまけにアリーナーツアーだからキャパ10,000人くらいだろうし、絶対行きたい!!ということで有給取れること前提で第1希望を平日金曜で申し込み見事SS当選。GW明けくらいから来る日も来る日もこの日にだけは大事な予定が入らないように微調整に微調整を重ね続け無事計画有給取得。前回開催は11年前のACTION、だけどその時は落選で行けなかった三重県営サンアリーナへ。

遠方のライブに行くのは小旅行的で楽しいんだけど、今回一番困ったのは車。翌日の予定の都合上どうしてもその日に帰宅しなければならず、そうなると電車で向かうことができない。サンアリーナはあまり駐車場が潤沢でないという下調べはしてたので早く現地につかないといけないけどそうは言ってもどれくらい早く着くべきか、どれだけでも早く着くに越したことはないしそれ自体は苦にならないけどそんなに早く着いて一体現地で何をするというの…とかぐるぐる回り、ひとまず12:00くらいにつけばどうにかなるだろうと思ったらすでに正規の駐車場は満車!!参ったーあの徒歩20分とかいう臨時駐車場に停めないといけないのかーと思いながらなとなく同じ停められなかった車列についていったら近くに駐車場があって運よく停めることができた。会場まで5分ちょっと?これは本当に幸運。

独りで参加だしグッズはほとんど興味ないし(B'zさんすみません)、ひたすら車の中で予習したり仕事のメール見たりワンセグでTV見たりたまに会場まで歩いて行ってツアトラ見たりして気分転換したりして時間をつぶすこと5時間、いよいよ入場の列ができたので並ぶ。SSは1枚14,000円なのでさすがに(SSだけじゃないけど)自分も含めて年齢層が高い高い。そして引き換えたら出てきたリストバンドはアリーナ3列!3列目ってたぶん"CIRCLE OF ROCK"のとき以来じゃないかな。育ちの地で至近距離で観られるなんてどうしたって顔がにやける。

ライブ本編は、まあこんなサイト検索で絶対引っかからないと思うけど一応マナー上ネタバレ入れて、と:

---以下ネタバレあり---














こんなもんでいいか。

なかなか珍しいなーと思ったのはアルバムの曲ほぼやったことかな?やってないの"Da La Da Da"だけかな?これもネットで調べてみたら日違いで別の曲と入れ替わりみたいなので、基本全曲聴けるツアーってことに。これはやっぱり今回バンド一新してそのバンドで作ったアルバムだからっていうことが大きいのかな。年齢層のこと書いたけど、今回のアルバムはよくLED ZEPPELINのような、という形容がついているみたいだけど、確かに僕らが子どもの頃の「ロック」というテイストが素人目にもする。ワールドワイドでもGRETA VAN FLEETとか、こういうロックが潮流になりつつあるのかな、と思うんだけど、確かに最初聴いたとき妙にゆったりだな、と思いつつもノリー今でいうバイブス?-は悪くないし、心地よさがある。激しいのを避けてこういう音に行ってるのではない感じはすごく感じた。サイケデリックな感じもあって。それで思ったのはB'zはそういう、テイストを変えるということに関してはサポートメンバーを変えることで大胆に取り入れることができるし、それによって新しい学びを積極的に取れる稀有なバンドなんだなということ。最新の音楽をやるために何を取り込めばいいのか、というのはメンバーによって補強することができる訳で、『NEW LOVE』は見事に新生ロックバンドになっていた。

それにしても歌唱と演奏のダイナミックさとは裏腹に、なんで稲葉さんのMCはあんなに固かったんだろう(笑)。ぎこちないったらありゃしない。すごくしゃべりにくそうにしてた感がある。地方に行くとそうなのかなあ?でもソロのとき、神戸はめっちゃ喋りにくそうだったなあそういえば。単にその日の調子なのか?なんにせよ最後の「またいつか絶対会いましょう!」の一言がめちゃめちゃ重かった。まあたぶん来年はツアーはないと思う。そうすると再来年?再来年のツアーってどうなっているのか?今回アリーナツアーだったけど、どんなふうになっていくのか?全然想像も予想もできない。ただただ、今回の『NEW LOVE』の楽曲で繰り返し歌われるように、守りになんか入らない、いつでも常に全力疾走する、というスタンスだけが響く。

アンコール終わって規制退場ではないことに気づいてぞろぞろ会場を出て、車は運よく駐車場内で列になっておらず道路に出るのもスムーズで、渋滞もなく高速に乗れた。深夜に車を独りで走らせるというのはもうずいぶん久し振りのことで、非日常感でちょっと気分が高揚する面と、どのルートが一番早く帰れるのか、カーナビがさすルートが自分がよく知るルートと違ったりしてその判断とかで心細い気持ちになるのとで混乱するんだけど、家に帰るとこれも楽しい思い出記憶になるんだろうなあと思ったとき、ならば今その心細ささえも楽しもう、それが「今」を大切にすることなのだと急に思い至った。僕は何でも過去を懐かしみあれがよかったと浸ってしまうクセがある。でも心細くてもなんでも、やっている「今」を愉しまないといけない。それが『NEW LOVE』で感じたことでもあった。向こう見ずという訳じゃない。たわいない夢、今日もひとつだけかなえるのだ。

そして何か変わる
いつか何か変わる
(『Rain & Dreams』/B'z)

『WOLF』『デウス』/B'z

聴けば聴くほど、今の"IN THE LIFE"な感じ。

『WOLF』

いつどのタイミングで書かれた歌詞なのか推測してないけど(タイアップがあったのでそこから逆算してある程度推測できるはずだけど)、「嫌われることを恐れて なにかを成せると思うの?」というのが、メンバーチェンジと重なって非常に重い重い。この「嫌われることを恐れてなにかを成せると思うの?」というテーゼは他の曲にも出てきて、自分をしっかり持つことの重要性を思い知らされる。B'zはずっとそういうスタンスの歌詞だったはずだけど、『WOLF』のそれはひたすら重い重い。「友情なんかいいエサにされる」と、『Brotherhood』を下に引いたようなイメージが重なったりするのもあるかも。それでも頑張るのは大きな意味での「愛」があるから、なんだよね。

『デウス』

まあもう死ぬまでやりたいことやります、と大見得切ってる曲なんだけど、そこに放り込まれる「ちっぽけな存在こそが自由」。ガツーンと胸と頭をいきなり殴られるような衝撃。結果を追い求めすぎていて、どんなふうに生きるのか(=スタイル)を忘れてしまっていないか、というメッセージと、始めるのに遅いことなんてない、というメッセージと、「ちっぽけな存在こそが自由」。そしてこの曲に『デウス』とつけるフィーリング。爽やかな曲調でないと受け付けにくいくらい厳しいメッセージだと思う。

『マイニューラブ』『兵、走る』/B'z

愛じゃなくて恋だったのね。

『マイニューラブ』

ライナーノーツで佐伯明氏も『SUPER LOVE SONG』に触れててちょっと嬉しかった。人生のとっくに半分以上を聴いてきて、ずっと人生の先輩的な、年を取っていったときどういう心構えでいればいいか、というのを指し示してもらってきたけど、今回はアルバムタイトル発表されて『NEW LOVE』と聞いたとき、今生きている時代に欲しいと思っていたものとピタリと合った感じがして、初めてシンクロした気分だった。最近ずっと思っていたのが『SUPER LOVE SONG』で「ばらまいてよGood News」だったから。今必要なのはニューラブ。「新しい恋のようなもの」と「愛しすぎちゃったらそれは愛じゃなくなる」。このわからないようでわかるようでわからない感!額面通りにはもちろんわかるけれど、もっと奥まで突っ込んでその奥義の悟りを開きたくなるような言い回し。でもほんと、NEW LOVEっていい言葉だと思う。

『兵、走る』

twitterかなんかで「タイトルみて、”ヘイヘイ”って来るの読めたわ」みたいなこと書いている人が「つわものやけどな」って切って返されてたのが痛快やったけど、稲葉さんがPCで漢字変換するまでつわものが「兵」と知らなかったってのも、ほんとかな~ってちょっと思ったり。横国だよ?受験勉強でやったでしょ?みたいな。それはさておき、最初、CMソング発表で聴いたとき、確かにラグビーっぽいけどちょっとやっつけ感あるな~ってダレてたんだけどアルバムで聴いたら見違えた。「アナタは先のほう ずっと先のほう」は泣ける。「走らなくなったら終わり」っていうのはこのアルバム全編通して出てると思う。だから疾走感なのか!

『NEW LOVE』/B'z

なにこのどん詰まりの"なさ"感。そして頻発する「同情」のワード。

30周年ツアーの千秋楽に翌年のニューアルバム&ツアー告知されたので、アルバムのテイストとしては『Loose』とか『ELEVEN』とかあの雰囲気かなーと思ったら、まあそうと言っちゃそうなんだけど違うのは突き抜け感。仕切り直し感が全然ない。『Loose』とか『ELEVEN』は立ち止まるというかリスタートというかそんな立ち位置の空気があると思うんだけど『NEW LOVE』はそういうの全然ない。なんでしょうこの疾走感。

稲葉さんって同じ言葉重複してあんまり使わないタイプの作詞家だと思うんだけど、今回ははっきりくっきり目に付く「同情」のワード。『DINOSAUR』のときは「孤独」がキーワードだったけど、今回は「同情」。『WOLF』で「吹けば飛ぶような/同情がちらほら」、『デウス』で「本気の同情 上辺の表情 どっちでもよい」、『トワニワカク』で「同情なんか必要ない 私はあきらめない」。これだけ並ぶと、やっぱり声でなかった際の外野とそれに呼応した稲葉さんのメンタリティを推測せずにいれない。だけどそれよりは、「同情」を「要らないもの」と撥ねつけているスタンスを学んで、何でもかんでもシンパシーを強要しシンパシーで済まそうとする現代に抗え、というメッセージに捉える。

そう考えると、ここしばらくの「成熟路線」からさらに一周回ってまた若くなった感満載なんだけど、でもやっぱり痺れるのは『俺よカルマを生きろ』。

痺れる自業自得の道

もう当面これ以上なんも要りません。頑張ります。戻るもんか!

B'z "B'z LIVE-GYM Pleasure2018 -HINOTORI- 2018/09/15@ヤンマースタジアム長居

生きている間にあの曲をもう一度生で聴けるとは思ってませんでした!

こんなサイト誰にも引っかからないですが、マナー上、以下、ネタバレありです。しかし、ライブ前にもちょっと頭を過ったんだけど、今ではライブの情報とかウェブで検索しても、引っかかるサイトってアフィリエイトがらみの情報サイトばっかりなんですよね。セットリストとグッズ情報だけ並んでるような。10年前だと検索するとそれはもうわらわらぞろぞろと個人の感想が満載のホームページやブログ(がもう広まってた頃かなー)が検索結果に並んで、見出しの引用だけでセトリちょっと見えちゃって「あ”ー!!」みたいなこと結構あったと思うんだけど。今じゃウェブでそういうこと発信するほうが珍しいというか。なんかそういう時間がみんななくなっちゃったんでしょうね。あの頃はそういう「無償」の遊びに使う時間がまだあったんだと思う、今やそういうのもアフィリエイトとかで「対価」つきじゃないとやってられない時代になったんでしょうね。インスタとかで感想書いてる人はまだそこそこいてるものの、インスタというSNSの特性上、感想というよりは音楽雑誌とかラジオとかのイベントお勧めコメントみたいになってるし。

---以下ネタバレあり---







こんなもんでいいか。

ヤンマースタジアム長居ということで屋外ということで、心配のひとつは雨。B'zはファン誰もが認める雨男なので。そして自分も雨男なので。ちゃんとパッカブルレインコート持っていきました。でも実際に使ったのは5分間くらい2回だけで、稲葉さんも天に向かって「ありがとうございますぅ」と叫ぶくらい持ちました。

もう一つ、一番大きな心配は稲葉さんの喉と体調。レディクレで中途切り上げがあり、今回も直前の福岡・豊田で不調だったというのをネットで見ていて、LIVE DINASOURのとき同様、いつかは必ず来る観れなくなるときのことを思いながら1時間前に入場、ぼんやり待つ。今回はS席でアリーナの最後方、ほぼ肉眼ではステージ上の動きは見えない位置でしたが周囲のお客さんはマナー悪い人はなく、両隣も相当B'z好きと思われる男性で盛り上がれました。

『裸足の女神』は野外にめっちゃあってた!!後奏の「NaNaNaNa~」の掛け合い延々続くのは実はあんまり好きじゃないんだけど、今回はほとんどなく、とても爽やかに秋の夕暮れに響いてました。

そして『Wonderful Opportunity』!! 仙台まで行った2008年のACTION以来10年ぶり。もう聴けることないだろうな~と思ってただけに感涙。今度こそ、もうこの先、生で聴けることないかもな~もう会えないかもしれないよ~もうヤレないかもしれないよ~って頭を巡る。本当に人生の大事なときを救ってもらった曲なので、じっくり耳に落とし込むように聴く。やっぱりこの辺の年代の曲を聴くと、大学時代を、大学からの親友との切磋琢磨を、胸が焦げるくらいの熱さで思い起こす。

唯一、事前にHINOTORIについて目にした情報はファンクラブのインタビュー記事だったと思うんだけど、そこでHINOTORIについての解説が語られていて、そのテーマにちょっと「ん?」と思ってはいました。うーん、それ持ってきて魂盛り上がるかなあ、みたいな。確かに30年と言う時間を思えば、その間には本当に様々な出来事が誰にも積み重なっていて、その中には戻れないような想いが募る出来事もあるでしょうけれど、なんというかそれはライブで消化できないのでは?と少々疑問で。

で、ライブ中の演出を振り返ってみると、「B'zのLIVE-GYMへようこそ」もかつてBrotherhoodのときにやった紙コップver.のだったり、Spilit Looseのときのオープニング映像を流したり、極めつけはLOVE PHANTOMのダイブをやったり(今回はスタント入れ替えなしで本人がほんとに飛んだように見えたけどどうなんだろう?これもウェブで探ろうかなと思ったけど以外と簡単なワードでは個人ブログとか引っかからないんだよね)、過去のステージを再演してくれる中で、MCは常に「感謝」に溢れる言葉で。そう言えば歌詞もやっぱり変化してて、昔は「終わらない旅をする」なんて言ってもすっごいまだ先がある感満載だけど、ここ数年は「もうここまで来たんだから」という、開き直りじゃなくて覚悟のようなものを滾らせる言い回しが多いと感じていて、それは今回やった『光芒』の「自分を救う それは自分なのか 今更答えはいらない」とか、『パーフェクトライフ』もそうだし、思えばACTIONあたりからそうなのかな、その覚悟を感謝で包んだような言葉をたくさん聞かされた。

だから、長い年月生きてきたら、いろんな出来事があって、いろんな記憶があって、いかんともしがたい事柄というのも多少はあって、そういうのもひっくるめて生きていこう、という大きなメッセージに、LOVE PHANTOM-HINOTORI-LOVE PHANTOMからアンコールのBrotherhoodのMCに繋がる流れで感じ取れたのでした。

強く心に刻んだのはやはり時間がそう残されていないということ、残されていない時間をどう生きるかということ。残されていない時間を少しでもよく生きるために、彼らのような真摯で謙虚なスタンスをもう一度真似しなくてはいけないなということ。よりよく生きるためにそれは絶対に必要なことで、今の僕の周りは少しでも自分を大きく見せようとする人たちであふれかえっていて、言葉の端々に少しでも自分を大きく見せようという意識が零れ出ているような人たちであふれかえっていて、自分もうっかり負けじとその言葉の応酬にのっかってしまっている。この厳しい世界ではそういう戦いを制していかなければならないけれども、やはり自分はそのやり方ではないやり方で自分の人生を制していきたい。そのための準備は紆余曲折ありながらもなんとか続けられているし、言葉も準備できつつある。長い年月の中で起こったあらゆる事柄に感謝を込めつつ、B'zから生きる喜びのためのリスタートの時間をもらえることを感謝して、また手を抜かないように生きていきたいと思えたPleasureでした。


B'z "B'z LIVE-GYM 2017-2018 LIVE DINASOUR" 2018/02/01@京セラドーム大阪

偉大ですよ。偉大な”生きた恐竜”ですよ。ライブ中、思わず何度も両手を合わせて拝んでました。

入場でバタバタするのがイヤで開演1時間前に到着したけど顔認証もなんもナシ。すっと入れてすっと席につけて、後ろの男二人組がデカい声で何やってほしいとかいつぞやのライブがとかぎゃーぎゃー騒ぎまくるのをひたすら耐えること1時間。オープニングは『声明』!RADIO CRAZYを絶不調で中断したというニュース以降、気になって時々ライブレポ的なニュースやブログを見てたんだけど、あれ以降は、多少ツラそうな曲があった公演も見かけたけれどほとんど問題なし、という感じで、この2/1の大阪初日も全開でした。『CHAMP』も全開でヴォーカルきっちり聴こえました。『声明!』『ぶっちぎる!ぶっちぎる!』のレスポンスでこっちのほうが喉が早くも痛くなったり。

と思ってる間に畳みかけられたのが『孤独のRunaway』!後悔は少なめのMy Life、ですよ!アルバムの感想で「とにかくひとりのオンパレード」で勇気づけられた、と思ってたところに『孤独のRunaway』。ちょっと泣いたと思います。もしもあなたの心が身軽なものなら。でもこれは、とにかく現状を捨てろ、とか、思いきれ、とか、簡単に言っているのではなくて、自分の信念に忠実に従うんだよ、という青臭いことを強烈にカッコよく植え付けてくれている。それを補完するように、後段、「だれにもよりかからないでやっていくことは 信用するなとか友情捨てろってことじゃなくて クジが外れてもネチネチ愚痴らず前に進めるかどうかだろう」と歌う『FIREBALL』まで演ってくれた。

僕はとにかく話すのが苦手で話すのが嫌いで会話がイヤで、人とうまく話すことができなくて、話を聞くのは好きなんだけど、それでは人間関係がうまく構築できないし、自分の思いや考えを伝えたり通したりすることができない、けれど言葉を重ねることはなんかエクスキューズのようで、それは勘違いなんだけど染みついた性分というか感覚は抜けないもので、だけど『孤独のRunaway』は、「許されないのはわかってるつもり 世間の仕組みにとても勝てないから」で何を言いたいのか考えたときに、言葉の大切さに改めて気づいた。B'zが自分たちの衝動に忠実にやってきたように、自分の信じるところに忠実にやっていこうと改めて思った。

『赤い河』もたまらなかった。『DINASOUR』もたまらなかった。何より、今回の特効が、結構控えめというかシンプルというか、けしてスケールが小さいという訳ではなくて(『DINASOUR』のスクリーンとか茫然と見入ってしまった)、いろんなところで言われている通り、本当に「音」を丁寧に届けようという純粋なところが全面に出ていた。MCも、いつも以上に丁寧な言葉遣い丁寧な口調だったと思う。あの丁寧な言葉をマネしなければいけないと思った。これは長年チャレンジしているけれども届かないことだ。それは、上辺だけをマネしようとしていたからだというシンプルな結論に至った。いつも自分が言っているように、わたしのわたしとあなたのわたしは違うんだ。

規制退場の帰り、後ろの人が「知らん曲ばっかりやったわ」と言っていたのを聞いて、少し嬉しくなった。B'zには、そんな人もどんどん引き込むような活動をまだまだ続けてほしいと切に願った。