『マイニューラブ』『兵、走る』/B'z

愛じゃなくて恋だったのね。

『マイニューラブ』

ライナーノーツで佐伯明氏も『SUPER LOVE SONG』に触れててちょっと嬉しかった。人生のとっくに半分以上を聴いてきて、ずっと人生の先輩的な、年を取っていったときどういう心構えでいればいいか、というのを指し示してもらってきたけど、今回はアルバムタイトル発表されて『NEW LOVE』と聞いたとき、今生きている時代に欲しいと思っていたものとピタリと合った感じがして、初めてシンクロした気分だった。最近ずっと思っていたのが『SUPER LOVE SONG』で「ばらまいてよGood News」だったから。今必要なのはニューラブ。「新しい恋のようなもの」と「愛しすぎちゃったらそれは愛じゃなくなる」。このわからないようでわかるようでわからない感!額面通りにはもちろんわかるけれど、もっと奥まで突っ込んでその奥義の悟りを開きたくなるような言い回し。でもほんと、NEW LOVEっていい言葉だと思う。

『兵、走る』

twitterかなんかで「タイトルみて、”ヘイヘイ”って来るの読めたわ」みたいなこと書いている人が「つわものやけどな」って切って返されてたのが痛快やったけど、稲葉さんがPCで漢字変換するまでつわものが「兵」と知らなかったってのも、ほんとかな~ってちょっと思ったり。横国だよ?受験勉強でやったでしょ?みたいな。それはさておき、最初、CMソング発表で聴いたとき、確かにラグビーっぽいけどちょっとやっつけ感あるな~ってダレてたんだけどアルバムで聴いたら見違えた。「アナタは先のほう ずっと先のほう」は泣ける。「走らなくなったら終わり」っていうのはこのアルバム全編通して出てると思う。だから疾走感なのか!

『NEW LOVE』/B'z

なにこのどん詰まりの"なさ"感。そして頻発する「同情」のワード。

30周年ツアーの千秋楽に翌年のニューアルバム&ツアー告知されたので、アルバムのテイストとしては『Loose』とか『ELEVEN』とかあの雰囲気かなーと思ったら、まあそうと言っちゃそうなんだけど違うのは突き抜け感。仕切り直し感が全然ない。『Loose』とか『ELEVEN』は立ち止まるというかリスタートというかそんな立ち位置の空気があると思うんだけど『NEW LOVE』はそういうの全然ない。なんでしょうこの疾走感。

稲葉さんって同じ言葉重複してあんまり使わないタイプの作詞家だと思うんだけど、今回ははっきりくっきり目に付く「同情」のワード。『DINOSAUR』のときは「孤独」がキーワードだったけど、今回は「同情」。『WOLF』で「吹けば飛ぶような/同情がちらほら」、『デウス』で「本気の同情 上辺の表情 どっちでもよい」、『トワニワカク』で「同情なんか必要ない 私はあきらめない」。これだけ並ぶと、やっぱり声でなかった際の外野とそれに呼応した稲葉さんのメンタリティを推測せずにいれない。だけどそれよりは、「同情」を「要らないもの」と撥ねつけているスタンスを学んで、何でもかんでもシンパシーを強要しシンパシーで済まそうとする現代に抗え、というメッセージに捉える。

そう考えると、ここしばらくの「成熟路線」からさらに一周回ってまた若くなった感満載なんだけど、でもやっぱり痺れるのは『俺よカルマを生きろ』。

痺れる自業自得の道

もう当面これ以上なんも要りません。頑張ります。戻るもんか!

B'z "B'z LIVE-GYM Pleasure2018 -HINOTORI- 2018/09/15@ヤンマースタジアム長居

生きている間にあの曲をもう一度生で聴けるとは思ってませんでした!

こんなサイト誰にも引っかからないですが、マナー上、以下、ネタバレありです。しかし、ライブ前にもちょっと頭を過ったんだけど、今ではライブの情報とかウェブで検索しても、引っかかるサイトってアフィリエイトがらみの情報サイトばっかりなんですよね。セットリストとグッズ情報だけ並んでるような。10年前だと検索するとそれはもうわらわらぞろぞろと個人の感想が満載のホームページやブログ(がもう広まってた頃かなー)が検索結果に並んで、見出しの引用だけでセトリちょっと見えちゃって「あ”ー!!」みたいなこと結構あったと思うんだけど。今じゃウェブでそういうこと発信するほうが珍しいというか。なんかそういう時間がみんななくなっちゃったんでしょうね。あの頃はそういう「無償」の遊びに使う時間がまだあったんだと思う、今やそういうのもアフィリエイトとかで「対価」つきじゃないとやってられない時代になったんでしょうね。インスタとかで感想書いてる人はまだそこそこいてるものの、インスタというSNSの特性上、感想というよりは音楽雑誌とかラジオとかのイベントお勧めコメントみたいになってるし。

---以下ネタバレあり---







こんなもんでいいか。

ヤンマースタジアム長居ということで屋外ということで、心配のひとつは雨。B'zはファン誰もが認める雨男なので。そして自分も雨男なので。ちゃんとパッカブルレインコート持っていきました。でも実際に使ったのは5分間くらい2回だけで、稲葉さんも天に向かって「ありがとうございますぅ」と叫ぶくらい持ちました。

もう一つ、一番大きな心配は稲葉さんの喉と体調。レディクレで中途切り上げがあり、今回も直前の福岡・豊田で不調だったというのをネットで見ていて、LIVE DINASOURのとき同様、いつかは必ず来る観れなくなるときのことを思いながら1時間前に入場、ぼんやり待つ。今回はS席でアリーナの最後方、ほぼ肉眼ではステージ上の動きは見えない位置でしたが周囲のお客さんはマナー悪い人はなく、両隣も相当B'z好きと思われる男性で盛り上がれました。

『裸足の女神』は野外にめっちゃあってた!!後奏の「NaNaNaNa~」の掛け合い延々続くのは実はあんまり好きじゃないんだけど、今回はほとんどなく、とても爽やかに秋の夕暮れに響いてました。

そして『Wonderful Opportunity』!! 仙台まで行った2008年のACTION以来10年ぶり。もう聴けることないだろうな~と思ってただけに感涙。今度こそ、もうこの先、生で聴けることないかもな~もう会えないかもしれないよ~もうヤレないかもしれないよ~って頭を巡る。本当に人生の大事なときを救ってもらった曲なので、じっくり耳に落とし込むように聴く。やっぱりこの辺の年代の曲を聴くと、大学時代を、大学からの親友との切磋琢磨を、胸が焦げるくらいの熱さで思い起こす。

唯一、事前にHINOTORIについて目にした情報はファンクラブのインタビュー記事だったと思うんだけど、そこでHINOTORIについての解説が語られていて、そのテーマにちょっと「ん?」と思ってはいました。うーん、それ持ってきて魂盛り上がるかなあ、みたいな。確かに30年と言う時間を思えば、その間には本当に様々な出来事が誰にも積み重なっていて、その中には戻れないような想いが募る出来事もあるでしょうけれど、なんというかそれはライブで消化できないのでは?と少々疑問で。

で、ライブ中の演出を振り返ってみると、「B'zのLIVE-GYMへようこそ」もかつてBrotherhoodのときにやった紙コップver.のだったり、Spilit Looseのときのオープニング映像を流したり、極めつけはLOVE PHANTOMのダイブをやったり(今回はスタント入れ替えなしで本人がほんとに飛んだように見えたけどどうなんだろう?これもウェブで探ろうかなと思ったけど以外と簡単なワードでは個人ブログとか引っかからないんだよね)、過去のステージを再演してくれる中で、MCは常に「感謝」に溢れる言葉で。そう言えば歌詞もやっぱり変化してて、昔は「終わらない旅をする」なんて言ってもすっごいまだ先がある感満載だけど、ここ数年は「もうここまで来たんだから」という、開き直りじゃなくて覚悟のようなものを滾らせる言い回しが多いと感じていて、それは今回やった『光芒』の「自分を救う それは自分なのか 今更答えはいらない」とか、『パーフェクトライフ』もそうだし、思えばACTIONあたりからそうなのかな、その覚悟を感謝で包んだような言葉をたくさん聞かされた。

だから、長い年月生きてきたら、いろんな出来事があって、いろんな記憶があって、いかんともしがたい事柄というのも多少はあって、そういうのもひっくるめて生きていこう、という大きなメッセージに、LOVE PHANTOM-HINOTORI-LOVE PHANTOMからアンコールのBrotherhoodのMCに繋がる流れで感じ取れたのでした。

強く心に刻んだのはやはり時間がそう残されていないということ、残されていない時間をどう生きるかということ。残されていない時間を少しでもよく生きるために、彼らのような真摯で謙虚なスタンスをもう一度真似しなくてはいけないなということ。よりよく生きるためにそれは絶対に必要なことで、今の僕の周りは少しでも自分を大きく見せようとする人たちであふれかえっていて、言葉の端々に少しでも自分を大きく見せようという意識が零れ出ているような人たちであふれかえっていて、自分もうっかり負けじとその言葉の応酬にのっかってしまっている。この厳しい世界ではそういう戦いを制していかなければならないけれども、やはり自分はそのやり方ではないやり方で自分の人生を制していきたい。そのための準備は紆余曲折ありながらもなんとか続けられているし、言葉も準備できつつある。長い年月の中で起こったあらゆる事柄に感謝を込めつつ、B'zから生きる喜びのためのリスタートの時間をもらえることを感謝して、また手を抜かないように生きていきたいと思えたPleasureでした。


B'z "B'z LIVE-GYM 2017-2018 LIVE DINASOUR" 2018/02/01@京セラドーム大阪

偉大ですよ。偉大な”生きた恐竜”ですよ。ライブ中、思わず何度も両手を合わせて拝んでました。

入場でバタバタするのがイヤで開演1時間前に到着したけど顔認証もなんもナシ。すっと入れてすっと席につけて、後ろの男二人組がデカい声で何やってほしいとかいつぞやのライブがとかぎゃーぎゃー騒ぎまくるのをひたすら耐えること1時間。オープニングは『声明』!RADIO CRAZYを絶不調で中断したというニュース以降、気になって時々ライブレポ的なニュースやブログを見てたんだけど、あれ以降は、多少ツラそうな曲があった公演も見かけたけれどほとんど問題なし、という感じで、この2/1の大阪初日も全開でした。『CHAMP』も全開でヴォーカルきっちり聴こえました。『声明!』『ぶっちぎる!ぶっちぎる!』のレスポンスでこっちのほうが喉が早くも痛くなったり。

と思ってる間に畳みかけられたのが『孤独のRunaway』!後悔は少なめのMy Life、ですよ!アルバムの感想で「とにかくひとりのオンパレード」で勇気づけられた、と思ってたところに『孤独のRunaway』。ちょっと泣いたと思います。もしもあなたの心が身軽なものなら。でもこれは、とにかく現状を捨てろ、とか、思いきれ、とか、簡単に言っているのではなくて、自分の信念に忠実に従うんだよ、という青臭いことを強烈にカッコよく植え付けてくれている。それを補完するように、後段、「だれにもよりかからないでやっていくことは 信用するなとか友情捨てろってことじゃなくて クジが外れてもネチネチ愚痴らず前に進めるかどうかだろう」と歌う『FIREBALL』まで演ってくれた。

僕はとにかく話すのが苦手で話すのが嫌いで会話がイヤで、人とうまく話すことができなくて、話を聞くのは好きなんだけど、それでは人間関係がうまく構築できないし、自分の思いや考えを伝えたり通したりすることができない、けれど言葉を重ねることはなんかエクスキューズのようで、それは勘違いなんだけど染みついた性分というか感覚は抜けないもので、だけど『孤独のRunaway』は、「許されないのはわかってるつもり 世間の仕組みにとても勝てないから」で何を言いたいのか考えたときに、言葉の大切さに改めて気づいた。B'zが自分たちの衝動に忠実にやってきたように、自分の信じるところに忠実にやっていこうと改めて思った。

『赤い河』もたまらなかった。『DINASOUR』もたまらなかった。何より、今回の特効が、結構控えめというかシンプルというか、けしてスケールが小さいという訳ではなくて(『DINASOUR』のスクリーンとか茫然と見入ってしまった)、いろんなところで言われている通り、本当に「音」を丁寧に届けようという純粋なところが全面に出ていた。MCも、いつも以上に丁寧な言葉遣い丁寧な口調だったと思う。あの丁寧な言葉をマネしなければいけないと思った。これは長年チャレンジしているけれども届かないことだ。それは、上辺だけをマネしようとしていたからだというシンプルな結論に至った。いつも自分が言っているように、わたしのわたしとあなたのわたしは違うんだ。

規制退場の帰り、後ろの人が「知らん曲ばっかりやったわ」と言っていたのを聞いて、少し嬉しくなった。B'zには、そんな人もどんどん引き込むような活動をまだまだ続けてほしいと切に願った。

『DINOSAUR』/B'z

まあもう驚くほどの「ひとり」オンパレード。心酔。

いろんなところでリリース前に解説されているのを読むまでもなく、ファンなら"DINOSAUR"と言うのはB'z自身のことを例えてるんだろなあというのは直ちに了解していた訳で。だって生き残りですよ。THE ONLY SURVIVING HARD ROCK BAND IN JAPANですよ。まあでも歌詞を見るまでは「生きた化石」みたいなニュアンスの自虐系かなと思ってたんだけど、意外や意外、珍しくはっきりと自分たちの「ビッグ感」を言い切ってる。

Call me a dinosaur マネできんだろう
(『Dinosaur』/B'z)

マネできんだろう、ですよ。どうですかこの「やれるもんならやってみな」感。

そしてDinosaur以上なのが、リリース前にYoutubeで聴けた『CHAMP』。だって『CHAMP』ですよ。"I'm a champ. I am a champ."って言っちゃうんですよ。はっきりしてんなあってニヤニヤするというか苦笑いするというか。

かまやしないさ望むとこ
この寂寥感この逆風感
それさえ君らの憧れだろ
(『CHAMP』/B'z)

これで痺れない訳がない。そしてちゃんといつものように、”信じるだけじゃ足りないから/他人の想像超え励む"って歌う訳ですよ。泣けます。

だけどこのアルバム全体を通して強く感じたのは「ひとり」。今までで一番、「ひとり」って出てくるような気がする。『CHAMP』も、”ヒトリデカマワナイ”と歌うし、『Queen Of The Night』も、

背筋を伸ばしひとり立つ
涼しい顔でひとり立つ
後ろ見ないでひとり立つ
(『Queen Of The Night』/B'z)

『Purple Pink Orange』も、

わかってるのに 変われるはずなのに
あなたの事を ひとりにしてしまう
(『Purple Pink Orange』/B'z)

他の曲も、「ひとり」という言葉こそ出てこなくても、『ルーフトップ』とか、とにかく孤独だったり置き去りだったり味方がいなかったり、そんな「ひとり」の情景を思い起こさせる。稲葉は『孤独ノススメ』とか、折につけて「ひとり」の大切さを歌ってきてくれてきたけれど、『DINOSAUR』の「ひとり」は、避けようのない孤独というようなものが漂っている感じがする。それは、やっぱり年齢によるものなのかもしれない。老けたということではなくて、年齢を重ねると当然別れが増える。身近な人が亡くなる経験も増える。否応なしに、「置いて行かれる感」「生き残っている感」を感じてしまう。残り時間も気になってしまう。そんな中でも、若い時からその重要性を掴んでいたほうの「ひとり」を大事にするためにはどう心構えればいいのか、そんなことを考えさせ身にしみこませてくれるようなアルバムだと思う。
B076DZQJHZ DINOSAUR (初回限定盤)(Blu-ray付)
B'z
バーミリオンレコード 2017-11-28

by G-Tools

"開戦する潔さがない?"(『苦悩の果てのそれも答えのひとつ』)

ドハマリ中です『CHUBBY GROOVE』。発売前に曲名一覧見て一発で気になると思いつつその気持ちを抑えたんだけど目下このアルバムはこれがいちばん。
    

稲葉の「恋愛をモチーフにして社会的なことを言う」歌詞の真骨頂。出だしが

死んでも手に入れたい
そんなものないんだな
残念だけどこの頃
つくづくそう思うよ

で、「あーすごく夢中になるような何かを見つけることができない、残念な自分みたいだなー」という解釈で感情移入しかけたところに

開戦する潔さがない?
手を挙げる大胆さもない?
弱虫でしょうか?

ですよ。参ったね。まさか安全保障に於ける、もっと言えば憲法に於ける日本の立場を織り込んだ歌詞です。「海戦する潔さがない?」と、「開戦」という言葉を入れているから間違いない。だから、出だしの「死んでも手に入れたい そんなものないんだな」も、命を懸けてまで戦う理由なんてないんだ、ということを婉曲的に言っていると読めます。過去に「大量破壊兵器」という言葉を歌詞に入れた稲葉ならではの歌詞。開戦も無条件に従うでもなく対応していくことを否定はしないこの歌詞。開戦する潔さも手を挙げる大胆さも、結局自分たちが傷の付かないアクションならなんでもいいと思ってるんじゃないでしょうか。

”自分勝手ならごめんなさい”(AISHI-AISARE)

明後日あたりにはCD届くだろうというのにこれだけのためにdヒッツ申し込もうとしたくらいだった(実際はdヒッツはダウンロード未対応とわかったのでそれならyoutubeでもいいやと思ってやめた)。

"BLACK COFFEE"と同じようなこの苛まれ感。この歌詞は、そこまで深刻なことを歌っている訳じゃないとくらいは読み取る力は僕にもある。出だしで

喜怒哀楽とか天井シラズ
たまにキズ 言葉が暴走して
取り返しがつかなくなる

と言ってるんだから、これは相性抜群平穏なふたりの”言い過ぎ”ケンカ程度がモチーフの歌詞だ。それを思いっきり80年代歌謡ロック風にして不釣り合いに情感たっぷりにしている、そのアンバランスさが面白い曲だ。とはわかってる。わかってるけど、

無我夢中で取り戻したい

やっぱりここ。続く歌詞が

春の陽のように優しい感触

なので、相手を失っている訳ではなくて相手との仲直りを”取り戻したい”と言っていると思うけれど、僕にはここはそれ以上に響く。なぜなら、その前に

自分勝手ならごめんなさい

という一節があるからだ。言葉が過ぎたケンカの仲直りで”自分勝手”は普通ない。相手も言葉が過ぎていて、両方仲直りしたいと思っているはずだ。それを”自分勝手ならごめんなさい”というということは、自分のほうが悪いと思う何かが頭の中にあって言っているシチュエーションが浮かぶ。そしてその取り戻したいと思うものを”春の陽のように”と、季節のような長いスパンの言葉を持ち出してくるところに、長い時間の中で失われてしまった優しい感触の”何か”を思い浮かべずにはおれない。

これは長く一緒にいる中で、馴れなのか惰性なのかでずるずると失ってしまった、付き合って間もないころの初々しい、すべてに優しい気持ちを持つことのできる自分を取り戻したい、と歌っている歌に違いないと僕は思う。それを失ってしまったのは自分の心掛けの悪さなのに、それを取り戻したいというのは、”自分勝手”と自覚があるのだ。そして、”自分勝手”と思うのは、春の陽のように優しい感触は、自分だけでは取り戻せないとわかっているからだ。自分の心掛けの悪さで、相手もそれを失ってしまっていたら、自分だけが取り戻しても二人の間では優しい感触は帰ってこない。だから、自分勝手だけど取り戻したい、と言っているのだ。

そしてこの曲がそこまで大仰なことを言おうとしているというのは、二番のここでも伺える:

欲しい物見つけたら
がむしゃらに突き進む
必死の思いで 手に入れた宝が
いつしか重くのしかかる

そして、優しい感触は、春だけではなく、夏も秋も、反語のように引用されてるのに、冬はない。

春の陽のように優しい
夏の雨のように優しい
秋の予感のように優しい
ゆずれない感触

『YELLOW』/稲葉浩志

つくづく、自分の青春時代からずっと、同時代を生きてる近い世代のアーティストが現役でい続けてくれることのありがたさを再確認。

少し疲れ気味になると耳の奥頭の底でフェードインしてくる昔の曲。なんという言葉でもってその郷愁を言えばいいのかわからないくらいの郷愁が同時に沸き上がる感じ。もちろんその時に帰ることはできないから、郷愁を胸の中で千切れるまで掻き毟るしかない。そんなふうなことを折につけ吐露していたら、この曲だ。

”むせかえるような砂浜で
繰り返し流れていた歌が
この細い腕をつかんで
連れ戻してくれる
穢れなど知らぬ頃の自分に"
"もうそこには帰れない
寂しさ嚙み締め叫びます"

これに魂を鷲掴みにされ、ここまでシンクロしたら堪らんなあと思ってたら、こう来る:

”他人の哀しみなど
分からなくても泣いてみせる"

せせら笑われているようなこの感じ!

それでも、全編通じて振り返っては悔やむばっかり、”全部チャラにしてくれ”と太陽に願うくらいの心情が、最後のサビで一気に急展開して、

”全部チャラにしなくてもいい”
”もうどこにも帰らない
何も怖くないと叫びます”

結論的にはこれしかなくて、すでに"パーフェクトライフ"で提示されているモチーフなんだけど、”パーフェクトライフ”と違って、恋愛軸がぜんぜん入ってない分、中年男が抱く”ここまで来てしまった感”を突破するエネルギーがダイレクト。最後のサビはほんとにコンパクトで、内容的には比較的軽いものなんだけど、そのシンプルさこそが中年が前を向くために必要なものなのだ。厚顔無恥にはやっていけない生真面目さが残ってしまう中年が前を向くためには。そこはシンクロしているに違いないと思う。

ちなみに(今のところ)配信限定です。

『BASIN TECHNO』/岡崎体育

書きたいのは『スペツナズ』。『MUSIC VIDEO』は俄かファンが書かなくてもいいでしょう。

『VOICE OF HEART』をなんで普通にやりきる曲にしなかったのか、AメロとかBメロとかメタネタは『Explain』でも『MUSIC VIDEO』でもやってるし、せっかく切ない系歌謡テクノなのに2番からコミックソング的になるのが若干残念というか、アルバム中に1曲マジメにやりきってる曲を入れてバランスとるのは昭和世代の感覚で、平成世代はやるなら全部おもろいテイストじゃないと、どの曲だけつままれるかわからないし、ということなのか、とか思ってちょっとGoogleにかけてみたら、妄キャリとの2マンで2番の歌詞を忘れて飛ばしてしまうという、正にこの収録と同じ展開があったことを知り、それを再現してるのかこの収録は、とか思ったんだけど、それもこれも『スペツナズ』で吹き飛ばされる。

もう信じられないくらい強烈に吹っ飛ばされる。

写真を抱いた泣きじゃくる老婆
待ち望んだ言葉はいつも「ただいま」
(『スペツナズ』/岡崎体育)

『スペツナズ』は最後までやりきられる。『スペツナズ』の意味を、もし知らなければGoogleで調べてから、ぜひ聴いてほしいです。『スペツナズ』を混じりけなしにリスナーの胸に聴かせるために、『VOICE OF HEART』で照れておいた、と思ってもあながち間違いじゃないと思う。

B01DIB2RM6 BASIN TECHNO
岡崎体育
SME 2016-05-17

by G-Tools

B'z "B'z LIVE-GYM 2015 EPIC NIGHT" 2015/07/05@京セラドーム大阪

稲葉さんがMCで言った「気持ちが大事だからね、気持ち」これに尽きます。
(ネタバレします)

すっかり生活が変わり、ライブの感想も1週間遅れが精一杯だし、早めに会場に来て雰囲気を楽しむこともなければライブの前に徹底的に予習することもない、だから"NO EXCUSE"で”重々!”をやり忘れたり、でも楽しみ方が変わってもLIVE-GYMはLIVE-GYMでした。本編でアルバムチューンをすべてやってくれたのは何かの思し召しだと信じたいくらい。本当に本編を楽しめるだけで十分でアンコールは飛ばして家路に着いたのだけれど、まるで生活が変わればそういうこともあると言わんばかりに、アルバムチューンはすべて本編で聴けたのでした。

"BLACK COFFEE"に燃え上っていたのはアリーナ10列目付近というコアなファンばかりと思われるエリアでも僕だけでしたが、過去のタイトルの胸を抉ってくる選曲の凄いこと。"YOU&I""Don't Leave Me""Blue Sunshine"って。”きっと良かったんだろう僕たちは巡り合えて””似たようなことを何度繰り返して一体どこに辿り着けるの””わかりあうことの難しさを思い知る”ー泣かすじゃないですか。

でまあ”Ultra Soul"はやるよなあ、と一通り盛り上がって、いっつも思うけど続けて”スイマーよ!!"やればいいのに、と思ってたら"スイマーよ!!"ですよ!セットリスト全く見ず行ったのでびっくりでした。アリーナ10列目付近というコア(後略)でも、往年のクロールを模したフリをやってたのは僕だけで、この曲で一体オーディエンスがどこまで盛り上がれたのかちょっと不安でしたが、”魔法じゃない じゃないけどできるよ”はやっぱり泣けるのでした。

この先あとどれくらいライブを観れるのか楽しめるのかわかりませんが、観れても観れなくても悔いのないように、今まで成長のためのエネルギーをくれ続けてきたB'zに失礼のないように、熱心に生きていこうと改めて思ったライブでした。"EPIC DAY"のことを”いちばんまったりとしたアルバム”なんて書いてごめんなさい。あれは尋常じゃないエネルギーが炸裂しているアルバムです。