『1Q84 BOOK3』/村上春樹

4103534257 1Q84 BOOK 3
新潮社  2010-04-16

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まず何よりもびっくりしたのは、「青豆と天吾のラブストーリーがどうなるか」を楽しみにBOOK3を読んだ人が結構いるってことだった。ネットで感想をいろいろ漁ってみると、BOOK2で青豆が死んでしまったのかどうか、そしてBOOK3で青豆と天吾が無事再会できるのかどうか、そこに興味のほとんどを集中させて読み、その顛末にやきもきあれこれ書いている人が少なからずいたことにびっくりした。はっきり言って、青豆と天吾がどうなるのかなんて、BOOK2を読み終えた時点で、もしBOOK3が出るとしたらこうなるしかないってストーリーだったし、この二人の「ラブストーリー」的なところには全然ウエイトがおかれない。もちろん、青豆と天吾が主役なんだから、そのストーリーは大事に違いない。でも、青豆と天吾の力を借りて、語りたかったことが他にもいっぱいあると考えるのが普通はとても自然だ。

BOOK3では、「さきがけ」のような、宗教に纏わる問題や、日本の現代社会を取り巻く精神的な諸問題を解き明かすことは、作者は「お断りを入れて放棄している」と解釈している文章もいくつか目にしたけれど、僕はそうは思わない。なぜなら、「比較的」複雑な事情を持たされて物語に登場したのが青豆と天吾なのだから、その諸問題について語ることを「放棄した」BOOK3なんて考えたくもないからだ。そして、その諸問題にどう対面していけばいいのか?それについては、単に諸問題を詳らかに記載するのみで対面の姿勢は書き記されないことは考えられるけど、BOOK3はちゃんと姿勢も指し示してくれているような気がする。そのキーポイントは何だろう?BOOK1&2では指し示してなくて、BOOK3で指し示してくれたような「気がする」キーポイントは何だろう?と考えると、やっぱり、BOOK3で突然、章を受け持つことになった牛河の動静と、その牛河の死(殺され方)にあるんじゃないかと思う。自分が知らず知らず青豆と天吾をひきつける役割を果たしていて、なおかつ、客観的な第三者的な視点の役割を担っていて、そうして最後に知ってることを洗いざらい話させられ突然殺される。そして青豆と天吾が残る。僕には、あの、偶然に偶然が重なって、牛河の前に天吾と青豆が現れずに済んだシーンがとても美しく心に残っている。