仏生山温泉の岡さんの章が、最大級にしっくりきました。
僕はいつも本は付箋をつけながら読むのですが、本著は付箋の準備をせず、パーーーッと読みました。意図的に。それは、自分にとってはこの本はおそらく、ゆっくり腰を入れて読むよりも、パーーーッとスピード感持って読むほうが引っかかるものがあると直感してのことでした。フォーラムとして開催されたものの収録ということも、そう思わせた理由の一つかも知れません。
内容的には「場をつくる人」が圧倒的に面白かった。特に、まち塾@まちライブラリーの磯井さんと、仏生山温泉の岡さん。中でも仏生山温泉の岡さんの、
- ボランティアではなく、利益を出して継続できるようにやるべき。
- 補助金や助成金は使いたくない。補助金や助成金を使うと単発になるし、おのお金側の意図に自分の意図を歩み寄らせてしまうことになる。
この2つが、常々自分が考えていることと完全にリンクして気持ちがよかった。自分と同じ考え方の摂取は読書ではあんまり求めないようにしてるのですが、最近、あまりにもこの自分の考え方に理解をもらえない状況が多くてイライラしていたのだと思います。磯井さんの発言のほうは、過去必死で働いてきたからだとは言え、その過去の貯金で企業内にのさばる人が社会問題を産んでいることを考えると疑問をさしはさむ余地があるのですが(磯井さんのやっていることは、もちろん会社にとっても利益に繋がるものだとは思いますが)、岡さんのスタンスは完全同意でした。
僕は、前々からいつもいつも何かの折に書くんですが、パトロンありきの仕事は仕事じゃないと思う訳です。芸術だったらまだそれもありかなと思うんですが、自分の衣食住をパトロンに依存している状態でやっていることは、仕事と言ってはいけないと思う訳です。例えば、主婦が空き時間で自分の好きなことをやる。それが売上を立てていても、そりゃ仕事ではないと思うのです。自分の衣食住はダンナの金で賄って、自分のやりたいことを存分にやる。そういう考え方を根っこに持っている人というのは、僕は絶対に信用できない訳です。こういうことを言うと、「主婦がやっていることだって無償ではない」というような反論を必ず食らうんですが、僕は何もそういうことを言ってなくて、その家庭で収入を完全に折半しているならそれはどちらも仕事だと思うんです。主婦が空き時間でやっていることの収入も、すべて家計に入れてやっているなら。でも、どういう訳か、その収入はすべて自分のものとして回っているのが当たり前みたいになっていると思う。そういうのは仕事とは言わないのです。これ言うと、いつも「セコい男だ」みたいな嫌味が聞こえるんですが、そういう嫌味が成り立つ時点で、それは、男性社会を肯定化しているということが、未だに一般常識化しないところが根が深いと思います。
結局、今の企業社会がおかしい、とっくに破綻している、と言って個人で何かを起こし、行動する、それ自体は勇気のあることだし、それを伝えることで実際にいろんな人に波及していく訳だけど、実際に「できている」ことの大きさは、企業には叶わない。実現したことこそがすべてだ、としたら、個人で腕を振り回したところで、それは自己満足の域を出ていないと言ってもいいと思う。それを弁えている人と弁えられていない人とでは、説得力が大きく違うなと思ったのでした。