『下流の宴』/林真理子

4620107530 下流の宴
毎日新聞社  2010-03-25

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絵に描いたような中の上家庭を築いた福原健治と由美子の息子・翔は、高校を中退してバイト暮らしをし、取るに足らない親子喧嘩の末に家を飛び出したと思ったら、20歳の折、22歳の珠緒を連れ、「結婚する」と言いだす。自分は漫画喫茶のバイトの身、相手の珠緒も同じバイトの身と言うのに…。

医者の家庭に生まれ育ち、プライド高く育てられたおかげで、「自分たちの生きる世界は、あんたたちとは違うのよ」という意識丸出しの由美子に見下された悔しさから、「医者になる。そのために医学部に入る。」と一大決心をし、2年かけて見事合格を果たす珠緒の物語が主軸で、立身出世伝としては至って普通なんだけど、通信教育のやり取りとか、ディティールが効いてて珠緒を素直に応援しながら読めるし、こういう「やってやるんだ」という意思が大切なんだと感じれる。
けれど一方で、ふがいないとバカにしながらも、翔のスタンスを全否定はできない自分がいる。翔は言う。「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ」。親にうるさく言われた子どもが「わかってるよ!」という、そんな心性から全然成長していない。していないけど、自分もおんなじじゃないか?と寒々としてしまう。そんなに先のことも考えてないような気がするし、難しい局面からは常に逃げようとするところも同じなような気がする。そして、珠緒の合格を見届けた翔は、「努力する人って、重苦しいんだ。」と言い放つ。それも、穏やかに、大人びた微笑を浮かべて。

これはどういうことなんだろう。努力する人って重苦しい、というのは、かすかに理解できてしまう。言ってみれば「キリがない」のだ。努力して上に登り上に登り、一体いつまでやればいいんだ?というのが見えない世の中だから、最初から諦めてしまうのだ。それこそ健治や由美子の世代の世界には、「あがり」があった。上る途中で失敗し、そこで停滞してしまっても、あくまで「停滞」であり「停止」であって、「転落」はない。けど、現在は、健治と由美子のもうひとりの子どもである可奈の夫・北沢がうつ病になり解雇されるように、失敗は「停滞」では許されない。「喪失」に繋がるのだ。努力して上に登っても、資本主義の成長と破壊よろしく、「喪失」してしまうところまで上に登る努力をせざるを得ず、その努力を怠ることは許されない。つまり「キリがない」。そして、翔のような人間が生まれてしまう。それを見抜いていたのは健治だけのような気がする。つまり、「おそらく奮起、なんてことと一生無縁に暮らしていくんだろう」。

こういう人間を生み出してしまうのは、由美子のような偏った価値観だ、と断罪するのは簡単だけど、どうも座りが悪い。林真理子の作品を読むのは初めてだったんだけど、優れて現代小説で面白かった。

p38「自分たちは競争激しくて、受験勉強大変だったから、子どもたちにそんな苦労はさせたくないからって、個性だとか、自分の好きな道を、なんてやってたら、子どもはみんなニート、ニートなのよ。」
p49「社会人となれば、学生時代よりも1ランク、2ランク上の相手が見つかるに違いない」
p100「OLとの差は、こうしたちょっとした小物で決まるのだ」
p115「何かの調査によると、今の二十代の四割が、親の水準以上の生活はおくれないという」
p118「お金と縁のないくせに、お金を追っかけると品が悪くなる」
p139「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ。そういうこと」
p232「それは社会から受ける信用と尊厳というものだ。」
p304「人のやること見て、励ますなんて、マラソンの沿道で旗ふってるだけの人だよ。自分で走らなきゃ、何の価値もない。だけどもうじき、あんたにも走ってもらうかもしれない。」
p346「どうせみじめな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、まるっきり違うと思うよ」
p412「あなたっていつも、他人ごとのように言うのよね」