『考える人 2010年8月号』/新潮社

B003T0LLEW 考える人 2010年 08月号 [雑誌]
新潮社  2010-07-03

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箱根二泊三日のロングインタビュー。聞き手:松家仁之。「ロングインタビュー」と表紙に書かれていたのでどんなもんだろう?と手に取ってみたら、ほんとに長くて、読み終えるのに4,5時間かかったと思う。『1Q84』に関する話題をメインにしながら、「作家」という仕事をどうやって生きているのか、そういうことも語られていてどこも何も読み飛ばすことができないインタビュー。

読み終えてみて、自分の中に残った印象や、これからものを考えるのにテーマとして記憶しておくべきと思ったことが5つ:

・仕事の仕方
・女性の描かれ方
・自我と自己
・善悪の基準と神話
・自由とは物語を自分のこととして捉えることができる能力

「仕事の仕方」は、このインタビューを読んで誰しも印象深く感じるところだと思うんだけど、「ペースを守る」というよりは、「自分の仕事を最善の形でやり遂げるためには、どういうやり方がよいのかをよく考え、それを継続的に実行する」というふうに捉えるべきだろうと思う。これはサラリーマンである僕にとっては、「やればできる」と言われても、心理的負担は大きいしそう簡単なことではないんだけど、これまでも常に意識してやってきたことだし、これからもそうやっていけばいいと再確認できた。

「女性の描かれ方」-これは、『1Q84』の感想や書評をいろんなところで読んでいると、特に一般の人で女性と思われる人のブログなんかに、「村上春樹もようやく女性がわかってきたんじゃない?」と書かれているのをよく目にして、どうしてそういうことを思うのかいまひとつピンと来なかったんだけど、このインタビューで少し分かった気がした。僕は、男性がどういうふうに描かれていようが女性がどういうふうに描かれていようが、それが勝手な「決めつけ」でなければ、大切なのは小説という「物語」全体を表すことなので、登場人物がどんな扱われようであってもそれはそういう役割だ、と思ってたんだけど、女性自身の立ち位置の変化が確かにあるんだな、と思った。「こうなりたい」と思うところに、潮流として少しずつでも近づいているから、描かれ方も受け取られ方も変わってくるんだなと少し納得。

いちばんよく理解できていないのが「自我と自己」。僕は今まで、「自我」という言葉を深く考えたことがなかったように思う。本好きを自認してるなら「近代的自我」とかよく理解していないといけないはずなのに、なんとなくで済ませてしまっていた。ほんとうになんとなく、自分は自我が肥大した人間だと、それこそ思春期から悩んでいて、そしてそれはよろしくないことなので自我は極力抑えられるように鍛錬していこう、とそんなふうに考えて二十年以上生きてきたけれど、じゃあ「自我」ってなんなの?ということを深くは考えてこなかった。
人の言ってることや書いてるものでその人となりを想像するとき、どうも毛嫌いしてしまうのはこの「自我」の肥大した人なんだろうなあという漠然とした感覚はあったものの、「自我」がなんなのかちゃんとわかってないから、それが正しいのかもどうかもわからない。僕にとって当面の読書の課題はここにしてみようかと思った。幸い、このインタビューで、自我(の描写・無描写)を考えるにあたってのたくさんの「入口」となる作家が提示されているし。

「善悪の基準と神話」は、まさに『1Q84』を読みながら考えていたことで、何が善で何が悪なのか、何が正しくて何が間違いなのかは、自分自身で考えない訳にはいかない。価値観の変化とかいうことではなくて、「誰かが何が善で何が悪かを取り決めている」という感覚から抜け出すことが現代には特に大事だと思う。もちろん、それは、個々人が好き勝手に好きなことをやってればいいんだということにはつながらない。この辺は、『これからの正義の話をしよう』を読んだタイミングでちょうどよかった。あと、少し話が離れるように見えるかも知れないけど、最近自分がロードバイクを始めたのは、この辺の話を突き詰めたときに出てくる課題を、感覚的に無意識に気づいて始めたような気がする。

最後に、このインタビューを読んで、自分の村上春樹作品への向き合い方というか、どういうふうに読んできたかというのが、それほど間違ってないんだということを、インタビューの端々の言葉や文から感じることがあって、よかったと思うしそれ自体誤解かもしれないなとも思うんだけど、「自分のこととして捉えて読まないと意味がない」ということを言ってる部分は、これは間違いなく僕が常々思ってることとぴったり一致してると思う。これは大変嬉しかった。自分の今までの読書が、より強固なものになったように感じる。

p26「ノモンハンの暴力の風さえ、その壁を抜けてこちらに吹き込んでくるということ」
p30「これは言うなればインターネット世界のあり方です。ものごとの善悪よりは、情報の精度が優先順位の尺度になっている」→マイケル・サンデルの正義論につなげられる
p35「その二人が、『1Q84』という世界をそれぞれにどのように生き抜いていくか。システムの中で個人を貫くという、孤独きわまりない厳しい作業に耐えながら、どのようにして心の連帯をいま一度手に入れるか、『1Q84』は、結局はそういう流れの話だと思うんです。」
p37「ノウハウを引き渡すということは、ある意味でサーキットを閉鎖していくことなんです」
p41「『昔話と日本人の心』河合 四位一体説」
p42「『真景累ヶ淵』
p43「はっきりとした意思を持ち、自律的に動く女性」
p54「おれの言うことが聞こえたのか」「聞こえたよ」というのではとまってしまう。「おれの言うことが聞こえたのか」ときたら「つんぼじゃねえや」と返すのが会話です(ゴーリキーの『どん底』)
p58「だいじなのは、そのころの二十代の青少年は基本的に未来を信じていた」
p66「リチャード・ブローティガン」「カート・ヴォネガット」
p67「当時の日本は今よりもはるかに、そういうセキュリティ(大きな会社に勤めていたり、家庭を持っていたり)に対する信頼が強かった」
p69「本質的な要因以外のところで、本が売れる理由を見出そうとする人が、とくにメディア関係に多いような気がします」
p69「でもいちばん大事なのはおそらく、信頼関係ですね」
p75「とにかく自我とはあまり関係がないものです」
p77「「神話の再創成」みたいなことがあるいはキーワードになるんじゃないかと」→これもマイケル・サンデルにつなげられる
p89「マルケスの小説って、考えてみればほとんど自我を描いていない」
p97「大きい声で言う人が勝つという感じが強まっているような気がします。言うだけ言って、その責任をとらない。