目指すは次の世界 明日はもうここにはいない

鏡で自分ばっか 眺めて恨み節 うたうのはやめます
そして出てゆきます

(『さよなら傷だらけの日々よ』/B'z) 

もう何も言うことないです。力強いとかそんな一面的な言葉じゃ言い切れない。

B004OVDJ68 さよなら傷だらけの日々よ(初回限定盤)(DVD付)
B'z
VERMILLION RECORDS 2011-04-13

by G-Tools

この曲にはB'zファンにはおなじみの、稲葉の歌詞の2大要素が入ってる:

  • 自分を台無しにするのは、いつだって誰かのせいじゃなくて自分自身のせいだっていうこと。
  • 現状に満足するのではなくて常に次のステージを。そのとき、現状は捨ててしまおう。しがみつくのはやめよう。

ひとつめの「自分自身のせい」というのはこの辺に:

気づいてしまったよ ボクを傷つけたのは
このボクだったよ Baby そうさ So Sad

 (『さよなら傷だらけの日々よ』/B'z) 

ふたつめの「常に次のステージを。」というのはもう至るところに。「別れとは辛く 新しいものだろ」の一言なんかもそう。「初めの一歩は震えても」なんかもそう。そして、びっくりするのは「さよなら傷だらけの日々よ」という言葉が、「辛い過去から決別する」という印象を持たないこと。

普通、「さよなら傷だらけの日々よ」と言われると、「今までが相当辛く苦しい日々で、やっとそこから脱却できる、逃げ出せる、もうこんな生活嫌だ!だから新しい日々に行くんだ!」的な、逃走のような、そういう印象をまず受ける。僕も最初タイトルだけ知ったときはどんな展開にするんだろうと疑問だったけど、曲全体を聴いてみたら、「辛く苦しい日々から逃げ出す」みたいな印象はまるでない。むしろ、「いまこの場所でやるべきことは、もがきながらやりきった。だからここを出て行って、次の世界に行くんだ」という印象になる。一生懸命生きている人間にとっては、いつだって過去は「傷だらけの日々」のはず。その「傷だらけの日々」から、また新しい「傷だらけの日々」を過ごせる「次の世界」へ。果てしなく続く、挑戦の日々。

これが僕らB'zファンにとっておなじみの稲葉の歌詞のモチーフなんだけど、『さよなら傷だらけの日々よ』は、ラストに微妙に今までと香りの違う言葉が添えられる。「ありがと 悔いだらけの日々よ 今ならば言える」と前置きした後で:

人はたやすく変わらぬけど
いつの日か本当に戻るべき場所を知る

(『さよなら傷だらけの日々よ』/B'z) 

「いつの日か本当に戻るべき場所を知る」ここは結構、重要かなあと思う。「戻る」。すぐに連想できるのは『HOME』のモチーフだけど、もちろんあれだけじゃないと思う。