インディーといえばリバティーン

オレはフダツキだけど、ヒモツキにはならないぜ!!(逆)

 

こないだ、「やっぱインディーだな。スポンサーやタニマチつきは信用ならねえ」みたいなツイートをして、そのとき「インディーと言えばリバティーンズだよな」とふと過り、久し振りに聴いてみようと思ったらCDがない。iTunesにも取りこんでない。ということで、CD買おうと思って

amazonで探してみたものの、せっかくなので奈良にあるRecord Shop Djangoさんにツイッターでストックを尋ねてみました。残念ながらないとのことだったので、amazonで買っちゃうかなーと迷い中。

さてThe Libertines。改めて調べてみたら、「インディー・ロック」ってのは、けして自主独立でやってるバンド、というのではないことがわかる。ブラーだってオエイシスだって「インディー・ロック」に分類されてる。要は、「インディー・ロック」てのは、その時の流行や音楽的主流等に関わらず、自分達の音楽を貫いている姿勢のロックのことを「インディー・ロック」という訳で、清貧の思想を至上のものとしてる訳じゃない。自分たちのやりたいことを貫いて、それが広く受け入れられて成功したならそれでよい。

自分達のやりたいことを貫く、というのは容易ならざることなのは言うまでもなくて、まずそれでも食っていかなければならない以上、おのずとその足取りはindependentでなければならない。自分達のやりたいことをやるために、スポンサーやタニマチを得るというやり方は、independentではないし、どこかで自分達のやりたいことを貫けていない。それに自覚的であるかどうかは別として。今、僕は会社員として職を得ているからそんな上から見た言い方ができるけれど、もし、今この職を突然リストラで解かれたら、やりたいことを貫くどころの騒ぎではなくなってしまう。そういう状態に陥ったとしても、今自分が考えているようなスタンスを、生きるために食っていくために断腸の思いで曲げることがあったとしても、どう考えをおさめるべきか考えに考え抜いていけるかどうか、それが自分の値打ちを決めていくような気がする。だから、やっぱり「インディー・ロック」のアティチュードに惹かれてしまうのだ。スポンサーやタニマチやヒモツキは、どこまでいっても信用ならない。信用してるフリは、大人だからできるけどね。気づかれない自信も、あるけどね。

B000XJ5U5S Libertines
Libertines
Rough Trade Us 2005-01-25

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