オレは負け犬なのか

それは難しいことなのか?やはり、常に上を上を目指さなければ、どこかで行き詰ってしまうものなのか?経済は常に成長を必要とするから。しかし、グローバル企業に勤めながらここ最近、ローカルのSI企業にコンペで負けることが相次ぎ、その理由はほとんどが構築作業費が無償に近い金額でローカルSI企業が提案してくるから、でも彼らはそれで食べていけている。この差はどう考えればいい?グローバル企業が存在するが故に、価格戦略でローカル企業が優位に立つことができている。

もしかしたら、この会社をここでドロップしても、このローカルな土地を愛して生きて行く道があって、それは、今思い描いているような惨めで負け犬なものではないのかも知れない。それなら「規模の経済」をグローバルに喧伝したアメリカの一企業を、肌で知っているのは悪くないことだいう意義もある。

目の前には大きな壁がある。その壁はチャンスの裏返しでもある。周りを見れば、その壁に挑む機会さえ与えらない人も、偉そうな言い方だが、何人もいる。チャンスを目の前にするたびに怖気づいて逃げを打ち、チャンスを棒に振ったことを、吹聴しないまでも安心の材料にして過ごしてきたようなところがある。
それまでの経験を財産として売り物として、違う組織に、違うマーケットに、身を移していくことは戦略として何も間違っていない。けれども、移した先で新たな経験と財産を持たなければ、単に貯金を切り崩しているのと同じことになる。オレは直近はそうやって暮らしてきたに相違ない。現状の自分の能力と実績以上の収入を得てしまっているに相違ない。だから身動きが取れない。

この、収入のジレンマを無視するとしても、自分に何ができるのか、という根本的な答えがないから、何がやりたいのかという前に、何かをしようという決断もできない。ビジネスパーソンとしては完全に力量不足で、今、目の前のチャンスに挑戦するとしても、その挑戦するモチベーションが結局、「ここではないどこかにはいけないから」という、究極に消極的なものになる。これこそ、負け犬ではないか?

何かに踏み出したくても踏みさせる先が見いだせない。収入のジレンマは無視しない。これは「遣り甲斐」とかで片の付く問題ではないし、かと言って、収入という「結果」を追い求めるだけでも解消しない。オレは負け犬なのか?自分で決めたときから負け犬は負け犬になる。時間がかかっても無理矢理でもこのモチーフと格闘していくしかない。それが金銭的な結果ではなくとも、インプット&アウトプットで進んでいくしかない。