総取りの誘惑を振りほどけ

僕はジョブズ信奉が好きじゃない。アンチ・アップルと言ってるのではない。そんなにアップル製品を持っている訳ではないけれど、MoraとiTunesのどちらを選ぶかは、将来性を十分考えiTunes+iPodにしたし、iPod touch発売のニュースが飛び込んだときには速攻でappleのサイトで予約した。つまり、あの「英語版でしか初期化できない」悪夢に見舞われ、徹夜でVMware playerを導入し、英語版XP仮想マシンを立ち上げ、・・・ということをやったクチなのだ。消して、アップルが嫌いなワケでもないし、Windowsを持ちあげてるワケでもない。

僕は、ジョブズを盲目的に奉る心性がどうも好きになれないのだ。理由は二つある。ひとつは、特に日本で「ジョブズ信奉」を語る人の多くが、「日本も、ああいう独創的な人材が出てくるような、社会とか教育とかに変わらなければならない。アメリカは、ああいう独創的な人物を輩出できる社会になっていて、それがアメリカという国の強さに繋がっているのだ」と論じること。

僕はこの論法を聞くと、決まって思う:「そうは言っても、ジョブズとゲイツくらいだろ?」もちろん、IT以外の分野で、高い業績を挙げている学者や研究者やビジネスマンが多く存在するのは知っている。けれど、昨今、日本人もノーベル賞受賞が続いているし、とりわけ科学技術分野で劣っているとは思わない。第一、アメリカの人口は日本の約3倍。それだけ数がいても、iPhoneのような、社会にイノベーションをもたらす天才は、ひとりしか輩出しないのだ。IT業界における別な天才、リーナス・トーバルズはフィンランド人だ。なんでもかんでも、日本が日本然としているから、独創的な発想ができないようなモノを言う人は、僕はあんまり信用できない。まして、「だから日本もアメリカみたいな社会に変革しなければいけない」なんて言う人は、日本で出来ることをやりきっていない人のように感じる。

もうひとつは、先の理由にも関連するけれど、ジョブズを信奉するということはすなわち、「一位総取り」的な社会の仕組みを暗に認めるということに繋がってることに無自覚なことが多いからだ。ジョブズのような天才が、非常に魅力的な製品を産みだした。それは現代では、アメリカという国籍を越えて、世界中からカネを吸い上げる。そうしてアップルは今やアメリカ政府の資産を上回る資産を保有する。もちろん、ジョブズはそれに相応しいだけの製品を産みだしたのだけど、だからジョブズが避難される筋合いはまったくないのだけど、世界中で巻き起こっている経済危機の根っこの問題が、こういうところにあるということはあまり触れられない。

いい製品を作っても、それが売れすぎないように配慮せよとか言うつもりじゃなくて、今の資本主義社会はそのシステム上、「勝てば官軍」式になっていることは自明かつ必定。だから、資本主義社会に生きる僕たちは誰も彼も、「成果を挙げた者は、それに相応しい報酬を得て然るべきだし、勝ち上がった者が最終的に果実を独占して当然」と思い込んでいる。でもそれが今、思ってもみない形で、世の中を壊しに掛かっている。資本主義社会の会社組織は、マーケットがあるところに攻め込み、すべてを刈り取るまで膨らんで、刈り取ったら解散するか新たな種を撒くかで、とにかく「一位総取り」が当たり前の仕組。それが「当たり前」であることを象徴し、かつ、正しいこととして固定してしまうことに、ジョブズ信奉は加担しているのに、あんまりそういうことは言われない。