『どうでも良くないどうでもいいこと』/フラン・レボウィッツ

4794959788 どうでも良くないどうでもいいこと
フラン・レボウィッツ 小沢 瑞穂
晶文社  1983-03

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例えて言うならマツコ・デラックスとかそういうこと?著者は皮肉多目のユーモアで人気を博したそうです。それにこのタイトルに期待大で読み始めてみたのですが、ちょっと日本人の我々が感じる「どうでも良くないどうでもいいこと」というのとずれてはいます。英語の原文で読めたら「ほほう」とニヤッとできるところが、もっと多いんだろうなあ~と思うのですが、残念ながら’10年代の日本に暮らしている僕は、’80年代のアメリカの、若干アイロニカルなノリは半分以下しかわかってないと思います。

そんな中で胸に飛び込んでくる文章というのは、物凄い破壊力です。壮絶な破壊力だったポイントが3点あります。この3点に抉られた人には間違いなく「買い」の本です。

  1. p112「愛読書は「ザ・ホール・アース・カタログ」とかいうもので、着るものはこれを見て注文する」
  2. p183「近代社会の特徴として、一般市民は便利なシステムに頼りたがり、地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値を忘れる傾向がある」
  3. p200「貧乏人に税金を課すのだ。それも重税を。金持ちのテーブルからのおこぼれを与える考え方が間違っている」

1.は「世界市民」とか「地球人(アースマン)」とかを自称する胡散臭さに唾棄してる章の一節で、この文章の前は、「地球人(アースマン)は友情のしるしと称する青い葉のある野菜を食することで知られる。熱心に食べるのみで食物連鎖についてあまり考えず、再生説を信じる。」とある。僕は何にせよ、「センスがある」と自他共に認められているそうな人達の、自他共に認められていることのためのシンボル、アイコン、免罪符、あるいはバイブルとしての存在が何かにつけて嫌いで、『ザ・ホール・アース・カタログ』はよくは知らないものの、初めて耳にしたときから嫌いの最右翼だった。それを口にする人たちの、その盲目的な感じが何につけ怖いのだ。なぜ、みんな怖くないのかが分からなくて、怖いのだ。

2.は、’80年代のアメリカで、こういうことが書かれていたことにちょっと感動。「地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値」って何だ?この30年間、「それってなんだかんだ言って結局カネで表さないと意味ないだろう?」というところで諦めて手を打って突き進んできたんだと思う。確かに、生活するに不足のないカネを得られなければ、その地道で苦しい労力を続けることはできないし、単に「喜びや価値」で食っていけはしない。その最低限の循環をどうやって作るか?を考え始めているところ。蛇足だけれど、こういうことを言っている著者も、結局のところは「企業初期にひたすら低コストで蓄財し、損益分岐点を越えるところで大きく越えることで一気に安定軌道に乗せる」という、古典的な資本主義の作法に則って成功したところが食い足りない。

3.は超難問。基本的に僕は、この字面通りの意味には賛成だ。消費税を増税して、低所得者層には還付するとか、根本的に間違っていると思う。還付するためのコストを考えてみたら、還付しなくてもいい程度の税率にするほうがよっぽどマシだ。
それに、ここからがもしかしたら著者が言おうとしていることと重なるかも知れないけれど、これはあくまで「相対性」の問題だと思う。お金が足りないのは、結局、低所得者も高所得者も同じ。高所得者が、「税金で50%も持って行かれると思うと、やる気をなくす」と言ってるのは、そのまま低所得者にも当てはまるのではないか。なんかこの辺にヒントがあるような気がする。