表出ストラップ

非常に微妙な話題ではあるけれど、できる限り丁寧に書いてみようと思う。

先日来、auのLTEの通信障害が断続的に起きている。もちろん、通信というのは24時間いつでも使えますというのがサービスレベルだと思うので、頻繁に障害が発生している状態というのは良いことではないけれど、どんなサービスでも障害が発生することはあると思うので、障害発生そのものについて何か書こうとは思いません。

先日の東京出張で信号待ちをしていたら、目の前の人が社員証をストラップで下げていて、そのストラップに書かれているのが「au KDDI」。それを見てちょっとした違和感を感じた。「僕ならストラップしたまま、社屋外には出れないな」という違和感。僕が勤めている会社も世間ではいろいろニュースで取り上げられるし、過去に大きな障害が発生したこともある。今は取り立ててはないけれど、今でも僕はお昼を食べに出たりするときに社員証を提げたまま出るというマネはできない。auは今、あれだけ連日、通信障害を報じられているのに、その会社の社員と判るようなサインをつけて人前に出るのは気が引けはしないんだろうか?(ストラップは実は「ノベルティ」的なことが多いけど、この人のストラップは書かれている標語やその場所的にたぶん社員さんだと思う)

そういう意味で、「社章」を着けているというのは、会社の「看板」と自分の「顔」を重ね合わせて世間に向けているということだと思う。社章をつけて街中で大騒ぎするなんてとても考えにくいように、社名入りのストラップ(もしくは社員証)をぶら下げて街中でぞんざいな言葉使い横柄な態度で3,4人で連れ立って歩くというのも、僕には傍から見たら見苦しいと思えて考えにくい。世間の人は今、自分の会社をどう思っているのだろうと考えると。

東京は人も多いし会社も多いし、いちいち個人と会社を結び付けない土壌なのかなと思う。実際、会社勤めの僕たちにとっては、会社の不始末の印象をまるまる社員に持ってこられるのは勘弁してほしいというようなところもある。そこまで責任を感じれない社員という立場の人も多いと思う。会社が大きくなればなるほど分業は強まるし、自分の「仕事」が、その不始末と全然繋がらないことも少なくない。ましてや、あの福知山線の脱線事故の責任が、社長にさえ無いと判決される社会なのだから、「法人」と「個人」はきちんと分離してその責を考えるのが、現代社会における正しい考え方のようにも思う。

けれど、僕個人としてはやはり、自分が所属している会社の責任の一端というのは、自分も背負っているという意識は持っていたいと思う。僕の会社にも、会社の方針を自分と完全に切り離して批判したり攻撃したりする人がいる。僕はそれを良しとしない。なぜなら所属している組織から受けているメリットというのが確実にあるから。その人は会社の「看板」がなくても今と同じ収入を得られるのかもしれないが、およそ僕はそんなことは出来ないと思う。会社の「看板」の恩恵を受けて、かつ、会社の「資産」を活用しながら、仕事をやっている。そうである以上、ストラップをぶら下げて、「私はここの会社の社員です」という判別のつく格好をしているなら、そのように世間の目を意識して振る舞うのは当然のことのように思う。だからと言ってストラップ提げてなければ会社とは関係ないよって顔をしていいのかという疑問もあるけれど、常に個人が所属している法人を背負わなければいけない理由はない。ただ、自分がそういう立ち居振る舞いをしているのなら、それに自覚的になるのが当然だと思う。

独立して働いている方々にとっては、これが当たり前のこと。日常の自分の振る舞いがすべて、自分の仕事に跳ね返ってくる厳しい環境。我々、会社勤めの人間は、分業でやっているが故に、ある程度、働いている顔と、それ以外の顔を分けることができる。だからこそ、「働いている顔」の格好をしているときに自覚的になれてない人というのは、その働きにも何か物足りないものがあるに違いないと思う。

ちなみに僕は、社会人になってこの方、企業ロゴや社名入りのストラップを(たとえ自社であれ)使ったことがありません。