『BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号』

B004ETEOGO BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]
マガジンハウス  2010-12-15

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今、僕は完全に自分の生き方に迷っている。悩んでいる。狭くは勤めている会社でのロールについて、いったいどこまで研鑽するべきなんだろうかという問題点から、広くはこの先この職業のままでいいのだろうか?大丈夫なんだろうか?という問題点。身につけた価値観は容易に消し去ることができず、他人と比べては見劣りするとか馬鹿にされていそうだとかいう感情の周りをぐるぐる回っている。金を稼がなければならない、出世しなければならない、ステータスを身につけなければならない。そんなの大切なことじゃないという人も、少し気を緩めると、身につけている時計や乗っている車でこちらのことを判断しようとしたりする。それらの物差しを全く気にすることなく、自分が心血を注ぎたいということにピントを絞ることなんて、できるのだろうか?

直前に読んだ『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』でBRUTUSの記事をさんざん馬鹿にした文章があり、BRUTUSそのものを「底の浅い雑誌」と決めつけそうになったけど、これは買ってよかったし読んでよかった。とりあえず読んだのは「正義と個人」「お金と幸福」「現代と仏教」「マネジメント」「今読む哲学」「つながり」だけど、どの章にも現れてくるのが、「短時間で得ようとすることの否定的な面」だ。お金を儲けるにしても、どれだけ効率的かということしか考慮されない。儲ける行為自体には何の価値判断もおかれない。その状況に対して「それは当然おかしいだろう」と声を出せるようになったことが、これまでと劇的に違うところだと思う。ほんのすこし前まで、それらはすべて「本人のやる気の問題」に還元されていた。

あれほど「余計なことはしすぎるほうがいい」と思っていても、結局僕も効率化の波に巻き込まれていた。自分の今の苦境は、効率性至上主義に自分を合わせ過ぎた当然の帰結だと思う。じゃあ非効率であれやりたいと思ったことをどうやってやればいいのか?その問題を考える前に、「とにかく効率性至上主義ではダメだ」とはっきり声を出す人が増えたこと。それがいちばん大きなことだと思う。