待機児童、禁煙外来、費用対効果

「全国の待機児童25,000人を2017年度までに解消を目指す」というニュースが流れた後のCMで、「禁煙外来は健康保険が利用できます」というのが流れて、うーん、と考え始めたのです。

勝手にタバコ吸い始めてそれで依存症になったりして、それを治すのに健康保険からお金が出るというのはどういうことだ。そもそもタバコを吸わない私などはそう思ってしまう。タバコを止めるというのは、病気を治すのとは違うではないか。しかしアルコールもそうだが依存症にまでなってしまった人は、それを治すために高額な医療費を払ってまでやるとは思えない。だから保険適用を認める。タバコを吸い続けた人が肺癌になったり副流煙で周囲の人が健康を害したりすることによって膨らむ医療費が健康保険支出を増大させているなら、それよりも禁煙外来にかかる保険費用が少ないなら、禁煙外来に保険適用を認めるのが、費用対効果としては正しい。

いや、なんか納得いかん。

そもそもタバコを売らなければいいのだ。そうすれば、肺癌になったり副流煙で周囲の人が健康を害したりすることで発生する医療費がそもそもチャラになるのだ。と言うと、「タバコを吸うことも個人の権利であり自由のひとつである」となる。副流煙が公共の福祉に反しないのかどうかというのは置いておいて、確かにタバコを吸うのは個人の自由なので、「タバコ保険」をつくればよろしい。taspoがあるのだから、タバコ1箱に自動的に「タバコ保険」料を上乗せして、万一喫煙者が肺癌にかかろうものなら、taspoを提示すれば「タバコ保険」が適用されるようにすればよろしい。これがITの正しい使い方だ。我々非喫煙者も支払っている健康保険の勘定丼の中から賄われるというのは誠に受容しがたい。

そういうと「保険の精神に反する」「互助精神が云々」「細分化は社会格差をかんぬん」となる訳ですが、勝手にタバコを吸い始めて、肺癌になって治療をというのはまだしも、禁煙するのに保険適用というのはやっぱり変だと思う訳です。それを解決するためにtaspoと「タバコ保険」による仕組を導入するためにかかる費用が禁煙外来に使う保険費用よりも莫大にかかるというならこればっかりは目を瞑るしかないかと思いますが、そこそこええ線でやれまっせ、ということなら、歯を食いしばってでも防ぐべきモラルハザードがそこにはある、と思わなくもない。

そんなことを財政負担するくらいなら、待機児童解消に予算を回せたほうがいいんじゃないの?と、そのCMを見ながら思って、25,000人ってどのくらいの割合なのか?と思っていろいろ統計を見てみると、wikipediaによると保育所利用数は約220万人。待機児童25,000人というのは約1.1%ということになる。1.1%を解消するためにどれくらいの労力を割くべきなのか?いや、パーセンテージの過多に関わらず、これはゼロにするべきものなのか?とかいろいろ考えていると、テレビのニュースは「社内保育所の閉鎖相次ぐ」と言いだした。

なぜ?待機児童は解消されてないのに?

要は、「児童は増減するが、保育士は常に児童の定員最大に対応できるように雇用しなければいけないので、収支がどうしても合わない」ということだった。これは社内保育所に限らず、公的私的含めて、日本全国で起きている、待機児童問題の根本なのだろうなと思った。

グローバル化が進めば、人は移動しやすくなるし、移動しなければならなくなる。

居住のフレキシビリティが高まるということは、人口の増減も活発になるし、もちろん児童の年次変動も活発になるということ。あたかもゲリラ豪雨のように、ある年はこの地方に人が集まり、ある年は別の地方に人が、というのが当たり前になっている。じゃあ保育所の体制もそれに合わせて柔軟に、とはいかない。保育士さんを減らして、来年子ども多そうだからまた増やす、なんて簡単にいかない。保育士数も不足しているのだから。

クラウドが世間を席巻しているように、なんでも「必要な時に、必要な分だけ」利用できたらそれがいちばんいいに違いない。けれどそうは行かないから冷蔵庫に食料品貯めたり、貯金したり、蓄電したりする訳です。人が動きやすくなったからと言って、じゃあ保育所とか学校とかもフレキシブルに、と、そういう訳にはいかない。フレキシビリティを高められる部分と、フレキシビリティを高めるからこそ、安定的にサービス供給できなければいけないサービスというのがあって、保育所は恐らくその一つに数えられるものだろうと思う。だからやっぱり、禁煙外来に保険を使うよりも、優先順位としてはこちらなんじゃないの?と思う。別に禁煙外来のほうがハイプライオリティです、とニュースで言ってた訳では、ないけれど。