独走会 210504 談山神社 83.18km/838m elev.gain

"We took the fastest lane, keep following, you're good to go"
("Pathfinder"/PUFFY)


両親の体調が優れず、仕事は何かと忙しく、挙げ句自分も若干体調を落とした上に天候にも恵まれず、一応予定はしたものの走る気になるかどうかいつも以上に怪しいと思いながら連休を過ごしてた。予定の前日両親の様子を見に実家に帰り、いつもよりは多少思うところを話し合っていつもより少し深い時間を過ごした帰りの車中でfm802が「誰の歌う”強い気持ち・強い愛”やねんこれ」と思ったら氣志團だったという目が点になる一曲の後に無造作に聴こえてきた曲紹介ーPUFFY/Pathfinder、とそのエモいイントロに連続攻撃を食らった。25周年記念のPUFFY、そのタイトルにPathfinderというセンス、そしてプロデュースが紹介されていたので納得のエモさ全開のイントロからの曲展開、その挙げ句ーフル英詞!コロンビアとのタイアップというのも含めて、何もかも狙い澄ました「様式美」でありながら、それでも感情を捉えられる。走るかどうかを逡巡している僕に"Pathfinder"はガツンときた。

そんなにきついルートを取るつもりはなかった。でも多少は目新しいルートも走りたかった。ちょうどいい距離ちょうどいい負荷を考えて、桜井側から談山神社を登る、というつもりだけ決めた。談山神社への登りルートへの右折以外は迷うことのないルート。だからGARMINにルートもコピーしておかなかった。

竜田川-大和川越えあたり、"Pathfinder"が頭の中をループする。なぜかわからないが両親の過去の苦労がフラッシュバックする。気安く過ごせばいいと語ってもその言葉は全く届かない次元に行ってしまっている両親。感謝もうまく伝えられない無力感。涙。何度も走ったコースなのにルートを間違える。けれど"Pathfinder"はループし響き続ける。Which way do we go? このルートの間違いなんて大したことじゃない。大和川の堤防はすぐそこに見えている。路地が行き止まりでもやり直せばいい。

桜井側から多武峰への登りも曲がるポイントだけ抑えていただけで、どのくらいの斜度がどれくらい続くか全く下調べしなかった。ときどき出る標識で、談山神社まであと何kmか把握する。道はわかっている。どんな斜度が来ても止める気には全くならない。本当に全く止める気にはならなかった。

準備と計画は何にも増して大事だと思っていた。それは正しいことだと思う。だから道にも拘ってきた。どんな道があるのか。誰が走った道なのか。自分が走りたい道なのか。誰かに迷惑をかけない道なのか。家族を守れる道なのか。誰かがつくってくれた道を走るのではなく、自分で道を切り開くことが上等だと思っていた。だから自分の後に道ができるという響きに最もうっとりしたりしていた。自分はそれができていないまま、なんとなく幸運のもとにここまで無事やってこれた、自分の両親はそんな幸運な下ではなく、苦しい日々の連続を乗り越えてやってきてくれた、それに負い目を感じていた。

違うのだ。目の前に道があることも、自分の後ろに道ができることも、大した問題じゃなかったのだ。その道が正しいのか間違っているのかも。今、この瞬間この瞬間、道を探し続けて生きること、Pathfinderであること、それが今を生きるということだったのだ。

箇条書き:
  • 飛鳥川沿いは、路面は悪いけれども本当に快適に走れる。信号がないということが自転車にとっては最高の条件。そして単調なはずなのにあそこを走っている間はなぜかうんざり感がない。
  • 自走ルートを続けてきて思ったのは、帰路は距離感がわかっている分、実は頭が疲れないから最後まで回しきれているんじゃないか?ということ。見知らぬ土地がゴールだと、残距離はわかっても、コースアウトしないかとか、考えないといけないことがたくさんあって頭が疲れて疲労につながっている気がする。
  • ウェアは難しかった。半袖+ウィンドブレーカーでもよかったかも。
  • 余白は絶対条件。