共走会 220108 宝山寺 7.51km/263m elev.gain

弱くなった。

これまでライドはソロライド。それは、誰かと予定をあわせてライドするというのはなかなか難しいので、その楽しみを求めてしまうとなかなかできないことでフラストレーションが溜まるだろうという予測と、元来群れる・つるむのが苦手なので。群れるのが苦手というのは人が嫌いとか友達が要らないとかそういうことじゃない。ライドは楽しむものだから、本当はグループライドするのを「群れる」「つるむ」とは思ってない。子どもの頃から運動が苦手で嫌いで、ロードバイクもトレーニングしてもなかなか上達しないから、グループライドするにしても走れる人たちについていけない、だから走れる人たちについていけるように日々走りを積み重ねるという、「集団を楽しむためにはまず個々が自立し自律していないといけない」という自分の哲学を身体に行き渡らせる感覚で、ソロライドに拘ってきた。ライドにはパンクや転倒、ハンガーノック、その他様々なトラブルがつきまとう。それらのトラブルに自分自身で対処できないとグループで走ったときトラブル時迷惑をかけるし、トラブルに遭った同行者を手助けすることもできない。自立し、自律するために独りで走る。

その感覚が急速に変転していったのが2021年後半だった。まずライドしたいという思いが薄くなっていった。これはライドに限らず、いろんな「楽しみ」に対する湧き上がる何かが明らかに減少していた。年齢からくるものだというのは明らかだった。若い頃には何かに対する興味や好奇心や面白がる気持ちというのは、もっとちょっとしたことで湧いてきた。アドレナリンか何か知らないけれど、そういうものが減っているというはっきりとした感覚があった。ライドしようと準備していても、当日になると「なんかめんどうだな、やめようか」と、なる。

明らかに弱くなったのだと思う。弱くなった自分を認めることが成長だと考えているのではない。弱いと自覚することが強さなのだというよくある言い回しを使いたい訳でもない。自立し、自律する自分の哲学は変わらないけれど、「自立とは依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎氏の言葉を、頭で理解するだけではなくて、腹の底からその言葉を希求するところまで来たのだと思う。安易に寄りかかることを良しとしないから独走を好んで、その自分を踏まえた上で、人から刺激をもらいたい、という意味で依存先を増やしたい、そのスタンスをとっても「甘え」にならない自信が持てるところまで来たのだと思う。

そして今回、以前ライドに誘って頂いたことのある塚本さんにお願いして、一緒に宝山寺までのクライムにお付き合い頂いた。塚本さんと走る、という予定が、朝起きた自分にライドのスイッチを入れてくれる。年末、3度も足をついてしまったので不安もあったけれど、塚本さんと声掛けながら無事完走。風のない冬晴れの八時台、宝山寺は朝日が綺麗に照らす絶好の時間帯。お勤めもこの時間帯にされていて、参拝も気持ちの良い清々しいものに。

感覚が変転していった2021年後半から、それと同時にいろんな人に出会いいろんな人を頼りいろんな人に再会しいろんな人に助けられることが本当に重なった。もちろん家族にも。幸運だ、ツイている、とも思うし、自分が人から刺激をもらいたい助けをほしいとオープンマインドになっていたからだとも思う。自分が最も大切にしているインテグリティを貫いたまま、このステップに来れたことを素直によかったと思う。塚本さんに心から感謝です。