「何のために働くの?」なんて バカなこと聞かないでプリーズ

「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!」というアンパンマンのマーチがあらゆるところで感動を呼んでいる昨今だけど、「なんのために生きる」というと私が強く心を揺さぶられるのはこちら:


"何のために生きるのなんて バカなこと聞かないでプリーズ
人生自体 思いがけないこと"(B'z/DIVE)

仕事が面白くない、と感じるとき、「何がどうだったら面白いのだろう?」と考える。自分の好きなことをやっていたら面白いのだろうか?たぶん、自分の好きなことを今やったら、たちまち収入が途絶えるだろう。生計を立てるための「働き」が果たせなくなって、そんな状態でも仕事を面白いという自身はあまりない。やっぱり金銭的な尺度は絶対に付きまとう。だからといって、ほどほどの収入でほどほどの好きなことを、というのはほぼ許されない。資本主義の世の中で、上を目指さないのは下落と同じことを意味するから。

お金をたくさん貰えれば、仕事を面白いと思えるだろうか?今、ある一定の年棒を貰っていて、さらに出来高払い分もある。出来高払いを増やすためにはより多くの成約を得るように活動していけばよい。私の今の仕事は基本的にこの「案件発掘→提案→成約」の反復だ。お客様に満足してもらえる提案を磨いていくことになんの疑問もないけれど、その完成度をできる限り上げ続けること、つまり質の追及は、しかしノルマの達成には直接的には繋がらない。極論すれば、提案の内容がどうあれ数字を達成することが求められることであり、収入を増やす道である。お客様の満足を得ることに集中した結果、自分が職を失ってしまうかもしれない。

このまま自分の職種におけるスキルを磨き完成度を上げていっても、その先のキャリアは今の会社ではない。ただひたすら、この職種でのスキルを磨き続けていくだけだ。あと何十年も、同じことを続けているのだろうか?そこに満足感はあるのだろうか?そもそも、仕事に満足感を求めていいのだろうか?お金ではない尺度としてお客様の満足度というモラールに近いものを持ち出しても、その結果失業してしまう恐怖には打ち勝てない。何のために働くのかは、精神的な問題ではない。