いこま未来Labのプロジェクトマネジャーを務めるにあたって

いこま未来Labという、高校生が主役の実践型ワークショップのプロジェクトマネジャーに、お声がけ頂き務めることになりました。いこまち宣伝部に参加して10年、参加者から少し運営側に関わらせてもらえることになりました。とてもよい機会だと思ったので、こういった自治体が企画・運営する市民との協働活動について、私の思うことをまとめておこうと思います。

まず、今回のお話は、有償なのでお受けしました。もしこれが「無償のボランティア」だったら、お受けしたかどうかは未知数です。私はシビックテックの分野に関わりを持っているので、市民が行政に積極的に関わっていくことにはポジティブですが、行政が市民の力を無償で使おうとするのには相当ネガティブです。自分たちが住むところの事柄は自分ごとであると市民自身が思うことは全肯定ですが、それを行政側から拡声されるのは我慢がなりません。人の時間はタダではないのです。人のスキルはタダではないのです。現代の暮らしがもし暮らしにくくなっているというのであれば、それは無償で行う協力関係が減ったからよりも適切に対価を払うことが少なくなったからだと考えています。子どもたちの登校下校を見守ってくれている方々の親切にただ甘えているだけだから、暮らしにくくなっていくのだと思っています。昔はそれくらいのことはみんなタダでやったと言うのなら言う人が率先してやればいいのです。ここにはいわゆる「やりがい搾取」的な事柄への否定的感情も含まれています。「楽しいでしょ?だからタダでやろうよ?」と誘われるとき、その楽しさと引き換えに誘った側は利得を得ています。金銭的な利得なのか評判的な利得なのかは場合によると思いますが。

なので、普通のことかもしれないですが今回のお話は有償なのでお受けしました。これはお金を頂いてやっていることだというのを、明確に言っておきたいという気持ちがあります。どういうのが普通の人かわかりませんが私のような普通の人から見たら、こういう自治体がやるイベントごとに関わっている人ってお金もらってるのかなーもらってないのかなーと、なかなか確認し辛いことでぼんやりした疑問なんじゃないかと思います。そういう感覚があって、これは有償だということを明確に言おうとしました。私は普通のサラリーマンで、普通のサラリーマンでいこまち宣伝部に参加して以来、サラリーマンを続けながらできる範囲でいわゆる「市民活動」というものをやってきたという自負があります。世間では長らくともすれば企業勤めを凡庸なものと見做す風潮がありますが、そうは言っても企業がひとつもなくなれば社会は100%立ち行かなくなるのは自明で、サラリーマンをしながら市民活動ができるということはこれからの社会が実現できなければならないことだと思っています。そしてそのためには適切な対価を支払う意識を持った社会に脱皮しなければならないのです。

私は今回、いこま未来Labのプロジェクトマネジャーを有償だから引き受けました。ここに書いたのが、その理由とそれをここに書いた理由です。