物語が神話化するというループ。
物語が求められているとかストーリーが大事とか言うとき、なぜそう言っているのかなと訝しんでしまうことが数年前から増えた気がする。子供の頃から生粋の物語好きだったので、世間がみんな物語が大事と言い出すのは喜ばしいはずなのに、その言われ方に安直なもの依存的なものを感じてしまうことが少なくなかった。
物語はどちらかと言うと、普通ではできないことや知り合えない人を体験するところが面白いのに、フィルター・バブルよろしく「あなたはあなたでよい」という肯定を補強するために物語が必要とされているような気がしていた。そういう、「物語が必要だ」という主張は、物語という存在を神格化ー言うなれば「神話」になってしまう危険がある。
そこに来て、本著の帯のこのセリフ。速攻買ってしまいました。当初の目的は、朱先生の100分de名著だったのですが、100分de名著棚でフッサールを見つけてしまい、フッサールのこの時代の状況は、相対主義が進んで、「正しさ」の基準の共通理解が崩壊している現代に近しいので、これまた興味を持ってしまって購入。