コンテキストと天気予報

池上彰さんの気象予報の歴史に関する解説をTVで観て、コンテキストの時代に対する捉え方がちょっと変わった。

「日本はハイコンテキストの国だ。それはビジネスにとっては時間を多く消費するので不利。コミュニケーションは簡潔に。」みたいなことを喧しく言われる外資系に勤めているので(もちろんそれに対する反発心もありますが)、外国人から「コンテキストの時代」なんて言われる時が来たことに一種の感慨があります。大量の非構造化データの保持と短時間での解析によってこれまでなかった知見とアクションが取れるのがコンテキストの時代ということですが、もちろんこの業界に勤めてるのでそれ自体は理解してますが、陳列棚であっち見たお客様が最終的にこっち手にしてそっち買ったりとか、スマホゲームでどのタイミングで強敵だしたらアイテム買う確率が高いとか、店に入っただけで来店回数でクーポンくれるとか、そんなことできたとしてそれってビッグデータインフラの投資に見合うリターンあるの?(ゲームは確かにあるけど)とちょっと眇めで見てるところがあったんですが、池上さんのTVで「1960年代以降、気象予報の技術が向上した結果、台風による被害者が激減した」という解説を観て、なるほどなーそういうことか、と思ったのでした。

富士山頂に気象レーダーを設置したりして、日本の気象予報界は猛烈な努力で気象に関する多数のデータを集められるようインフラを整備し、その結果、今までは「来なければ知る由もなかった」台風という事象について、早期検知し、予想し、対策を立てられるようになった。その結果、台風という天災に対する被害を未然に防げる力が大きく上昇した。

今、世を騒がせているビッグデータも、誰が何のためにビッグデータを解析し、コンテキストを把握するのかはさまざまだけど、知りようのなかった事象を知れるようになることが「当たり前」になっていくのだなと。私の世代は物心ついたころから台風は進路予報できるのが当たり前と思っているけれど、親の世代はそうではなくて、だからその親の感覚を引き継いで、なんとなく台風は非常に恐ろしいものだという感覚はもっている。でもたいていの人にとっては確かに怖いものだけど予測できるものだというのが常識になっている。コンテキストの時代は、こういうことがもっと増えていく「だけ」と言えば「だけ」なんだろうなあと思う。そしてそうやって予め知れることが増えた結果、次に何に時間を割く社会になるのかが重要と思う。

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